小学校5年生、

父の仕事の関係で台湾に移り住んで、まだ間もない頃。

学校に行こうとマンションを出たら、気が付いた。





そう、日本の学校から持ってきたちょうちんブルマー。

ヤングな皆さん、知ってる?

昭和を代表するちょうちんブルマーっていうものを。





マンションはオートックだったので、

下からインターフォンを押して母に言った。





すると、母は「もう遅刻するじゃない!」と言って・・・





母の言われた通りにマンションの裏に回ると・・・

母が4階のうちの窓から顔を出したわ。





ママ何するつもり?


ま、まさか!!





行くわよって・・・そこは4階・・・。

で、それは・・・薄っぺらのちょうちんブルマー・・・、

ちなみに超軽量。(言わなくてもわかるか)


しかし、母はこちらの心配をよそに・・・



「は~れ~!!」





そして・・・私の手元に・・・?





届くわけないじゃん!!





ちょうちんブルマーは千の風に乗って・・・

ふんわりふんわり・・・






空の散歩を楽しんだと思ったら・・・

向かいの大きな家の屋根の上に静かに降りたったわ。

それもかなり高い位置に・・・。





それを見た母は、息を切らしながら、

急いで4階から降りてきた!

(「ママ、始めからこうしてくれれば良かったのに・・・」by心の声)





母と私・・・

ブルマーが落下した大きな家の前で、

しばし呆然と立ち尽くしていたわ・・・。






中国語もわからない・・・。

でも、母は意を決してインターフォンを押したわ。






中からおばあさんが出てきて・・・

中国語で何か言った。(↓想像)






母は日本語で必死に訴えたの。






でもね・・・やっぱり通じるわけがない・・・。






すると母は、世界の共通語=ジェスチャーで

必死に伝え始めた。






まだビートたけしが世に出てくる前の話、

母はすでに「コマネチ!コマネチ!」、

必死にブルマーを表現していたわ。






まだB&Bが世に出てくる前の話、

母はすでに「もみじまんじゅう」、

必死に屋根を表現してたわ。






これはフラダンス? まぁこれは昔からあるわ。

でも、波ではなくて、母の場合は風だから・・・。






「わかって

頂けましたでしょうか?」


おばあさんにね、母の必死さが伝わったみたい。






そう言って(想像)、屋根を見上げて、

そして、すべてを理解してくれた。



「おぉ! ブルマーアルネ!」

       (こんなこと言ってないって!)



でも・・・ブルマーは、とても高いところにあって・・・






物干し竿のような棒で、

懸命に取ろうとしてくれたんだけど・・・無理。





誰の目にもそれは無理だってわかった。

母は唯一覚えた中国語でお礼を言うと、

急に怖い顔になって私に言った!






自分のミッション失敗を棚に上げて・・・。

まぁそれが私の母なんだけど。

そして、私にこう言ったの。






そう、同じ敷地内にある日本人学校の中学部に

行っている姉に借りなさいと。


私は、体育の授業の前の休み時間、

姉の教室に行って頼んだ。






姉はきっぱりと断った。

「ブルマーがないなら体育を見学しなよ!」と。

そう、中学2年生の姉にとって、ブルマーは必需品だ。

パンツとセットの必須アイテム。

でもね・・・私は姉に懇願した。






「お弁当と体育の時間が楽しみで」

この言葉が姉の心の柔らかい場所に届いたみたい・・・。

姉は渋々トイレに行き、

今脱ぎたての生温かいブルマーを私に貸してくれた・・・。






生温かいブルマーに、姉のホッカホカの愛情を感じたわ。

そうして、姉のお陰で、私は大好きだった体育の授業が

受けられたのだった・・・。

「お姉ちゃん、ありがとう!」


それから、1ヵ月が経った頃・・・、

あれはとても風の強い日のことだった。






学校帰り、マンションの裏手に差し掛かった時だった。

私の足元に!!






