悲しい紅いチーパオの思い出(1)からの続きです

涙で手を振る親を背に
私は出国手続きの列に並んだ。

台湾に住んでいた5年間は

台湾と日本を何度も行き来したけど、
1人で出国するのも、
一人で飛行機に乗るのも初めてのこと。

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出国手続きを無事に終えると、
不安な気持ちは徐々に薄れ・・・

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自分がちょっと大人になったような
そんな誇らしい気持ちになっていた。


搭乗時間になり、飛行機に乗ると、
私の席は3列シートの真ん中の席だった。

すでに両サイドには、
観光客と思われる日本人の中年男性が座っていた。

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どうも私は同じツアーの男性客の中に
1人紛れ、アサインされたらしかった。

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すると、後から乗ってきた
同じグループの客の1人が
私の横の男性に声をかけて
通り過ぎた。

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*小姐=お姉さん

すると、隣のおじさんが

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また別のおじさんが

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機内のこの一帯で
笑い声がどっと上がる。


15歳の私だって、
その意味は十分にわかった。

私が紅いチーパオを着ているから?
台湾人の女性で
日本語がわからないと思ったのか?

真っ先に頭に浮かんだのは
さっきまで一緒にいた両親の顔だった。


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きっと今頃、
父も母も空港から帰る車の中で・・・

私の無事だけを願ってるはず。

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私はこの時、
自分のことより父のことを想うと、
父が可哀想で泣けてきたのだ。

父が昨日、買ってくれたチーパオ。


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このチーパオのせいで、
今、娘がこんな嫌な思いを
しているなんて父が知ったら、
どれだけ胸を痛めるだろうって。


だから、父には言わないで今日まで来た。

あれから40年近くが経ったけど、
何も知らない父は、
あのチーパオの話をよくする。
その度に、私はちょっと切なくなる。


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でも、父の思い出の中で
私は、紅いチーパオを着て
元気に日本に旅立って行った娘のままで
それでいいと思ってるの。


追記:
私も娘の親となった今、

あの時の自分のことを思い出すと
違った意味での感情が込み上げてくる。
おやじら、ふざけんなよ!
よくやり過ごしたよ、15歳のあなた!







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チーパオじゃなくて、棉襖(ミエンアオ)なんですね。コメントで教えてくださり、ありがとうございました。今も思い出して切なくなるのは、15歳の自分より、自分が買ってあげた服で娘が嫌な思いをした父の気持ち(まぁ父は知らないのだけど)。あのチーパオ(だから、ミエンアオか)どうしたんだろう。父には申し訳ないけど、あの日以来、切なくなるから着たことなくて。実家にあるかなとこの間探してみたけど、なかったところをみると、若い頃に処分してしまったみたい。今なら着れるメンタル強いおばさんになったのに、父よ、ごめんね。