ある日のこと。


サイバー・バズのOさんから電話がかかってきた。


あたし・主婦の頭の中


ママにメダルを?何のメダル?

「まずは、この動画 を見て下さい」と言われ、それを見たら・・・



あたし・主婦の頭の中


あえて説明は要らなかった。

そこには、オリンピックで活躍する選手を

子供のころから支えていた母の愛が溢れていたわ。

選手たちの栄光のメダルは、

母たちの愛のメダルでもあるってことなのね・・・

うぅ・・・ステキ・・・。



サッカーの澤選手とお母様のドキュメンタリー もキュンとなる。


あたし・主婦の頭の中



母にサポートしてもらい・・?う・・・ん、でも、待ってよ?



あたし・主婦の頭の中



そう言うと、Oさんはきっぱりとこう言った。



あたし・主婦の頭の中



なるほど!

そうよ、どんな時だって、私を支えてくれたのは母の愛。

特に誇れるものなどない平凡な子どもだったけど、、

そんな私のことも母は全力でサポートしてくれたわ。



改めて口にすると照れ臭いけど、せっかくの機会。

今まで、面と向かって言えなかった

母への感謝の気持ちをここで綴らせてもらおうと思う。


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母が26歳の時に私は生まれた。



あたし・主婦の頭の中


白黒写真が時代を表しているわね~。


ご覧の通り、どう贔屓目に見ても

可愛いとは言えない女の子。

健康的とは言えるけど・・・。


あたし・主婦の頭の中


なのに!!

ここで、驚いてね、皆さん!

私は、思春期、

客観的に自分の容姿を見られるようになってようやく


あたし・主婦の頭の中



そこで初めて気付いたのよ。

それまでずっと、自分はなかなか可愛いと信じていた。

(ヒ―――ッ、お恥ずかしい~)


なぜかって?

それはいつも母が「かわいい」と言ってくれるのを

真に受けていたから。

恐るべし母の洗脳だわ。



当時、我が家は借家の一軒家に住んでいた。

今、振り返れば、

生活はそんなに裕福ではなかったと思う。



でも、子供の私は、

自分のうちはなんてお金持ちなんだろうと思ってた。


いつでもお腹いっぱい母がご飯を食べさせてくれたし、

子供たちの誕生日には、その狭い家に、

お友達を呼んで、ささやかだけど誕生日会を開いてくれた。




あたし・主婦の頭の中


姉のお誕生日会の写真。

主役の姉は着物を着せられ・・・

手前、健康的な田舎っぽい女の子が私ね。


ひな祭、子供の日、クリスマス・・・


テーブルに並べられたケーキとジュース、

母の作った太巻き寿司と唐揚げ、

それだけで、子供の私は、

うちはお金持ちなんだと思いこんでいたのよ。




またゼネコンに勤めてい父は、単身赴任が多く、

ほとんど家にはいなかった。

でも、そんな父に代わって、

母がいろいろなところにも連れて行ってくれた。


あたし・主婦の頭の中


これは豊島園に行った時の写真。

昭和は遊園地に行くにも、おめかしする時代だったのかしら?

デパートにはいつも

とびきりのおしゃれをして行ったことは覚えているけど。


長い休みには、旅行にも連れだしてくれた。

だから、私は父がいない寂しさを感じたこともなかったし、

なんて自分は満たされているんだろうと思っていた。


今、思えば、あぁ勘違い女の子だ。

でも、子供ってそのくらい単純なのかもしれない。

特に私の過ごした昭和は。



食いしん坊で、母のご飯をこれでもか!と

思う存分、食べ続けていた私は、

当然、おデブな女の子に成長していく。


でね、これまた恐ろしいくらい幸せなことなんだけど、

自分がデブだなんて思ってもいなかったのよ。


ある時、友達とケンカして、その子が



あたし・主婦の頭の中


そう私に言ったことがあった。



あたし・主婦の頭の中



私は自分の耳を疑った。私がデブ?

ショックだった。

そして、泣きながら家に帰り、母に泣きついた。



あたし・主婦の頭の中


すると、母はきっぱりとこう言ったのだ。



あたし・主婦の頭の中


やっぱりだ・・・やっぱり私はデブなんかじゃない!

