1泊2日広島旅行(5)平和記念公園
1泊2日広島旅行(4)からの続き
広島2日目は、平和記念公園にやってきた。
世界遺産に登録された
『広島県産業奨励館』通称・原爆ドーム。
爆心地から約160m、
爆風がほとんど垂直に働いたため
奇跡的に破壊を免れた建物だ。
今までテレビや本で
幾度となく原爆ドームは見てきたが、
実際、目の前で見ると、
戦争の悲惨さがずっしりと伝わってくる。
【平和の鐘】
すべての核兵器と戦争のない平和文化運動のシンボルとしてつくりました。
この鐘の音を、広島から、世界のすみずみまで響き渡らせ、全人類の1人ひとりの心にしみわたらせることを願ってます
そう書いてある。
夫と交代でついた。
多くの人が平和を祈り、折った千羽鶴。
資料館に入った。
広島で世界最初の原子爆弾が投下されたのは
十分理解していたが、一歩入ると
その現実が重くのしかかってきた。
今から74年前、
ここ広島で原子爆弾が炸裂したのだ。
高校生の時、
長崎原爆資料館を訪れたことがある。
その時も原爆や戦争の恐ろしさ、
平和のありがたみを感じたが、
高校時代と明らかに違うのは
子供のことを思う気持ちだ。
何度も胸が苦しくなる。
そして、外国人観光客の姿が目立つ。
今までハワイに行った時、
何回かパールハーバー観光ツアーに
申し込もうかと思ったことがある。
でも、踏み切れなかったのは
でも、ここに来て思ったのだ。
じっくり4時間ほど見て回り、
言い表せない多くの気持ちを胸に
夫と公園を歩きながら
きっと今日も広島で誰かが
あの平和の鐘を鳴らしているはずだ。
きれいごとかもしれないけど、
戦争のない平和な世界になることを
心から願わずにはいられない。
↓更新されました!
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
この広島に原子爆弾が投下された日から、22年後に私は生まれている。たった22年後にだ。そのことを考えると、とても信じられない気持ちになるが、子供時代を振り返れば、友達の多くは祖父を戦争で亡くしていたり、戦争がまだ身近なものだった。
広島を訪れたことによって、改めて戦争の悲惨さ、平和の大切さを感じた。今年の終戦記念日、私はテレビに映る平和記念公園を見たら、今まで以上にたくさんの感情が込み上げてくるに違いない。
広島2日目は、平和記念公園にやってきた。
世界遺産に登録された
『広島県産業奨励館』通称・原爆ドーム。
爆心地から約160m、
爆風がほとんど垂直に働いたため
奇跡的に破壊を免れた建物だ。
今までテレビや本で
幾度となく原爆ドームは見てきたが、
実際、目の前で見ると、
戦争の悲惨さがずっしりと伝わってくる。
【平和の鐘】
すべての核兵器と戦争のない平和文化運動のシンボルとしてつくりました。
この鐘の音を、広島から、世界のすみずみまで響き渡らせ、全人類の1人ひとりの心にしみわたらせることを願ってます
そう書いてある。
夫と交代でついた。
多くの人が平和を祈り、折った千羽鶴。
資料館に入った。
広島で世界最初の原子爆弾が投下されたのは
十分理解していたが、一歩入ると
その現実が重くのしかかってきた。
今から74年前、
ここ広島で原子爆弾が炸裂したのだ。
高校生の時、
長崎原爆資料館を訪れたことがある。
その時も原爆や戦争の恐ろしさ、
平和のありがたみを感じたが、
高校時代と明らかに違うのは
子供のことを思う気持ちだ。
何度も胸が苦しくなる。
そして、外国人観光客の姿が目立つ。
今までハワイに行った時、
何回かパールハーバー観光ツアーに
申し込もうかと思ったことがある。
でも、踏み切れなかったのは
でも、ここに来て思ったのだ。
じっくり4時間ほど見て回り、
言い表せない多くの気持ちを胸に
夫と公園を歩きながら
きっと今日も広島で誰かが
あの平和の鐘を鳴らしているはずだ。
きれいごとかもしれないけど、
戦争のない平和な世界になることを
心から願わずにはいられない。
↓更新されました!
