戦争を知らない子供たち
昨日、長女が言った。
どうした急に?
そ、それ、わかる!!!
ママもさ、自分が生まれた
昭和42年の映像なんて見ると
なんなの? 共感してあげたのに!
でもね、それに似たようなこと、
広島、長崎の平和記念式典を
テレビで見ながら、
ママも最近ずっと思っていたんだ。
ママが子供の時ね、
『家族そろって歌合戦』って番組があったのね。
そうそう、
NHK の「のど自慢大会」の家族版みたいな番組。
その番組でよく歌われてたのが、
『戦争を知らない子供たち』
って歌だったんだけど、知らないよね?
♪戦争が終わって僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った〜♪
子供だったママは、
いつもその歌を聴くと思ってたの。
戦争なんて大昔の出来事だって!
でも、考えてみたら・・・
わかる? 22年って・・・
決してそんな昔じゃないんだって。
今22歳の若者がいて、
その子たちが生まれたその時まで
日本は戦争をしていたってことだよ。
振り返ってみたら、
小学生の時、クラスに
おじいちゃんが戦死したっていう
友達がたくさんいたし、
すると、横から夫も話し始めた。
22年がそんな昔でないことを語る
戦争の名残がまだたくさんあったんだよね。
すると、次女が
まさか
パパもママもあたなたちも同じ
戦争を知らない子供たちだよ。
そんなことを家族で話しながら
終戦記念日の今日、改めて思う。
きれいごとかもしれないけど、
でも、私は心から願う。
いつか世界中の子供たちが
『戦争を知らない子供たち』になる
そんな世界になって欲しいと。
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□■□■□■□■□□■□■□■□■□
昨日は、錦織選手のテニスを正座しながら長女と観ていたんですが、長期戦でしたね。試合が終わって、7時まで仮眠と思っていたのに、8時半に次女に叩き起こされました。「ママ!どうするの!」「はっ!」次女のサマーデイキャンプ寝坊して、スクールバスに乗り遅れてしまいました。急いで車で学校まで送っていき、授業には間に合ったので良かったけど、ケンブリッジ選手見逃してしまいましたよ〜・・・あぁ・・・正座して応援したかった。
どうした急に?
そ、それ、わかる!!!
ママもさ、自分が生まれた
昭和42年の映像なんて見ると
なんなの? 共感してあげたのに!
でもね、それに似たようなこと、
広島、長崎の平和記念式典を
テレビで見ながら、
ママも最近ずっと思っていたんだ。
ママが子供の時ね、
『家族そろって歌合戦』って番組があったのね。
そうそう、
NHK の「のど自慢大会」の家族版みたいな番組。
その番組でよく歌われてたのが、
『戦争を知らない子供たち』
って歌だったんだけど、知らないよね?
♪戦争が終わって僕らは生まれた
戦争を知らずに僕らは育った〜♪
子供だったママは、
いつもその歌を聴くと思ってたの。
戦争なんて大昔の出来事だって!
でも、考えてみたら・・・
わかる? 22年って・・・
決してそんな昔じゃないんだって。
今22歳の若者がいて、
その子たちが生まれたその時まで
日本は戦争をしていたってことだよ。
振り返ってみたら、
小学生の時、クラスに
おじいちゃんが戦死したっていう
友達がたくさんいたし、
すると、横から夫も話し始めた。
22年がそんな昔でないことを語る
戦争の名残がまだたくさんあったんだよね。
すると、次女が
まさか
パパもママもあたなたちも同じ
戦争を知らない子供たちだよ。
そんなことを家族で話しながら
終戦記念日の今日、改めて思う。
きれいごとかもしれないけど、
でも、私は心から願う。
いつか世界中の子供たちが
『戦争を知らない子供たち』になる
そんな世界になって欲しいと。
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昨日は、錦織選手のテニスを正座しながら長女と観ていたんですが、長期戦でしたね。試合が終わって、7時まで仮眠と思っていたのに、8時半に次女に叩き起こされました。「ママ!どうするの!」「はっ!」次女のサマーデイキャンプ寝坊して、スクールバスに乗り遅れてしまいました。急いで車で学校まで送っていき、授業には間に合ったので良かったけど、ケンブリッジ選手見逃してしまいましたよ〜・・・あぁ・・・正座して応援したかった。
コメント
コメント一覧 (2)
外国のアニメーションだったか「風が吹くとき」(タイトルはうろ覚えなのですが)等もインパクトがあった。
大人になって「火垂るの墓」もうどんなに再放映されても辛くて辛くて見れない。あぁいう状況下におかれると、人は優しいふりすら出来なくなるって先日亡くなった監督さん仰ってたわね。
私のおじいちゃんも大戦で当時のビルマで亡くなったの。おばあちゃんは子供三人(私の父達ね)抱えて20代で未亡人よ。当時はお骨もなくて、髪の毛の束だけおくられてきて、庭先でおばあちゃんが号泣してたのを父は今でも忘れないって。
酷だけど戦争に行く前「子供たちの為、俺に何かあっても再婚してくれるな」って。おばあちゃん、それを守り通して90歳まで生きたわ。今、おじいちゃんと会えてるといい。
父さん曰く「お袋はモテなかったんだろ」っていうけど。立派と思う。
「ビルマの竪琴」って映画はおじいちゃんのことじゃないかって、普段外出しないおばあちゃんが一張羅の着物着て見に行ってね。
一家族だけでもこんな悲しい思い出になるんだもの。戦争はいけないわね。絶対。
古い記事にコメント失礼します。大牟田と聞いて親近感がわいてしまいました~
また遡って読ましてもらいます(*´∀`)