車のタイヤの跡がくっきり付いた私のちょうちんブルマーが・・・。

今日のこの強風に乗って、舞い降りてきたのだろうか・・・。

「もーママ、何でブルマー放り投げたの?」

母をちょっと恨めしく思った瞬間・・・。






台湾を思い出すとき、いつも頭に浮かぶこの光景。

中正記念堂でもない、故宮博物館でもない・・・

母が投げたブルマーと青空と高い屋根。

恥ずかしくて、切なくて、(生)温かく、懐かしくて、

そして、笑える・・・

私のちょうちんブルマーと、そして、あの日の母の姿を。




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追記:

本ですが、12日発売となってますが、地方にも12日に届くようにということだそうで、

都内の書店では、もしかしたら今日くらいから並べて頂けるかもしれないそうです。



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昨日の記事にたくさんのコメントをどうもありがとうございました。大変なことになり、いろいろな方にご迷惑とご心配をお掛けしたこと、申し訳ございませんでした。

本当はね、今日ここで私がいろいろ書くのは、火に油を注ぐことにならないか・・・と思い、書くの躊躇っていたんです。でも、コメント欄を閉じたこと、記事を非公開にしたことにも、その理由を知りたい方もいらっしゃることがわかり、ここに書くことにしました。

でも、本当にさらりと書きますね。

昨夜、コメント欄が激しくなってしまったので、どうにかしなきゃと、自らコメント欄にコメントを残しました。

いろいろな意見があって当たり前で、私のしたことを母親失格と思う人がいても、子どもが可哀相だと思う人、またあるあるって笑ってくれる人がいて・・・。そんなことを残し、寝ようと思ったんです。その時、ある方からコメントが入り「出版時期だから、安易に謝っているように思えます」って。そうか・・・こう思われちゃうんだ・・・と。

そして、すぐにそのコメントに対してのコメントが入り・・・このまま放っておいたら、もっと大変なことになってしまうと思い、急いでコメント欄を閉じました。これがあんなにたくさんの皆さんが、貴重な時間を割いて、熱いコメント残してくれたコメント欄を閉じた理由です。

そして、記事を非公開にしたのはですね。コメント欄を閉じたら、メッセージで沢山のご意見を頂いたのです。励ましのメールも沢山頂きました。ありがとう。

でもね、ここでは何が書いてあったかは、言わないし、言えないんだけど、あるメッセージを読んで、もう本当に完全のノックダウン。動悸が激しくなって、あぁもう私ダメかも・・・と思ったんです。そう、昨日の記事、あんなことになるなんて露知らず、あんな下手な漫画に4時間掛った記事だった。だから、私も消したくはなかったのです。

もっと強くなれ! とか、そんな肝っ玉小さくてあんなお下劣漫画描いてるんじゃないよ! のお叱りを受けたとしても、もう、精神状態というか、体が異変を起こすくらいの衝撃でした。

その時、思ったんです。こんな精神状態で暗く落ち込んでしまっている母親の姿を見せることの方が、ずっと娘が傷つくし、可哀相なことだと。矛盾しているとご指摘を受けようが、記事を非公開したのは、自己防衛でした。

昨日の記事に寄せられた意見も、娘の立場にたって、娘が可哀相だと私を叱咤して下さったご意見だと受け止めていたので、じゃ今娘たちのために、私は矛盾していても、もう記事を非公開にするしかなったのでした。いつもの明るい母親に戻るためには。

私は皆さんからのコメントにいつも笑い、時には泣き、井戸端会議場みたいな存在のコメントを読むのが大好きで、そう、時には挫けそうなコメントもあったけど、でもね、考え方はひとそれぞれと思ってきたました。でも、ごめんね、今日はコメント欄閉じますね。 まだもう少しリカバーに時間が掛かりそうです。

でも、大丈夫。本当に心温まるコメントに、励まされ、リカバー急ピッチですから。だから、ありがとう。本当にありがとう。

どうか朝起きた時、大変なことになっていないことを心から願って・・・。