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
この広島に原子爆弾が投下された日から、22年後に私は生まれている。たった22年後にだ。そのことを考えると、とても信じられない気持ちになるが、子供時代を振り返れば、友達の多くは祖父を戦争で亡くしていたり、戦争がまだ身近なものだった。
広島を訪れたことによって、改めて戦争の悲惨さ、平和の大切さを感じた。今年の終戦記念日、私はテレビに映る平和記念公園を見たら、今まで以上にたくさんの感情が込み上げてくるに違いない。
コメント
コメント一覧 (85)
結婚してから、小学生の修学旅行以来に、久しぶりに原爆資料館に訪れました。
外国の方が多かったのに驚きました。
小さいお子さんと一緒のご家族連れの方も多く…。
展示が終わって、自由にコメントを書けるノートに「深く申し訳ありません」と書かれていたのに衝撃を受けました。
おそらくご自身は直接加担していないであろうのに、戦争の加害国として、そのような意識を持っておられるんだ、と。
ブログにも書かれていますが、平和な世の中の暮らしに慣れてしまった私達が、ハワイやサイパンを訪れたときに、日本人がしてきた事を改めて思い起こそうとする人はあまり多くないのではと思います。
戦争を知らない世代こそが、より歴史のことを深く知り、二度と繰り返してはならないと思いました。
カータン
がしました
ほんまに平和な世の中になってほしい。不満あっても愚痴ってスッキリ\(^o^)/ってなれたらいいのに。
カータン
がしました
このような外交ができる総理がこの数十年間いたでしょうか?
日本国民として誇らしく思えます。
「戦争をしない」というのは、優れた外交(話し合いという駆け引き)と武器戦力の保持(戦争を仕掛けられないための威嚇)無くしてはあり得ません。
私たちが「戦争は嫌だ」と言っても、仕掛けてくる輩は必ずいます。
そもそも、そんな輩に仕掛けられた戦争だったのですから。
21世紀のいま、核爆弾を落とさずとも 宇宙・サイバー・スパイ・移民で国を乗っ取れる状況です。
日本の本当の歴史を、自分でもう一度調べてみませんか?
私もつい最近までなにも知らなかった。
真実はネットにもたくさんあったのに、見ようとしなければ見えていなかったことに頭を殴られたような衝撃でした。
カータン
がしました
ガイドブックにはない話がたくさん、この公園は盛土をして今は緑豊かな公園だけど、下にはあの日亡くなった方、こわれたもの、焼け尽くされた街がそのまま埋まってるから、「歩かせてもらう」と思ってくださいね、という言葉が胸に迫りました。行ってよかった。実際体験された語り部ガイドさんはどんどんいなくなります、みなさんにも機会があれば是非訪ねてほしい場所でした。
カータン
がしました
広島市民の方々が来てくれてありがとうとコメントしているのを読んで、あの時の私と同じ気持ちなのかなと…
ずっと遠いアウシュビッツへは行ったのに広島長崎沖縄へは行けていません。
次の旅行では是非行こうと思います。
8月には毎年、横山秀夫さんの出口のない海、荻原浩さんの僕たちの戦争を読もうと自分で決めていたのですが、ここ3年読めていなかったです。
今年からまたちゃんと読もうと思います
カータン
がしました
私は祖父が南方で戦死しています。
当時まだ小さかった父は祖父の顔を覚えていないと言っていました
私たちが10代の頃、もっと戦争にまつわる書籍なども多かった気がします。
まだ記憶を持つ人々もたくさん存命で、戦争体験はもっともっと生々しく存在していたと思う
繰り返さないためにも薄れさせてはいけない、と改めて感じます。
カータン
がしました
ほとんどの人が戦争を知らない今の時代、平和なのはとてもいいことですが、戦争の恐ろしさを知らない人も多いのではないかと思います。
世界中もっともっとたくさんの人々に広島を訪れてもらって、戦争の痛みを心に刻んでいって欲しいです。
カータン
がしました
そしてここにコメントしている全員の方に、いいね!を押したいです。
日本はもう二度と戦争はしないと誓い、憲法にも第一義的に記されているのですよね。
なのにアメリカから押し売りされるまま、高額の武器や軍用機を買う日本政府には憤懣やるかたない思いです。
いつか、世界の全ての国から軍隊がなくなることを願っています。
カータン
がしました
カータン
がしました
私もだいたい1~2時間で見ますが、展示が新しくなってからはまだ行ってないので近いうちに行こうと思っています。
