25年前 夫と台湾に行った時の飛行機での話
GW、私の友人もたくさん台湾に行った。
家族連れ、夫婦、友達と。
彼女たちから台湾のお土産話を
聞きながら思い出したことがある。
今から25年前、
当時、台湾に住んでいた
私の両親のところに夫とふたりで向かう機内。
いや、なぜか滞在先でも、機内でも
同業者であるCAはわかるもので・・・
自分が乗務しているときも
バリバリ意識してたもの!
他のエアラインに乗ると、
サービスの違いとか気になって
知らず知らずのうちに
チェッカーみたいな目で見てしまうもの。
それにしても、よく目が合う。
それも1人じゃなく、何人もと。
きっとギャレーの中で話しているんだわ!
私はそんなつもりはないだけど・・・
3時間後、
飛行機は、台北の空港に降り立った。
降りる準備で席を立つ客たち。
私たちは席を立たずに
通路が空くのを待ってた。
機内の客が減ると、
1人のCAさんが話しかけてきた。
このとき、確信した。
やっぱりフライト中、
あんなに目が合ったのは
私の錯覚じゃなかったのね。
何を聞かれるのかしら?
今のようにプライバシーがどうのこうの
うるさくない時代。
(私もよく機内でお客さんと話をしたわ)
すると、CAさんが
CAさんが言うには、
年配の夫婦なら見かける。
女性同士、男性同士のお客さんも。
でも、台北行きの飛行機で
私たちのような若い夫婦は珍しく、
他のCAさんたちとずっと話していたんだという。
とても気になったから
勇気を出して聞いたみたと。
台湾と日本を行き来している
エアラインでの話だから
すごく印象に残ってる。
今じゃ、老若男女問わず、
多くの日本人が訪れる台湾だけど、
そんな時代もあったんだなと
みんなの話を聞きながら思い出したわ。
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
40年前、台湾に引っ越すことになったとき、「台湾ってどこ?」と友達に聞かれた。大人でも台湾のこと知らない人もたくさんいたわ。で、これが25年前の話。エアラインの人に言われて、気がついた。そう言われてみれば、あまり若い日本人観光客っていないかもと。当時は日本人のおじさんはたくさん来てたけど。次回は、台湾の悲しかった思い出に続きます。
家族連れ、夫婦、友達と。
彼女たちから台湾のお土産話を
聞きながら思い出したことがある。
今から25年前、
当時、台湾に住んでいた
私の両親のところに夫とふたりで向かう機内。
いや、なぜか滞在先でも、機内でも
同業者であるCAはわかるもので・・・
自分が乗務しているときも
バリバリ意識してたもの!
他のエアラインに乗ると、
サービスの違いとか気になって
知らず知らずのうちに
チェッカーみたいな目で見てしまうもの。
それにしても、よく目が合う。
それも1人じゃなく、何人もと。
きっとギャレーの中で話しているんだわ!
私はそんなつもりはないだけど・・・
3時間後、
飛行機は、台北の空港に降り立った。
降りる準備で席を立つ客たち。
私たちは席を立たずに
通路が空くのを待ってた。
機内の客が減ると、
1人のCAさんが話しかけてきた。
このとき、確信した。
やっぱりフライト中、
あんなに目が合ったのは
私の錯覚じゃなかったのね。
何を聞かれるのかしら?
今のようにプライバシーがどうのこうの
うるさくない時代。
(私もよく機内でお客さんと話をしたわ)
すると、CAさんが
CAさんが言うには、
年配の夫婦なら見かける。
女性同士、男性同士のお客さんも。
でも、台北行きの飛行機で
私たちのような若い夫婦は珍しく、
他のCAさんたちとずっと話していたんだという。
とても気になったから
勇気を出して聞いたみたと。
台湾と日本を行き来している
エアラインでの話だから
すごく印象に残ってる。
今じゃ、老若男女問わず、
多くの日本人が訪れる台湾だけど、
そんな時代もあったんだなと
みんなの話を聞きながら思い出したわ。
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
40年前、台湾に引っ越すことになったとき、「台湾ってどこ?」と友達に聞かれた。大人でも台湾のこと知らない人もたくさんいたわ。で、これが25年前の話。エアラインの人に言われて、気がついた。そう言われてみれば、あまり若い日本人観光客っていないかもと。当時は日本人のおじさんはたくさん来てたけど。次回は、台湾の悲しかった思い出に続きます。
コメント
コメント一覧 (32)
それまでも、カータンのブログ、そして台湾のお話を楽しく読んでいました。
こちらの記事のコメントは、現在の読者さんの目には留まりにくいかもしれず、それだからこそ今の気持ちを書いてみたいと思いました。
私の母は戦時中台湾にいて、20歳ごろ日本に引き揚げてきました。私に台湾時代の話をよくしていました。
子供の頃私は、自分の母親がお友達の母親とどこか違う、と感じていました。
気が強い、見栄っ張り、本音と建前がわからない、料理が出来ない、家にいるよりも外でバリバリ働くタイプでした。
(今から思えば帰国子女だったのですから、いろいろ苦労もあったことでしょう)
母が披露する台湾語や仕草を、どこかでいやだな、、、と思っていました。特に戦時中ですから、粗野で荒っぽくて。
カータンが台湾のことを取り上げてくれるのは、台湾のイメージアップになっていてとてもありがたいです。
カータンのおかげで、母と台湾のことをすんなり受け入れることができたように思います。
カータン、ありがとう💐
カータン
がしました
昔を思い出して懐かしくなりました。
カータン
がしました
2年前に娘夫婦が結婚してすぐに台北に遊びにきましたよ!