母の言葉を聞いて確信した私。

(おめでたい子)

でも、昨日、私がこの記事を書くために、

昔のアルバムを広げていたら、



あたし・主婦の頭の中


と長女が覗きこんできた。

あっ、ちなみに昔っぽいと言われたアルバムはこれ。



あたし・主婦の頭の中


そして、長女がペラペラめくりながら、

私の小学校時代の遠足の集合写真を見て言った。




あたし・主婦の頭の中


ちょうちんブルマーを履いた運動会の写真では、こう言った。


あたし・主婦の頭の中

ひどいわ~と言ってはみたものの、

そう言われてみれば・・・2倍どころの太ももではない。

3倍とはいかないまでも、見た目2,5倍はあるかもしれない。


あたし・主婦の頭の中

そこまで太っているのに、決してデブと認めない。

そんな勘違い女の子だった当時の私はこれよ!!



あたし・主婦の頭の中


横にいる2人が栄養失調気味に見えるかもしれないけど、

この子たちが標準、私がどれだけ太っていたかわかるかしら?


でもね、勘違いにしろ、

私は自分の容姿で悩むこともなかったし、

自分はとても幸せな子なんだと思っていたこと。


大人になって思うと、そんな子供時代って

悪くないんじゃない?かって。

そう思わせてくれた母にとても感謝している。


だって、口の悪いうちの長女なんて


あたし・主婦の頭の中


だって!



そんな勘違い女の子が思春期を迎え、

例にもれず反抗期真っただ中の頃、私は大きな決断をした。



当時父の仕事の関係で台湾にいたのだけど、

姉と同じ現地のアメリカンスクールに通いなさいという

親の希望も聞かず、



あたし・主婦の頭の中



単身日本に帰国。


16歳になる前から、私は親元を離れて生活することになった。

その後、親の赴任は20年にも及び、

私は15歳で家を出て以来、結局親と一緒に暮らすことなく

結婚することとなる。



でも、親元を離れ、日本と台湾と離れていても、

相変わらず母は、私のことを応援してくれた。




あたし・主婦の頭の中



ゆかりさん

元気でやっていますか?

日本の生活には慣れましたか?

日本はもうすぐうっとおしい梅雨に入りますね。

それが終わると夏です。

夏休みに遊びに来ますか? 

          ママより




今ね、母から送られてきた大量の手紙を読んでいたら

なんだか涙がこぼれてきたの。



気付かなかったけど、

母の手紙の最後には、いつも必ず

「今度台湾にはいつ遊びにきますか?」と書いてある。



当時の私は、

そんな母の言葉の意味をわかってあげられず、

手紙の最後の決まり文句のように読み飛ばして、

日本での生活、友達との付き合いが楽しくて

台湾に帰ることなんて、まったく頭になかった。



結局、日本に帰ってきたから、台湾に初めて戻ったのは、

6年後のこと。



あたし・主婦の頭の中


中学卒業以来、初めて帰った台湾での写真。

笑顔だけど、実は傷心旅行なのよ・・・。


あたし・主婦の頭の中



今、親になって思うわ。

私が台湾に遊びに来るのを母はどんなに待ちわびていたか。

そんなことを想うととても切ない気持ちになる。



母のサポートは、社会人になってからも結婚してからも続いた。



あたし・主婦の頭の中

あたし・主婦の頭の中


そして、現在もだ。



あたし・主婦の頭の中




71歳の母、孫の面倒も疲れるだろうと遠慮しつつとメールを送ると、

その1分後にはメールが来る。

「しかたないわ」でも、「大丈夫よ」でもなく、母の返信はいつだって




あたし・主婦の頭の中


こんな心強い母のその言葉を見るたび、

私は胸がいっぱいになる。

私にできる恩返しってなんだろうっていつも考えている。


照れくさく、なかなか面と向かっては言えないけど、

私はそんな母に、とびっきり大きなメダルを贈りたい。







ママ、いつもありがとう



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「ママにメダルを。」 では、Facebook/mixi/Twitterから「ママ、ありがとう。」の一言を投稿すると、

抽選で3名様に国内旅行券10万円分が当たるキャンペーンを実施中みたい。


この機会に母親に感謝を伝えてみるのもステキなことだわ。(携帯は こちら  で店頭キャンペーンが分かります)


Facebookアプリ  は写真付きコメントや、オリジナル動画がつくれるんだって!




あたし・主婦の頭の中
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昨日、ちょっと落ち込む事があって、会社にいる夫にダメ元で電話したら、案の定「ごめん、今会議中」で即切りされ、母に電話して長々と愚痴ってしまった。落ち込んでいたはずが、母が真正面から私の落ち込む原因を否定したのでムッときて、途中から大喧嘩。 夜、母からメールで「さっきは言い過ぎたわ。ゆかりの気持ち想ってあげられない発言してごめんね」と。あぁ、謝るのは私からだったのに、まだまだ私は(心が)子供だなと深く反省した。