カータン
がしました
焼け焦げた広島の町や、被爆して服や肌がボロボロになって彷徨う実物大の人形や
爆発で壁に影だけが残った人など、衝撃的で、怖かったです。
米軍機が上空を飛ぶところに住んでいるので、家に帰ってからも、米軍機の轟音がすると
子供だった自分は爆弾落とされたらどうしようと怖くてたまりませんでした。
戦争は、それにつながることだけは何があってもダメなんだと子供心にしっかり刻まれました。
焼け焦げた広島の町をさまよう実物大の人形は、なんと安保法制の頃に撤去されることが決まってしまったとか…。
後世に伝えていかなければならない悲惨な出来事が一目でわかるあの展示がなくなってしまったのはとても残念です。
カータン
がしました
カータン
がしました
広島の話題だけど長崎の資料館のことも紹介させてください。
長崎の原爆資料館に5~6歳の男の子が背中に赤ちゃんを負って気を付けをして立っている写真があります。彼が背負っているのはすでに亡くなっている弟の亡骸で火葬の順番を待っている様子を撮ったものです。
撮影者はアメリカ人でその時の心情も書かれています。
有名な写真なのでググればすぐに出てくるとおもいます。
あの写真一枚をみただけでも戦争や原爆の記憶は語り継がねばならないと思います。
カータン
がしました
他界した両親、祖父母共に被爆者です。103歳の祖母は健在ですが今も8月6日の事を話したがりませんが、曾祖父が原爆で亡くなり未だに遺骨も見付かっておらずその事と、原爆により放射線を浴びてる為にうつるのではないか?といういじめや差別を受けて来た事だけは話をしてくれます。
広島でも今では平和学習がない学校も増えてると言います。成人した姪や甥に聞いても8月6日登校日ではなく平和学習も無かったと言います。たった一発の投下で一瞬で街が変わり人生まで変わる。平和がいかに大切か、戦争がいかに悲惨かもう一度知ることも大切なんじゃないのかな?と思います。
カータン
がしました
カータン
がしました
益々好きになったわ。
カータン
がしました
カータン
がしました
スピーチを終えたオバマさんが被爆者の皆さんに歩み寄り、言葉を交わし優しく抱きしめる姿を見て私は本当に感動しました。
戦争中は敵同士だったけど、お互いに努力して歩み寄り、今のような関係を築き上げた日本とアメリカ。
これからもずっと平和なお付き合いが続きますように…
カータン
がしました
現地の知り合いの方が案内してくれていて、資料館に入るときににこやかに寂しげにそうおっしゃいました。
戦争とかまだあまり分からなくて中もちょっと怖いなくらいしか覚えていないのですが、なぜかそこだけよく覚えているんです。
大人になってから改めてちゃんと見に行きたいなと思いますね。
知ることって大事ですよね。
カータン
がしました
関東地域出身同期の子たち、平和学習なし、8月6日は登校日じゃないよと聞いて少しショック受けました。
広島だけだったのかと。
広島を離れても毎年あの時間を忘れず黙祷しています。
カータン
がしました
私がまだ子どもの頃は繁華街には傷痍軍人が佇んでいらっしゃいました。また8月6日は夏休みの登校日でした。町の集会所には原爆のスライドがやってきましたし、まだ周りに被爆者がいらして、原爆投下の事実は改めて考えるものではなく身近に感じるものでした。
そろばん教室の先生も被爆者でした。8月6日には生徒を集めて被爆体験を聞いて「原爆許すまじ」を歌ってお菓子をいただいて帰ったものでした。
今の時代は私の子どももですが、同じ広島に住んでいても資料館に行ったこともない子が多いです。
悲惨過ぎて見せられないと言う意見もあるとは思いますが、ある程度大きくなったら平和教育の一環として見せてやって欲しいと思います。
そういう私も被爆二世です。父は黒い雨を浴びました。
その影響かどうかはわかりませんが、私は癌になりました。(広島は癌の罹患率が高いのですが、その分寛解率も高いのです)
これから広島に来られる方。広島は大して見るところはありませんが、是非平和記念公園だけはおいでくださいませ。改めて平和の大事さ、命の尊さ、核兵器廃絶について認識されることと思います。
カータン
がしました
カータン
がしました
うちの高2中2の息子たちは小6の修学旅行で行きました。私たち親はまだ行けていないのですが、いつかは行かなくてはいけない場所だ、と思っています。
でもカータン夫妻のように絶対泣く自信があります(;_;)
高2の息子が行った後に資料館が整備の為に2棟中1棟が工事となり、