かーたんご夫婦と同じですね。娘夫婦を迎えに松山空港で待っていると若い女子達からおば様グループまで大勢です。チケットも繁忙期はとるのが大変です。ここ数年の台湾人気はすごいですね!!
カータン
がしました
かわいい姪っ子見たさに月2で台北に通っていましたがその頃はもう様々な年代の人が気軽に台湾に遊びに行く時代になってました。
台湾は治安はいいし、食事は美味しいし、交番で犬を飼ってたり、姪の通う幼稚園のおやつが豚の血のゼリーだったり(^-^;面白いこともたくさんあって大好きでした♥️
また行きたいなーー
カータン
がしました
私が小学校の頃長崎という土地柄のせいか台湾人の子が何人かクラスメイトにいました。なので台湾ときくと懐かしいんですよね。今福岡在住ですが、皮膚科や外科、気がつけばかかりつけの病院も台湾の先生の病院ばかりです。去年は帰省する列車内で若い台湾の女の子と友達になりました。今年こそ台湾に行ってみたいです!言葉も少し勉強したいな。
カータン
がしました
あの頃は若い女性やカップルが旅行する所ではなかったですよね。社内旅行と称して夜の女の子目当てのオッサンばかりの時代でしたね。
カータン
がしました
なんか良質なオードトワレを纏っているようなイメージがあります^ ^
飛行機に乗ると機内食も楽しみですが、CAさんの接客も
つい見てしまいますが(^^;
2時間ぐらいの間でも、色々見て取れて(^^;;
あっという間に到着です^ ^
カータン
がしました
懐かしいです。
カータン
がしました
その頃の台湾のお土産で印象に残っているのが干した肉を甘く味付けしたものとスイカの種を味付けしたもの。
誰も知らないかなあ(-_-;) 日本も台湾もまだ貧しかった頃の話です。
カータン
がしました
私も35年ほど前、学生時代に友人と行ってきました。なぜ選んだか…たぶんあまり日本人が行かないところだったような…多分、安いツアーだったのでしょう。ホテルも中国人しかいないし、もちろん日本語NG!英語も厳しいと言う状況。唯一覚えてるのが初めて食べた大根餅。
台湾で人気だってことで食べましたが私には人気の理由が分からず…あれから四半世紀以上経ち、かたくなに食べなかった大根餅を食べてみたら…あら、美味しい(笑)そんな思い出の台湾です。でもまた行きたい国ですね^_^
カータン
がしました
カータンと感動を共有したくて、ユーミン武道館、昨日、関西から遠征して見てきました。
例のジャケット見て思わず「キャー」っと叫んでしまいました。
カータン
がしました
カータン
がしました
現地の『児童養護施設』と交流を図るのが目的だったので身ぶり手振りの一週間交流になったかは疑問ですが、25年後シンガポールはスゴくさかえたなぁとテレビで見るたびに思います。台湾とはずれてしまいましたが、当時もおそらく子供の団体100人はCAさんの話題になってたのかなぁとブログを読んで思いました。
カータン
がしました
友達だった訳ではないしすぐ転校してしまいましたが、同級生の中でずば抜けて美少女で日本語が上手だったので記憶に残っています。
そしてその頃ビビアン・スーが日本の番組でブレイクしていたので、台湾という国がどこにあるかは分からないけど美人の国なんだなぁとぼんやり思ってました。(笑)
現在私は台湾人男性と交際しています。彼と付き合い始めてから何度も台湾に足を運んでいますが、どんどん台湾が好きになっていっています。
日本人観光客が多くなるのは嬉しいけれど、最近はマナーの悪い日本人観光客に出くわす事も結構あり悲しい気持ちになります…。
マナーの悪い人達は周りの台湾人は日本語が分からないと思って日本語で失礼な事をベラベラ喋っていますが、私の彼は日本語が分かるので…。
(彼は笑顔で大丈夫だよと言うだけで怒りませんけどね…。)
カータン
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オーナー(男性)が昔は台湾=買春だと思われることが多かったと言っていました😭
カータン
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露店で売っていた女王合唱団(クイーン)とか空中補給合唱団(エアサプライ)のカセットテープを買ったような記憶があります。
カータン
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救急外来にいますと、観光中に体調を崩された外国からの観光客も受診に来られます。
外国人もいろいろで、日本人のことを見下しているんだな、本当は嫌いなんでしょう、と
思ってしまう態度のひとも大勢、大勢、います。
台湾の高齢の方が日本語がペラペラなのは
