私たちにできること
11日、その時間、私は都内の地下鉄に乗っていた。
電車が止まった時も、よくある信号機の確認だろうくらいにしか思っていなくて、またいつものようにすぐに動き出すだろうと思っていた。
でも、電車はなかなか動かなかった。
しばらくすると、アナウンスが流れた。
地上では、大きな地震が起こっていて、停車していること。
車内は安全だから決して外には出ないように。
そう言われて初めて気がついた。
車体がわずかにだが揺れていることに。
車内は少しだけざわめき立った。
少しだけ。
そうだ、この時、乗客の誰もがすぐにおさまるだろうと思っていた。
時間が経つにつれて、
気分が悪くなる女性も出てきた。
皆が携帯電話を手に情報を得ようとした。もちろん私もだった。
でも、地下鉄の中ではアンテナが1本も立っておらず、
外の情報は入ってこない。
その間も、何度も車内アナウンスが流れた。
内容はまったく変わらず、
地上では、大きな地震が起こっていて、停車していること。
車内は安全だから決して外には出ないように。
地上はどうなっているのだろう。
それは、たぶん、この電車に乗っている人、
皆が思っていることだったと思う。
学校に、幼稚園に、職場にいる家族は大丈夫だろうか?
ようやく電車が動き出し、
銀座で降りることができ、地上に上がった。
信号機が大きく揺れていた。
でも、その時の私は、まだ何もわかっていなかった。
いつもより少し大きく長い地震が起きている、
そんな風に思っていた。
家まで帰らなければならない。
地下鉄がダメなら、中央線で帰るしかない。
中央線なら動いているだろう。
私は東京駅まで歩いた。
東京駅は人でごった返していた。
新幹線をはじめ、すべての電車が動いてなかった。
幼稚園のお迎えまでには再開するだろうと思いながら、
大事をとって母に連絡をして、先に迎えに行ってもらおう。
公衆電話は長蛇の列。
やっと自分の順番が回ってきて、母にお迎えを頼み、
ほっとして、電車再開を待つために近くのコーヒーショップに入った。
今、思えば、この時の私は何にもわかっちゃいなかった。
コーヒーショップで見たツイッターで、
東北地方で大変なことが起こっていることを知った。
その間も、コーヒーショップのペンダントライトが大きく揺れ、
その度に、客席では小さな悲鳴が起こっていた。
ここ東京でもこうなのだ。東北地方はどうなっているのだろう。
電車再開は、今夜中は無理だという。
どこかで夜を明かすしかない。
渋谷の友人の家までなら歩ける距離だ。歩き始める。
いつ届くかわからないが、友人宅に行くことを
夫にメールで伝える。
日が暮れ、あたりは暗くなっていた。
東京駅から皇居、国会議事堂、いつもならこんな時間、
ひっそりとしている場所に、たくさんの人が歩いていた。
赤坂、青山・・・道が狭くなると、
前の人と触れあうくらいたくさんの人が歩いていた。
10時過ぎ、友人宅に着く。
そこでテレビを見て、自分の目を疑った。
この時の気持ちを、どういう言葉で表現すればいいのかわからない。
とにかく今まで見たこともない光景が
テレビ画面に映し出されていた。
夫が11時頃に友人宅に来た。
テレビのニュースで京王線が再開したことを知り、
初台まで歩いて、電車に乗る。
電車は朝のピーク時並みにすし詰め状態だったが、
殺気だった様子はなく、一人でも多くの人が乗れるように
奥へ奥へと必死に詰めていた。
1時過ぎ。府中に着いた。
タクシー乗り場は長蛇の列で、夫と歩いて帰ろうと思った時、
京王バスの人が人の群れに向かって
「国分寺まで行かれる方、こちらです!バスが運行してます」
大きな声で誘導してくれていた。
私たちはそちらに走った。走りながらも、
この人にも家族はいるんだろうと思うと頭が下がる思いだった。
家に着いたのは2時近かった。
母が起きて待っていてくれた。
つけてあったテレビ画面には、地震の様子が映し出されていた。
信じられない惨状。
無性に涙がこぼれてきた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あれから週末を過ごし、現実、被災地の状況をテレビで見るたび、
胸が締め付けられる思いでいる。
そして、私はずっと考えている。私には何ができるだろう。
ピグの募金、コンビニでの募金。
私の住む市では、今日12:40から3時間、
計画停電が実施されることになったが、
それ以外の時でも、服を1枚多く着こんで暖房器具を使わない、
玄関の照明を消す、最低限の電気しかつけない、
私にできることは本当に些細な事ではあるが、
これからも節電に協力していこうと思う。
ありきたりの言葉になってしまいますが、
被災地の皆さん、頑張ってください。
私たちの思いが大きな力になって、届くように願っています。
いつもはコメント欄を閉じていますが、
こんな時に私に何ができるかと考えて、
コメント欄を開いておきます。
お役に立てるかわかりませんが、連絡がつかない等、
困ったことがありましたら、書きこんでください。
コメントは、自動公開にしておきますので、
書きこまれた段階で反映されると思いますので、
不確かな不安をあおるような情報の書き込みはご遠慮ください。
またこんな時ですので、被災地の皆さんが
不快になるような心ないコメントもどうか書かないでください。
心からお願い致します。
コメント
コメント一覧 (1)
夜になって夫とやっと連絡がついて、中央線沿いに夫の職場が程近い新宿迄歩き、無事会えました。
自宅の埼玉迄は帰る事が出来ず、ロビーを開放しているというホテルで毛布をいただけ、鞄を枕に一晩過ごしました。
翌朝一番に電車に乗ろうと試みましたが、埼玉に着いたのはお昼過ぎでした。
自宅が無事だったのを見て一気に力が抜けたの思い出します。