両方見れたら良かったな
両方見たかったわ
と、兄弟で話し合う姿を見て、きちんと感じ取っているのだな、と胸が熱くなりました。
長男は中学校の修学旅行で沖縄のガマにも入りました。
ある意味、私よりも戦争に関する勉強をしているかもしれません。(私は土地柄…💦)
ただ怖い、ではなく、きちんと歴史を知らないといけない、特に今だからこそ。
日本は戦争をしないし~では無く、
なぜしなくなったのか。そこにある真実を知ることは必要な教育だと思います。
カータン
がしました
チベット・ウイグルでは現在進行形で民族浄化が行われ核実験が平気で行われています。
子供たちの未来を本気で考えるなら、平和がどうやったら保たれるのか、本気で考える時ではないのでしょうかね。
コメントを読むと不安でいっぱいになります。
カータン
がしました
本当に広島と長崎の原爆資料館は訪れて欲しいと思います。
そして、知覧や九段の遊就館にも特攻隊や出征する兵士の皆さんの遺書が残されています。
思わず涙が落ちましたがショーケースには同じような涙のあとが幾つか落ちていました。
それを見てなにを感じるかはそれぞれですが、でも日本がかつて経験したこの戦争を「知らない」と言うことは恥だとおもいます。
カータン
がしました
外国人観光客のかたがたが本当に多いですよね。
特に、欧米のかたたちが毎日数多く訪れてくださいます。
クチコミで広がっているそうです。
訪れるべき場所だと。
原爆投下されたのが、数十年前のことだなんて信じられませんよね。
私は子供の頃から、被爆者のかたのお話を聞かせてもらう機会が沢山ありました。
私が小学生の頃、ある男性被爆者のかたが『私は、産婦人科と小児科以外のすべての科を受診しているんですよ。全てを受診しなくてはいけないんです。』とお話されていたのも、とても印象に残っています。
パールハーバー、何十年か前に、現地に住む伯母に連れて行ってもらいました。
まだ幼い男の子に『ママ!日本人が来ているよ!』みたいなことを言われましたが、男の子のお母さんが直ぐに『そんな事を言ってはダメよ』みたいな事を言われていました。
パールハーバーでも、戦争の悲惨さ、平和の有り難さがひしひしと伝わって来ました。
広島に来てくださるかたには、平和記念公園、原爆資料館には是非足を運んで頂けたら・・・と思っているので、カータンご夫妻に訪れて頂いて、沢山の事を感じ取ってくださって、本当に嬉しいです。
カータン
がしました
私も体が動くうちに改めて広島へ、そして原爆資料館へ行こう、と思いました。
東京でも東京空襲の写真展に行ったことがあり、
空襲で溶けた人の影が階段に焼き付いている写真、
木炭のようになってしまった亡骸の写真など、
すごくショックを受けましたが、歯を食いしばって最後まで見ました。
見たからって私に何か大きなことができるとは思いません。
でも一人一人が知ること、そして誰かと語らうことが大事なんだと感じます。
カータン
がしました
近年は海外から来た方々も多く、欧米の方は神妙な面持ちで居るのに対し、アジア圏からの旅行者の方々は比較的気楽に観ていると言った雰囲気があります。
欧米の方は感受性が高いのでしょうか
カータン
がしました
毎年全校登校日で平和集会やってましたし。(今は学校によります。前代未聞の文科省(当時は文部省かな?)の是正が入って以来 自粛、縮小傾向)
原爆記念日の平和記念式典は 広島では延々と中継されますが 関東ではすぐに終わってしまうイメージ。
逆に 東京ではずっと中継されてた東京マラソンが 広島ではすぐに放送終わってしまってびっくりしました。市民ランナーが面白いのに!って。
カータン
がしました
旅行記、ありがとうございます
私は高校の修学旅行で広島に行きました。原爆ドームも行きました。
その時、戦争の恐ろしさを知りました。涙を流す同級生もいました。
今の高校は海外に修学旅行へ行く事が多いと聞きます。まずは身近な日本で感じて欲しい。そう思いました。
カータン
がしました
あと戦争を実体験された方のお話も聞きました。
色んな国の方に実際見てもらうのはとてもいいと思います。戦争の本当の怖さや悲惨な状況を
少しでも若い世代に伝えていってほしいです。
教科書では伝わらないですし、
広島や長崎に訪れて後世に伝えてほしいです。
夏休みの宿題で戦争を体験した方から話しを聞いてどう思ったか作文にするのがあって、
祖母に聞いた記憶は今でも忘れられないです。
実体験した方ももう少ない時代になってきて寂しいです。
特攻隊の資料館行ってみたいです!
