ジャガイモは私に任せて?
先日、実家に行っていた時のこと。テレビのニュースで・・・
「えーー! ジャガイモが36%アップ?」
母と姉が溜息をついたわ。
これを聞いて、私は言ったわ。
実は・・・この夏、うちの家庭菜園は大豊作!
狭い庭に、ピーマン1、ししとう1、ナス2、きゅうり2、トマト2の苗を
買ってきて植えたんだけどね・・・
これが面白いほど、採れる! 採れる!
見てよ、これ↓! ある日のししとうの収穫よ!
ちょっと目を離したら、
きゅうりがこんなに成長しちゃったりなんてこともあったけど・・・
(たぶん一番左が標準サイズ)
*にんじんは単なる大きさ比較。我が家の収穫物ではありません
今年の夏は、お陰さまでピーマン、ししとう、ナス、きゅうり、トマト、
これらの野菜を買わずに済んだわ!
ジャガイモはね、まだ収穫していないけど、私にはわかるの!
葉の成長からいって、間違いないわ!
「沖縄から帰ってきたら、収穫する予定だから待っていて頂戴!
我が家だけじゃ、とてもとても食べきれる量じゃないだろうから!」
そう言うと、母も姉も大喜び!
そうして、沖縄から帰ってきた翌日。
今夜は、あっ間違えた! 今夜もカレーよ!
(我が家がこの頃、カレーばかり食べている理由はここ に)
にんじん、たまねぎはさっき買ってきたけど、
ジャガイモはあえて買ってこなかったわ。
カレーにはホクホクした採れたてのジャガイモを
たっぷり入れましょう!
母と姉にも配らなきゃならないから、
「ねぇーー! 紙袋3つ持ってきて頂戴!」
そう夫に頼んだわ。ところがどう? 夫ったら・・・
ねぇ! 一体、あなた何考えてるの?
そんな小さな紙袋だったら、入り切らないじゃない!!
夫は、急いで引き出物サイズの紙袋を3枚持って庭に来たわ。
まずは・・・やっぱり子供たちに掘らせてあげましょう!
この夏、子供たちはきゅうりやナスを見つけては、
よく庭から採ってきてくれたわ。
そして、それを食卓に出すと、喜んで食べてたっけ・・・。
やっぱり自分で採った野菜は格別なものがあるのね~
ほーらね、すぐに次女がジャガイモを見つけたわ!
ピンポン玉大の小さいジャガイモ・・
「どんどん掘ったら、もっと大きなジャガイモも見つけられるわよ~」
ところが・・・
それから、しばらく掘り続けていた長女がこんなことを言ったのよ。
あら、あら、そんなはずはないわよ。
子供だから、手で掘るにも限界があるのかしら~
ほら、ほら、よーく見ているのよ~
ほら、ほら、よーく見ててよ!
ところが、一向にジャガイモは姿を現さないのよ。
きっと、もっと下の方にあるんだわ。
でも、さすがのママも手で掘るのはちょっと疲れてきちゃったわ~。
慎重に・・・慎重に・・・
慎重に!! 慎重に!!
その時だった。
井、井戸? その言葉で我に返ったわ。
い・・・いやだわ、
ママったら、つい夢中・・・いや意地になっちゃった?
ハハハ・・・ハハハ・・・
ちょっとハハハ・・・じゃないわ!
どうしよう・・・私ったらあんなこと言っちゃって・・・。
あのニュースを見た時、
なんで自分のうちのジャガイモは大丈夫と思えたんだ?
母と姉に分けてあげるジャガイモなんてないわ!
っていうか・・・今夜のカレーに入れるジャガイモさえもない!!
だってね、これよ↓
えっ? 大きな紙袋の奥にあって見えにくいって?
だったら、これでどう?
この夏の我が家のジャガイモの収穫量です。これで全部!
夫よ、ごめん。大きな紙袋は必要なかったわ。
っていうか・・・紙袋なんて必要なかった。
悔しいけど、片手にすっぽり収まったじゃない!!
追記:
ちなみに、左、標準サイズのChupaChups、
ジャガイモがどれだけ小さいかわかってもらえる?
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前回の記事にもたくさんのコメントをどうもありがとうござました。日に日に次女のトイレ・臭いトラウマは薄れているようです。沖縄旅行記を追って書いていこうと思ったんですが、写真など整理して編集するのに時間が掛かりそうなので、後にまわしてしまいました。
あと東芝のecoライフの記事、更新しました。今回は電球にまつわるエピソード「ギンギンに熱かったぜ!あの頃の電球」。
よかったら、こちらから↓読んでください。
↓ 以下ちょっと豆知識?
こちら、白熱電球(複製品) 明治23(1890)年
東芝科学館 提供(いえ、ただ自分で勝手に撮ってきた写真です)
白熱電球を発明したのは、アメリカのトーマス・エジソン。これは余りにも有名な話ですよね。では、日本で電球を最初に製造した人は、誰だか知ってる? 藤岡市助さんという方なんですよ~
1884年、エジソンに出会った彼は、エジソンからこんな言葉を聞くのですよ。「どんなに電力が豊富でも、電気器具を輸入するような国は滅びる。電気器具を製造から手がけ、日本を自給自足の国にしなさい」そして、このエジソンの言葉がその後の彼の運命を大きく変えちゃうわけなんですね~。大学教授の地位を捨て「電球の開発」などにチャレンジし始めるのですよ。
彼が最初に製造した電球は、たった2時間しか点灯しなかったそう。でもね、やがて彼の並々ならぬ努力と苦労の末、輸入電球と変わらないものを作り出すことに成功したというのですよ。もっと詳しく知りたい方はこちら を参考に。
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