昨日の記事からのちょっとつづき

実家でよく父と台湾時代の話をする。
毎回、出てくるのは

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親というものは、
まぁ同じ話をよく飽きもせず
何度も何度もするものだなぁ・・・。

でも、仕事人間だった父の
数少ない娘の運動会の思い出として、
今も強烈に残っているのだろう。
私のパンパンの太モモが!

いいのよ、この話は。
何度でも笑って聞いてあげる。

でも、もう1つよくする話があって
この話を聞くと、
私は今だにちょっと切なくなる。

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日本人学校の中等部を卒業後
私は日本の高校に通うべく
単身日本に帰国した。

日本人学校は義務教育までしかなく
卒業後は日本に帰るか
現地のアメリカンスクールに行くという選択肢があった。

先に卒業した姉は
親の言う通り、アメリカンスクール通った。

でも、私は日本に帰りたかった。

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自分が親になって、思うのだけど、

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さて、私が台湾を離れる前日、
家族で最後の食事に行ったのね。

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その帰り道のこと。
お土産物屋の前で父が足を止め
こう言ったのだ。

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それは、綺麗な刺繍のチャイナ柄で
中は厚手の起毛になっていて、
日本の寒さにも耐えられそうな
とても上質な上着だった。

台湾に住んでる時は
そんな台湾ぽい服は嫌だと
見向きもしなかったのだが、

台湾を離れるとなると、
良い思い出になるかもしれないと
店に入った。

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翌日、チーパオを着た私を、
父と母が空港まで送ってくれた。

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日本がいい!そう言って
自ら親元を離れることを決めたのに

実際その時を迎えてみると
15歳の私は、
不安で押しつぶされそうになった。

振り返ると、
父と母が泣いていた。
特に父は大泣きだった。

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二人の姿を見ていたら、
私も泣きだしそうで・・・

でも、泣き出したら
「台湾にいなさい」と言われそうで
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私は振り向かず、前に進んだ。

長くなりそうなので、
悲しい紅いチーパオの思い出は、
次回に続けよ←ウッチャン口調で





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当時、「チーパオ、チーパオ」と言ってたんですよね。でも、旗袍(チーパオ)って、調べたら女性用のワンピース式ドレスと書いてあった。迷ったけど、今回はそのままのチーパオで通してしまいました。私が買ってもらったのは、はんてんみたいな?上着なんですけどね。