カータン
がしました
日本人なら必ず来るべき場所だと思います。
平和を学ぶには、現実を知ることから目をそむけてはいけないと思うのです。
今話題の丸山議員、ここに来たことないのかしら。
ここに来て現実を知れば、戦争というものがどんなに残酷で非道なものか、そして自身の発言がどれだけ愚かなものかがわかるはず。
カータン
がしました
背けるのは別にいいんですけどね。
スターバックス、マクドナルド、ディズニー
など有名企業の一部の資金はミサイルや戦争の資金になります。
自分が払ったお金で人の命を消している。
そう思ったらお金を使うところも考えられないかなと思います。
消費者は買うところを選べるんだから。
カータン
がしました
東京にきて、他の地域では平和教育を受けた経験が少ない方が多い事に驚きました。
戦争の話を真剣にするとちょっと奇異な目で見られたこともあり、温度差にびっくりしました。
本当は広島長崎以外の方にも平和について学ぶ機会をもっと設けてもらいたいなと常々感じています。誤解を恐れず言うと、知らないことは時に罪になるとさえ思うこともあります。
楽しい旅行の貴重な時間を平和について考える時間として割いてくださって、広島生まれの1人として感激しました。
カータン
がしました
昭和最後の生まれですが、教科書で習った戦争の悲惨さがショックで当時ご飯も食べられなくなりました。
戦争はいけません。
国同士の問題を武力行使せずに解決するのが本当の政治家だと思います。
世界平和を願っています。
カータン
がしました
本当にそう思います。
ブログで語ってくださったことに感謝します。
カータン
がしました
小学校6年生の修学旅行で原爆資料館に行きました。
当時は全く耐性がなく、目を伏せてビクビクしながら友達と回っていたのですが…
(なので止まった時計や溶けた瓶、破れた服、壁に写る影くらいしか思い出にありません)
なんとなく顔を上げた瞬間に見えた怪我をした子供を抱えて助け?病院を探す親、の写真が未だに脳裏に焼き付いております。
あれから何十年もたち、我が子は中学生。
戦争だけはしてはいけないんだと、今回の内容で改めて強く思いました。
ありがとうございます。
カータン
がしました
テレビでは幾度となく目にする機会はありましたが、実際に目の前にすると胸に迫ってくるものがあり、自然と手を合わせてしまいました。
また、広島の街全体が祈りの場になっているような印象を受けました。行って良かったです。
カータン
がしました
原爆資料館を訪れ戦争を目の当たりにした時、今までの自分がいかに原爆という事実が他人事だったか… ハッとしました。
授業で習っていても、父母や祖父母に話を聞いていてもどこか遠く、
昔の話でしょという感覚だったのです。
カータンの仰るとおり、昔の話ではない… 遠い国でもない…
自分が住んでいる日本…
あの時、広島にも行かなくてはならない…と思いました。
まだ実現していませんが、必ずや手を合わせに行きます。
カータン
がしました
カータン
がしました
パールハーバーは、中学の時に行きましたが、全く知識なく行ったので、つまらないなーと思った記憶しかなくて。もう一度行きたいです。
世界中の人が平和の尊さを知って願ったら、平和になるはずなのに。
カータン
がしました
カータンと同じく涙が止まりませんでした。
ぜひ、広島もいってみようと決めました。
ありがとうございます。🙇
心から世界の平和を願います。💓🙂
カータン
がしました
