【高齢な親の話】東日本大震災から今日で9年
今日、実家に行ったとき
テレビから流れてきたニュース。

父はしみじみと言った。

あなたからの電話を切ったママから、
すぐに言われた。

すぐにあなたの家に、向かったんだ。

しばらくして、ママと竜ちゃんが帰ってきて

パパは、安心して家に帰ったんだ。

そうだったね・・・
9年前は、
いろいろパパたちに助けてもらったわね。

私がそう言ったら
母がひょっこり現れ、そして、言った。

それは、失礼しました〜。
【お知らせ】予約開始しました
4月25日に新刊が出ます。ブログ内の「高齢な親の問題」カテゴリの作品を中心に、体に不自由は出てきたけど、ガッツリ介護が必要というレベルではない、そんな『健康以下、介護未満』な親との付き合い方を書いてます。新規描き下ろしも満載で、プロの認定介護福祉士さんとの対談もあります。
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「まだ元気で・・・」に抗議してくるほど、母も父も元気でした。でも、別の意味で、あの頃は元気元気で、ほんとにテキパキといろいろ助けてもらったんだなぁと改めて思いました。
テレビから流れてきたニュース。

父はしみじみと言った。

あなたからの電話を切ったママから、
すぐに言われた。

すぐにあなたの家に、向かったんだ。

しばらくして、ママと竜ちゃんが帰ってきて

パパは、安心して家に帰ったんだ。

そうだったね・・・
9年前は、
いろいろパパたちに助けてもらったわね。

私がそう言ったら
母がひょっこり現れ、そして、言った。

それは、失礼しました〜。
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「まだ元気で・・・」に抗議してくるほど、母も父も元気でした。でも、別の意味で、あの頃は元気元気で、ほんとにテキパキといろいろ助けてもらったんだなぁと改めて思いました。