なんだか複雑な気持ちがしますが、嬉しくも思うのが
その、日本語を話される高齢者の方々のほとんどの方が
日本のことを好きだと思ってくださっているのが伝わってくること。
歴史の中には、いろいろなことがあり
海外に行った時につらい目にあったこともありましたが
悪いことばかりではなかったんだと思える時です。
いつも長くて申し訳ない。
カータン
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海外旅行なんてーといつも言ってる夫も台湾だけは一度行ってみたいそうですよ。
いつか行きたいですね。
カータン
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言っている意味が??でしたが、今考えると🙄ちょっと分かります。
おじさん達、接待で訪台してたんですね。
カータン
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金城武が出てきたのは、カータンご夫妻がお出かけになった後くらいでしょうか。
以前、厳戒令が出ていた時の頃の話を書いてらっしゃいましたけど、悲しい話はそこに繋がるんでしょうか。気になります。
カータン
がしました
ちょうどその頃勤めていた会社で社内旅行の企画を担当していました。(カータンと同じ年です)
予算と日程の都合上、ハワイやグアム等の比較的近い海外や沖縄・北海道のコースが中心でしたが、そう言えば台湾は候補に上がらなかったですねぇ。どうしてでしょう?
インターネットも普及していなかったし、台湾の魅力も今程広まっていなかったような気がします。
でも、今一番行きたい所は台湾!
カータンが語る数々の魅力に、益々台湾に惹かれています〜〜♥
あーー、行ってみたい!
カータン
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さっきふと思い出したんですが、私の小学生の時の担任の先生が、その時台湾の日本人学校に転勤になり何年かあちらに行ってました!私はカータンの一つ年上ですが、もしかして先生と会ってたりして?😆 時代的に少しかぶるくらいかなー? その時に、台湾という国の事を知ったのかも?しれないですね😁面白いステキな先生でしたよ!
カータン
がしました
カータン
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6泊のうち晴れたのは1日だけ。観光はしていません。
引っ越した当日だけ、ホテルに泊まりましたが、日本人で満室でした。
昨夏は、8月に台北101や九份など観光しましたが、暑いのなんのって。2.28事件記念館にも行きましたよ。
日本で習っている中国語の先生(大陸出身)によると、蒋介石が大陸のあちこちの有名料理人を連れて台湾にきたので、台湾の料理はレベルが高いとのこと。
本来なら大陸北方の 豆乳や油ティヤオも台湾定番の朝食ですね。
友人知人にも台湾好きは多いけれど、なぜ親日でいてくれるのかも含めて、もっと歴史を日本人が知るといいですよね。
カータン
がしました
カータン
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夫と遠距離の時はフリーターだった私が頻繁に沖縄に通っていたのですが周りは浮かれたカップル、キャピキャピしてる女性グループ、楽しそうな学生のグループや家族連ればかり。ビジネスらしき男性1人の人もいたけど、若い女性独りで乗ってる人なんて本当に私くらいでした。
観光でもないからガイド本を見るわけでもなく浮かれた風でもないし異様な存在だったろうなぁ~と思います。
ちなみに家から札幌の実家まで飛行機の乗り継ぎ、空港からのJRなどで8時間はかかりますが外国の台湾まで2時間くらいで着けるのが不思議です…。
カータン
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その時代って台湾、韓国は若い人が行くところではなかったですよね。
両国ともまだビザ(台湾はビザって名称ではないけど)も必要だったか、不要になったばかりだったような。
四半世紀で旅行もだいぶ変わりましたね。
カータン
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子会社で運行していましたね。懐かしい。
カータン
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カータン
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