子供を持つ親になってから、もっときちんと見ておけば良かったと後悔しております。原爆ドームもリニューアルする前に見ておきたかったです。
子供が生まれてしまうと、なかなか、気軽に遠出できないものですね・・・
カータン
がしました
こどもを
カータン
がしました
カータン
がしました
原爆資料館や特攻隊資料館に行くと日本の方より海外の方の方がよく見かける気がするねっと…
我が家が平日休みで土日に行かないせいもあるんだと思うのですが…
先日、若い女の子が「焼夷弾」の文字が読めずにいてオバチャンの自分は「しょういだんですよ」って後ろから話しかけてしまいました。
自分が子供の頃はドラマも戦争が身近だったセリフが多かったですよね
「あの子が生まれた時貴方はまだ戦地だったわね」
「その色のコートは兵隊さんを思い出すから着るな」
みたいな…
森繁さんや水前寺清子さん山岡久乃さん…そんな方々のドラマだったと思います。
そんな幼少期だったせいか戦争をそんなに昔とは思えませんでした。
資料館は気持ち悪いっという方もいらっしゃいますが唯一原爆を受けて1番核廃絶叫ぶ権利のある国民として知っている方が良いと思います。
そして…特攻隊資料館でどれだけ日本人も愚かな事をしてたのか人の命の尊さを軽んじてたかも知らない人がいるのなら知って欲しいです。
しつこく2度もコメントしちゃってすいませんっ。(>_<;
カータン
がしました
広島生まれの広島育ち。
カータンのブログの通り、広島の街では、赤ちゃんから、老夫婦までもが、
赤いユニフォーム、カープTシャツを着て、野球観戦へお出掛け💕
その光景は、
「あぁ✨今日も平和だな〜」そして、「平和って、なんて尊いんだろう」と輝いています!
今を生きる私たち一人一人の平和を願う心が、その意思こそが、
子供達の未来の平和を作っていくことでしょう。
4月にリニューアルした原爆資料館、まだ行っていないので、近いうちに行きます!!
カータン
がしました
いつも引き込まれるブログに9才の娘と夢中です!
日々の楽しみです♪
広島生まれ、広島育ちの40代です。
広島のこと、大切に書いて下さり気持ちがとても温かくなりました!!
ありがとうございます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
宮島も大好きで年に数回は行きます。
平和祈念資料館も今年はリニューアルしたと聞いたので子どもたちと行きたいと思っていました。
両親や周りの人の姿を見ていると、カープのおかげで、戦後も災害後も広島は元気をもらっているような気がします。
まだまだおススメ☆スポットや食べ物が盛りだくさんの広島にぜひまた来てくださいね!!
カータン
がしました
前世で何かあったのか?と思うほど戦争のお話は涙がとまりません
元ちとせさんcover、死んだ女の子
https://m.youtube.com/watch?v=bMyKXOANT_8&list=PL1BNipQkJWgMS4ENIKkNcum9JcymPEf2o&index=3
山岸凉子さんの漫画、夏の寓話
広島のお話。メッセージソング(作品)です。
カータン
がしました
非暴力で解決の道を、遠回りでも地道に進むしか無いと思います。
暴力を容認してはいけない。
カータン
がしました
私は学生時代、ホロコーストに行ったことがあるのですが、あの場所も同じ第二次世界大戦の負の遺産として、非常に重い意味を持つ場所だと感じました。