コメント
コメント一覧 (36)
平成は 多かったですね。
子供のころ、日本が あんな悲しい風景になること 予想もしてなかつたです。被災者の立場で、
どうしてこの場所が、子どもはまだ
生まれてまもないのに
どうしよう?不安の中の育児でした。 カータンは 共に子育て頑張って仕事も介護も頑張っている
ママさん。
今のまま、頑張ってくださいね
カータン
が
しました
波がすぐそこまで来て、おんぶされていた弟の落ちた靴が一瞬でさらわれて行ったのを覚えています。
あの時は小さくて何も分からなかったけれど、本当にたくさんの方々に支えてもらって、感謝しかありません。
何より親は、小さかった私達を守ってくれた。両親がいなければ、今の私たちはいませんでした。
自分語り失礼しました。震災で亡くなった方々に、心からお悔やみ申し上げます。
カータン
が
しました
私にはは7つ離れた息子が二人います。
今は下の子が幼稚園年長。
両親に助けてもらいながら仕事をしています。
でも最近、両親の足が悪く思うように歩けなかったり、物忘れがひどくなってきたり。
心配しています。
重ね合わせて、涙しています。
いつまでも元気でいてほしいですね。
カータン
が
しました
我が家もうちの両親が食材持って来てくれたり、子供預かってくれたり大活躍でした。
今じゃアルツマイマーの母とパーキンソン病の父。
9年て大きいと痛感です
カータン
が
しました
カータンより一世代上の私は、震災の2ヶ月前に父を亡くしました。母はその2年前。末っ子が大学に入る直前で、みんなほぼ大人だったため、家族内で多くの混乱はありませんでした。大学から徒歩で帰宅した息子だけが大変だったぐらい。6ヵ月だったねこ1?が、落下物を避けてしばらく出て来なくて、心配しました。トラウマになってしまったかも…
子供たちが小さい頃は、元気だった両親にものすごく助けられました。子供は私1人、でも孫は3人育ててくれました!感謝の気持ちは生涯忘れません。
霊視してもらったら、2人とも震災で亡くなった人たちを天国に送る役目をしているとのこと。これは
悲しんでいた私にとって、何よりの慰めになりました。全ての方々の霊がもれなく昇天・成仏されていると信じたいです。
ご両親さま、お姉さまを含めてカータンファミリーが大好きです❣️不変のものはないけれど、穏やかな日々が長く続くよう、心からお祈りしています。
カータン
が
しました
慌てての行動でしたが本棚が倒れたら大変な事になってたわ~。
息子達は別々で池袋に行っていて、次男は状況を察してか冷静にまだ混乱する前に動いていたバスに乗って普通に帰宅。
長男はビルや電柱が揺れるのを見ながら池袋駅の混乱や街の様子を観察(?)していたら帰れなくなり、徒歩で夜帰ってきました。
同じ兄妹でもこんなに違う行動をするもんだと感心しました(^^;)
当時の家族ひとりひとりの事が鮮明に思い出されますよね。私も40代だったんだよなぁ~。
カータン
が
しました
私は阪神・淡路大震災も経験してますが、あの時のことを鮮明に覚えてるのに、人生のうちで二度もこんな大きな震災を経験するなんて…
そして今回のコロナ。私は看護師なのでライブどころか友達に会うのも控えてます。
自分が感染して勤務する病院が外来休止になったら大問題ですから…
本当に早く終息してほしいですね。
カータンさん、コロナが終息したら是非、全国行脚して全国のファンに会いに来て下さいね。
楽しみに待ってます。
カータン
が
しました
地震も津波もコロナも全て他人事です。
今まで一度も被害に遭った事はないです。
これからも被害はないでしょう。
住む場所ですよ、やっぱり。
カータン
が
しました
9年前は、父親が脳梗塞の後遺症で半身不随になり、寝たきり1年目。
北海道も揺れたり、浸水の被害が出た地域がありましたが、テレビを観て「こんな大地震や津波が起きても、父親を見棄てて逃げられないな」と半分諦めの気持ちで思っていました。
原発がああなり、放射能の不安もありましたし…。
母も今よりテキパキしてたなあ。
大人になってからの一年はあっと言う間に過ぎてしまいますが、積み重なる年月は、やはり変化を感じざるを得ません。
カータン
が
しました
しみじみ、同館です。
カータン
が
しました
親だけじゃなく、自分たちも、老いることは確実なんだけど…何だか複雑と言うか、切ないと言うか…
でも、カータンさんのご両親はまだまだお元気!
愛に溢れて一生懸命なところが、魅力的です!
カータンさんもお姉さんもご主人も娘さんたちも
素敵です。
東日本大震災から9年も経つんですね。
あの日は関西にいる私も揺れを感じました。
カータン
が
しました
うちも、震災、原発事故により突然家を追われ、着の身着のままで避難。当時は、避難所もいっぱいだったため、普段は二人暮らしのうちの実家に、
私達家族4人と、義兄夫婦と未婚の姪、既婚の姪家族(赤ちゃんまでいました)と計10人が身を寄せ、しばらくは12人で生活。あの狭い家によく住んでいたと思います。うちの母親も、黙ってみんなを受け入れてくれました。
母親は、こないだのトイレットペーパー騒動でも、何とかなる!とドンと構えオロオロして飛びついたりしませんでした。
親の愛ってすごいですね。多分、小学生の子らをコロナ疎開させてる方々も、今は仕事でいっぱいいっぱいでも、何年か経ってそのすごさを感じると思います。
カータン
が
しました
この歳になると9年ってあっという間ですね‼︎
あの頃の両親は元気だったな…って思う今
9年後には、あの頃の私たち夫婦は元気だったな…って思うのかしら
