(1)それは突然にからのつづきです

電話は東京にいる同期からだった。
成田のオフイスでその掲示を見て
ステイ先にいる私たちに
連絡してきてくれたのだった。

正直、その後のことは憶えてない。
そのまま食事に行ったのか、
それともそこで解散したのか?

ただ覚えているのは、
日本にいる夫に電話をしたことだけ。

スキャン 1962

ただ一方的にしゃべって、
そして、電話を切ったら・・・

スキャン 1963

ホテルの部屋で途方に暮れた。

でも、今にして思えば、
会社はそうならないように、
私たちに地上職という道を
きちんと用意してくれていたのだ。
なのに、その時は、
ただただ目の前が真っ暗になった。

そんな暗い気持ちのまま
年末を過ごし、新しい年が明けた。

日本にいる間は、同期と会い、
CAとして残る道はないか話し合ったり
相談しに行ったりもしてみたけど、
解雇ではない今回の状況では
どうすることもできなかった。

今でも思い出すのは相談に行った帰り、
同期数人とカラオケに行って、
卒業ソングを泣きながら歌ったこと。

スキャン 1964

何があんなに悲しかったんだろう。

CAという仕事を続けられないという
寂しさももちろんだけど、

入社してずっと、
同期が多い私たちは
一緒のフライトも多かったし、
どこかの国のホテルに
誰かしら同期がいたりして、

スキャン 1965

たくさんの時間を共有してきた。
毎日が修学旅行のような生活を過ごしてきた。

だから、CAを辞めるということは、
長かった学生時代が
終わってしまうような・・・
もっと大げさに言えば、
若くて輝いてる自分たちの時代が
終わってしまうような・・・
そんな寂しさだったのかもしれない。

そして、2月。
最後の月である
3月のスケジュールを作る前に会社側は

スキャン 1966

 そう言ってくれた。

皆、それぞれ自分の好きなフライトを
最後のフライトとしてリクエストした。

私は、同期Mっちとロサンジェルス便を
リクエストした。

LA便をリクエストしたのは、
2つ理由があって、
LAにはMっちもよく知っている
大親友のYがいること。

そして、もうひとつは私もMっちも、
7年前の初フライトがLA便。

初フライトがGW真っ只中のLA便で
あまりの疲労困憊ぶりに
ふたりLAのホテルで

スキャン 1967

と途方に暮れた思い出のフライト。
ラストもこのフライトで締めくるろう!

3月に入り、カウントダウンが始まった。

すべてにおいて、これが最後の⚪️⚪️便、
これが最後の・・・
どのフライトも噛みしめるように
乗務させてもらう中で後悔することも
たくさんあった。

スキャン 1968

そして、たまたま
週末のフライトがついていたので、

スキャン 1969

急遽、夫を客(またはビデオ係?)
として、機内で迎え

スキャン 1970

心残りを1つまたひとつと消していく。

月も半ばを過ぎると、
先にラストフライトを終えた同期が
次々成田に帰ってきて・・・ 
辞めた同期や先輩が労いに
到着ロビーで出迎えにきてくれてた。

スキャン 1971

皆、やっぱり目には涙を浮かべている。
その姿は数日後の自分の姿と重なり、
見るたびに切なくなった。

そして、迎えたラストフライト。
オフィスでラストフライトを証明する書類をもらう。

通常、CAの免税範囲は、旅行者と違い
免税範囲が少ないのだけど、
この書類を税関に見せれば、
最後は旅行者と同じ免税範囲が与えられるのだ。

その書類をフライトバッグに詰め、
(ビデオカメラとカメラもしっかり)
LAに向けて出発だ!!

初フライトのことを思い出す。
そうそう、こんなこともあったわ。

機内でmilk とbeerは、
よく聞き間違えられると言われていたのだけど

スキャン 1972

でも、いきなり
初フライトでやってしまった。

スキャン 1973

そんな失敗さえも、いちいち懐かしい。

LAでは、友人Yとロデオドライブ、
足を伸ばしてアウトレットの買い物三昧。

スキャン 1981

朝、昼、夜は、
お気に入りのレストランで
好きなものをたらふく食べ、

スキャン 1982

夜は喉が枯れるほど、しゃべり倒し・・・。

ついに迎えた
本当のラストフライトの日。

空港でY とこれでもかのハグをして

スキャン 1974

いよいよラストフライトが始まった。

これが最後の・・・これが最後と
言ってた割にフライトは満席で、
ラストフライトの余韻に浸る余裕もなく
いつも通りに過ぎていく。

スキャン 1975

でも、その方がよかったかもしれない。
暇だったら、
いろいろ考えて悲しくなってしまっていたから。

ところが、
サービスがひと段落着いた頃、
コールが入った。

スキャン 1976

ふたり何も考えずに
ファーストクラスのギャレーに向かった。

カーテンの前で新人の子が
手招きしている。

スキャン 1977

導かれるままカーテンを開けると・・・

スキャン 1978

私たちの目に飛び込んできたのは

スキャン 1979

皆が私たちのために、
用意してくれた大きなケーキ。

皆の拍手とそのケーキを見たら、
一気に辞めるという実感がこみ上げて

スキャン 1980

涙が止まらなくなってしまった。
もっと続けていたい、降りたくない!
心からそう思った。

でも、それは叶わないことだ。

だから、私はこう思うことにした。

こんな温かい人たちに囲まれて
働いてこられた7年間。
いいCA人生だったではないか!

次回はスッチーからOLへ(3)につづく〜


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あの時、カラオケで歌った中で、特に印象深いおニャン子クラブのじゃあね!という曲を、記事を書くのでYouTubeで探して聴いていたら、やっぱり心に残っているだけある!どの歌詞も心に刺さりまくりで、当時の気持ちを思い出して涙が出そうになった。(いや実際出まくった)特におニャン子のラストコンサートでのじゃあね!がよかった。皆泣いてる中、工藤静香ちゃんは笑顔!すごいプロ根性の持ち主なのか、おニャン子が嫌だったのか・・・いろいろ考えてしまいました。←そこ、どうでもいい?