その時印象的だったのは、あの辺りの国の子どもたちは小〜中学生頃に必ず、ホロコーストを訪れて歴史を学ぶのだという話でした。かなり衝撃的な資料がたくさんあるのですが、それを結構小さな子どもたちにも隠さず見せているのです。
「知らなければ、過去は繰り返す。感性がなるべく若いうちに直接目で見て学ぶことがとにかく大事なんです。」とガイドさんが言っていましたが、その通りだと思いました。日本も、申し訳程度に教科書に書くだけではなくて、修学旅行とか何かしらの機会に実際に子どもたちが見て・感じる機会があったらいいなと思います…
カータン
がしました
カータン
がしました
広島といっても岡山寄りなので平和記念公園には二度ほどしか行っていませんが…。
しかし、小中学生の頃は平和学習が多く8月6日には登校日となっており大人になって他県では登校日ではないことに驚きました。戦争反対の歌や平和を願う歌、沢山習い、今も歌えます。40代…。
カータンさんが、このように平和の大切さ伝えて下さって嬉しいです。また遊びにきてくださいね。
カータン
がしました
現在の憲法の素晴らしさはここにあります。
長崎も広島も、学校で1年かけて勉強をして修学旅行で訪れたのですが、ほんとうに戦争だけは二度と繰り返してはいけないという思いが駆け巡りました。
周囲には被爆3世の同級生もいました、そういう
環境で生活ができたことに今は感謝しています。
かつて沖縄出身の彼氏と付き合った際にも、
沖縄戦の悲惨さを若い世代の彼も語れる事実に
私はある意味打ちのめされました。
戦争はだめだけど、戦争放棄につけ込み攻撃してくる言葉が通じない輩もいるんだから、最終手段としてはあり等とほざく連中は、真の平和は望んでませんよね。
日章旗バックに改憲を訴える国家元首の映像が出回ってますが、
スケールの小さいヒトラーのようでした。
カータン
がしました
夏休みの8月6日は学校で平和授業
小学校の修学旅行は長崎と
小学1年生の頃から原爆の悲惨さを
映像や写真でたくさん見てきました。
ただその頃は恐怖しか感じず
戦争というものに向き合って考える
ことはなかったです。
確かに幼少期の時はただ見せるだけでは
いけないように思います。
カータン
がしました
しかし、話し合いでは埒が明かない相手や、話し合いでまとまった物をいとも簡単に覆すような暴君がいるのもまた事実です。戦争をしない国という看板を掲げるのは素晴らしいことだと思いますが、そこにつけこんでくる輩もいるのです。
誰だって戦争はしたくありません。が、戦争=悪というのも私は違うような気がするのです。国民や国益、日本の未来を守るために立ち上がらなきゃいけないこともあると私は思うのです。もちろん最終手段ではありますが。
かつて戦争で亡くなった人達の上に今の平和な日本があるのだと私は思っています。
カータン
がしました
広島旅行満喫記……っだけじゃなかったんですね。
自分は長崎や広島の資料館はリニューアルされる前から訪れてますが……
出産してからは、特攻隊資料館の方で号泣する様になりました。
鹿児島の知覧と知覧に比べると規模は小さいけど福岡の大刀洗にあります。
観光を兼ねてなら鹿児島がお勧めですが大刀洗も足をのばせば博多を満喫できます。
呉まで行けば大和ミュージアムもありましたね。
バイト先の若い女の子がその手の資料館に行くとトラウマになりそうで行けないっと言ってましたが…カータンの様な発言力のある方が声を大にしてくれると嬉しいなぁ…なんてふと思いました。
ちょっと真面目な話しの上に長文コメントっ失礼致しましたっ(;゚Д゚)!