カータン
が
しました
カータン
が
しました
これからまた数年後に、あの頃は元気だったなぁ~と振り返る時が来るのだと思います
カータン
が
しました
元気 って意味が深いなぁ と改めて気づきますね!
子の立場からして、親が元気っていうのは
やはり介護要らずで…ってなってしまい勝ちですね。
カータン
が
しました
生まれたばかりの次男も9歳になりました。
TVでは津波や原発のニュースばかりですが、仙台市内でも我が家は全壊です。
ただニュースにならないだけで内陸でも家の倒壊や圧死もたくさんあったんですよね。
崩れかけた家から3歳&0歳を抱えて避難したことは今でもはっきり覚えています。
今でも一年に一度、義援金が振り込まれています。
義援金、支援金のおかげで今は新しく家も建てられました。
全国の皆さん、本当にありがとうございます!
かーたんのブログ内容とは少し話がそれてすみません。
カータン
が
しました
かーたんの家はまだお父様とお母様元気ですよ‼︎うちの母は今では一人で立つことも全くできないですし、施設で生活するようになって二年まちますが9年前は全然元気であっという間に状況が変わってしまいました。悲しいなぁ…今はコロナの影響で施設に面会に行くこともできず…元気してるかな
カータン
が
しました
いつかカータンのように恩返しが出来る様に
したいです!
また子供達にも親がしてくれたように
してあげよう
それも親孝行の一つかもと考えています
カータン
が
しました
9年て、長いのが短いのか。
震災の時は、多分警察官や消防士の方もそうだと思いますが大体の自衛官は家に居ません。
旦那は地震の直後から災害派遣やなんやで2ヶ月帰ってきませんでした。
その間、小学校の体育館に子供と避難して寝泊りしたり水もガスも電気も止まった家の片付けや掃除を母子で乗り切りました。
引っ越す前に住んでいた場所は津波でたくさんの方々が亡くなり、親子で毎日のように出かけていたところが黒い水に飲まれていくのをTVで見て愕然としました。
家族が揃って生きているだけラッキーだと思っています。たまにその感覚が薄れてしまうけど、何年経っても忘れないようにしようと、毎日を後悔しないよう生きていこうと思っています。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
津波や悲惨な状況をテレビで知るしかない私。
小1の娘は繰り返し流れるテレビの映像で情緒不安になり、慌てて消したり。
毎年、この日は胸が痛くなります。
カータン
が
しました
親心ってすごいですね。
カータン
が
しました
突然の地震に5歳の息子を抱きしめながら、TVに映る津波を黙って見るしかできなかったな…
カータン外出中だったんですね!
パパとママが助けてくれて良かったですね。
ぺーちゃん、竜ちゃんもおじいちゃんおばあちゃんが来てくれて心強かったと思います😊
カータン
が
しました
九年前 震災の日 母は 私たち家族をトラブルから守ってくれました。
その三年後に倒れて四年後に息を引き取りました。日々の生活の中で忘れていても、このような節目に思い出すものですね。
大きな震災に遇われた方々に、慰めがありますように
カータン
が
しました
私は末っ子で親が歳取ってからの子なんです。だから、親が認知症になるのが私にとっては早かったです。まだまだ子育ての事等、相談したり頼りにしたかったけど、もう自分の事も出来ない程になってしまいました。
でも、自分ではまだまだ何でも出来るおばあちゃんだと思っていて、長期休みの時などは、「1週間くらい孫を預かるわよ」なんて言います。もう、1人でお買い物も料理も出来ないし、5分前の事も覚えてられないのに🤣。
5年前はまだあれが出来たな、10年前はこんな事してくれたな、って悲しくなります。そして、これからもっと出来ない事が増えるんだよな〜って切なくなります😞。
あと5年もしたら、孫を預かると言ってた事も懐かしく思うんでしょうね。
カータン
が
しました
しばらくは電気をつけないと眠れないくらい怖かったのを覚えています。
何気ない日常に感謝しながら生きなければと改めて考えさせられますね。
カータン
が
しました
9年前は、三女を産んで育休中で、家の中で津波のニュースを泣きながら観ていました。何も出来ませんでした。でもニュース見て、帰ってきた旦那とその日の出来事をよく話してました。旦那は20代の頃に東北に居たので、俺がお世話になった旅館が、、と言ってました。
平凡な毎日が1番の幸せなんですね。
カータンにいつか会いたいな。
カータン
が
しました
それでも23時頃、会社の固定電話からようやく「大丈夫」と連絡がありホッとしました。
今回のウイルス問題で慰霊祭がなくなることにいろいろ意見が出ていますが、慰霊祭がなくてもちゃんと覚えています。悼む気持ちも忘れていません。神戸の震災も同じです。語り継ぎ忘れることはありません。
カータン
が
しました
311の日、両親がいて助けてもらった
のですね。
お母さんの、大丈夫という言葉が好き。
大丈夫な気になり安心する。
私も311の日、思い出があります
思い出してました。
災害、起こらない事を願います。
カータン
が
しました
速いですね💦 またあのような災害があったら、目の悪い実母を連れて逃げれるのか?と良く考えたりします。( ; ; )
いま穏やかに過ごしている時間に感謝です。
カータン
が
しました
私も若かりし親に救われた一人です。
親も歳をとり、自分も歳を重ねたなぁと実感する9年間です。
カータン
が
しました