カータン
がしました
想像を絶する光景の数々に気持ち悪くなったけど、何とか最後まで見たこと、とにかく世界中の人が訪問すべき場所だ、と何度も熱く語っていました。
今日の漫画とホストブラザーの言葉が重なりました。
カータン
がしました
カータン
がしました
日本人と同じくらい外国人の来館者が多かったのを覚えています。
表現が間違ってるかも知れませんがこんなに多くの外国の方に興味を持って頂いているのを嬉しく思いました。
カータンのパールハーバーに対する気持ちも共感出来るし私もそんな風に思っていたけどもしかしたら外国の方々も私が原爆資料館で感じたように感じてくれるのかもしれないですね。
カータン
がしました
へぇ〜 って感じですが、自分が生まれる35年前に戦争終わった、って思うと、
え?生まれる35年前⁉︎ 割と最近やん!とビビります。私の父母に至っては、生まれる五年前とかに終戦しているわけで…
大人になって当時の同世代の女性たちに想いを馳せると、胸が締め付けられます
夫が兵隊行っちゃって、空襲に怯えて、小さい子がいるのに食べ物もなくて…
若い人にはわかりにくいんだろうなぁ
戦争を起こさないためにはカータンや私が感じたような、共感力も大切と思いました
カータン
がしました
まだまだ、心の構えがなく(かなり心を持っていかれる為)広島の資料館も埼玉の丸木美術館も行けてはいないのですが、いつか家族で訪れなくてはいけない場所だと思っています。
御主人様の言うように各国の指導者にこそ訪れてほしいです。
カータン
がしました
自分の子供たちにまず伝えなければいけないですね。
カータン
がしました
長崎へも行けてない渡し。
反省よ。
カータン
がしました
同じみるなら昔のほうがより原爆の恐ろしさをしることができた気がします。
戦争って本当にいけないと思うのに 同じ日本語で例の議員は・・・ なさけないですね。
広島たんのしていただけて とっても嬉しいです。
カータン
がしました
月並みな言葉ですが、早く平和な世の中になることを願っています。
カータン
がしました
私は広島生まれの33歳、現在関西在住です。
小学生の頃から社会科学習で原爆資料館に行ったり、毎年8月6日8時15分にはサイレンの音が町内に響き、黙祷を捧げてきました。
関西に移住して、8月6日のサイレンを聞くことがなくなり、気付いたらその時が終わっていた…なんてことが何度もありました。
同じ日本でも住む場所が違うだけで、原爆への関心がこうも違う事に、自分でも驚いています。
私は2児の母ですが、子供達が年頃になったら、広島に連れていきたいと思っています。
戦争の事、原爆の事。
私は戦争体験者ではないけど、伝えなきゃいけない使命を感じています。
広島の事、記事にしてくださってありがとうございます!
カータン
がしました
資料館…入る前…ダラダラしてた息子が、真剣に展示を見て…顔つき変わって、出てきました。
色々と考えさせられたようです。
原爆投下の日。
広島の街の雰囲気が…変わると…
旦那が話してました。
旦那も思わず…手を合わせたと…
絶対!忘れては、いけない事ですよね。
カータン
がしました
カータンさん
歌さんのブログに登場してから
拝見してます。
歌さんと組合が一緒で僕はFTMになります
僕も2年前に原爆資料館に行きました。
テレビや教科書でしか見た事のない
原爆ドームを見たときは言葉が出ずに
無言になりました。
資料館では貞子さんの鶴を見た時は涙が出て
こんな経験は二度と起こしては行けないし
世界中の国を守る人は訪れて
生で実際に起きた事を見て欲しいと感じました。
カータン
がしました
10年ほど前に、アメリカの高校時代の友達2人が初来日した時に初めて広島に行きました。
私以上にアメリカ人の彼らが熱心に丁寧に原爆ドームや資料館を見学していました。
その時のことをカータンのブログで思い出しています。
今月、アメリカに行き、同窓会してもらいます。
彼らとヒロシマの話しようっと😊
カータン
がしました
自分がこの歳になると、たったの26年です。。
戦後を支えて来た親世代を思うと、年老いた
親を尊敬せずにいられません。 そして私にも
カータンと同じ様な年齢の子供がいます。
大学2年と中1です。 この子達が親になる頃に
戦争が無い国であって欲しい! 語り継ぐべき戦争
の話。自分が子供の頃は毎年毎年戦争の話って
思ってたんです。でもそうじゃないんですよね
戦争体験の無い世代になったら、どこかの馬鹿な政治家
みたいに、戦争で北方領土を取り返さないと
なんて言いだしかねません泣
カータン
がしました
綺麗事でもたまに言い合うことって大事ですよね。
(戦争)やっちゃうしかないんじゃないですか?…
なんて、ペロッと言っちゃう議員とか
ゲームの世界みたいなモンだと思ってる若者とか
時代の空気が、その思想も個人の自由だ。みたいになってるけど、ダメなもんはダメ‼️と
言い合う確認作業。時にダサいとか思われがちで
勇気がいるけどカータンさんが言ってくれて嬉しい😃です♪
また、広島の子供達は学校でみんな勉強するって
広島から上京した若者に聞いた事があります。
それ、全国展開するべきだと思いました。
長々とすみません😅
カータン
がしました
カータン
がしました