【高齢な親の話】第2章⑮泣き虫ヒロシ炸裂 姉のメンタル崩壊寸前
からのつづき
父に薬を届け、
もうしばらく様子をみることになった。
その間にも
父からの電話はつづき・・・
1日1回が、2回となり
やがて、夜中にも電話が
かかってくるようになった。
せん妄も見られるが、
泣きの電話が増えていった。
30分ほど電話で話すと父は落ち着く
その繰り返しだった。
すると、施設のKさんが話してくれた。
同じ時期、ケアマネのTさんも
同じことを言って励ましてくれた。
3ヶ月かぁ・・・。
しかし、1日2度におよぶ、
父からの泣きの電話に
姉は日に日に追いつめられていった。
そして、ついに・・・
いつも頼りになる姉が壊れ始めた。
そう言ってくれていた姉だったが、
このままでは鬱になってしまう。
そして、私は電話係を引き継いだ。
姉の言ってた通り、
電話に出れば、父は泣きながら
帰りたいと訴えた。
はじめは、寄り添い、励まし、
なだめていたのだが、
連日に及ぶ、父の泣き言に
私のメンタルもやられそうになる。
今日も父の泣き言が始まった。
一か八かの下手嫌味作戦に
乗り出してみようかと思った。
父は黙った。そして・・・
これで電話はおさまるかと思ったが
翌日から父は、
レストラン巡りのせん妄ワールドを
展開していくのだった。
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
受話器の向こうで30分泣かれるのは、さすがにメンタルに堪えた。そんな時は、姉と愚痴りまくってた。「家族4人で暮らしたいって、娘たち独立して四半世紀だよね」「それに家族4人で暮らして時は、家庭かえりみないで飲み歩いてたじゃんね」愚痴ってないとマイナスの気に飲み込まれそうだった。
コメント
コメント一覧 (68)
分かる気がします
カータン強いですね
気持ちの手綱を取ることの難しさよ。。。
でもやるしかないんですもんね
自分は自分しか居ないから
カータン
がしました
カータン
がしました
そして、私には娘がおらず息子だけです。どうなるんだろう?
決して介護要員として、老後の不安解消の為に娘がいれば…なんて言いません。(はっきり言ってくる人もいますけど。娘いないと老後困るよ〜なんて)
息子達には絶対に迷惑かけたくない。
親の介護、自分の将来、さらに言うと、私達が亡くなってからの先の未来、息子達が置いた時の息子達の老後まで心配になってしまいます…
カータン
がしました
タイムリーなカータンの記事。
皆んな葛藤して悩みまくり、自己嫌悪に陥ったり
時には腹を立てたり、、、もう断念して介護に専念しようかと諦めようかと思った矢先でした。。
ありがとうございます。
時は経つもの、、、親の変化も自然の摂理だと
介護するだけが孝行ではない事を気づかされました。
本当にありがとうございます。。
お互いの幸せの為に、決断します。
おふたりの葛藤に共に泣き、励まされています。
お身体大切になさってください。
カータン
がしました
自分にも高齢の母がいて、もう介護という年齢なのに私の45歳にもなる妹がいまだに小学生気分で親に当たったり頼ったりで、まったく相談相手にもならないので…。
独身看護師なのに自分の引っ越しを母に深夜まで手伝わせたり、実家の母の部屋に自分のいらない荷物(小学校の頃からの教科書とか!)を放置して母の居場所もありません。
今後どうなるのか今から心配で心配で…。かーたんの所もまめちゃんの所もケンカや愚痴を言い合えるきょうだい、憧れてしまいました(涙)。
カータン
がしました
無意識に全部背負い込もうとするあたりが、私も長女なので覚えがあり、これは危ないなぁ…と思いました。
カータンももちろん優しくてまじめなんだけど、肩の力が程よく抜けていていいですね笑
決してマイホームパパじゃなかったヒロシに軽〜くお見舞いしてるのがスゴイ☆
見習いたいところです。
カータン
がしました
すごいですよ
わたしも親の介護
長女気質か?ついつい‥
がんばってしまって
時々自分が頑張ってる?って思ったら
とりあえず深呼吸〜です
ホント介護経験者だからか
読んでてじわーっときます
いちばん大変な時期なのかも?と思います。(私のとき施設に入る頃、ケアマネジャーさんから 今がいちばん大変な時期といわれましたのでそうなのかなーと)
カータンなら大丈夫ですぜったい
おとうさま早く落ち着かれると良いですね!
うちも施設の方には本当におせわになっています。またそろそろガラス越しの面会にまた行こうかなあと思います。
ちょっとうまく書けずスミマセン
カータン
がしました
親がわけのわからない電話をしょっちゅうかけてきて泣き言を言う、かなりしんどいです。
カータンさんのお話で、私の母もせん妄だったんだ。。。と合点がいきました。
記事にしていただき、ありがとうございます。
カータン
がしました
祖母がかーたんのお父様と同じでした。徘徊し、施設から出たことも。。
私の母は他界しているため、おばが一人で対応していましたが負担が強く、大変な状態だったので、私たち孫も積極的に関わってました。一番年下の高校生の従兄弟は最初は戸惑ってましたが、最終的には一番扱いが上手になっていました。
一人でも多くの人が関わり、気持ちを共有できる人がいると少しは楽になると思うし、祖母が亡くなった後も思い出話に花が咲きます!
そして何より、歳を重ねるとこのようになる人もいるんだと、若いうちに経験することは今後の人生において、とても大切なことだと思います☆
カータン
がしました
お父様の話しを聞いていると落ち込んじゃいますよね。
私も母の愚痴を聞くと落ち込んでいましたが、しばらくして、そういえば、お母さんこそ、あーだった、こーだったという文句がふつふつと蘇ってきてました。
なんだか、同じなんですね。
ケアマネさんたち皆さんの励ましは、本当に頼りになります。
こんな大変なできごとを乗り越えて今に至っているカータンさん姉妹をすごい!と思います❗
カータン
がしました
預けたのだからそちらで対応してください。精神安定剤のような薬は飲ませませんとおっしゃる家族さんも少なくない中、夜中でも対応してくださるカータンさんのようなご家族さんは職員からするととても有難いです。
特に夜勤は1人で20人以上みる事も普通な業界です。その中で大声で叫ぶ利用者様をなだめ寄り添う事はなかなか難しいです。他の利用者様にもその不穏が伝染してしまうからです。
仕事だから大変なのは当たり前だと言うご意見もあると思います。でも家族と施設が協力し合わないと難しい場合が殆どです。
この記事を見て、
カータン
がしました
一昨年、認知症だった母が亡くなり、主介護者として母のことを見てくれていた父はあれよあれという間に弱ってしまいました。腰の圧迫骨折で起き上がれなくなったことをきっかけに昨年末、家の近くの有料老人ホームに入居しました。父の場合、文句も我儘も言わず過ごしてくれていますが、それが返ってつらいです。本当は家がいいのがわかるからです。
私も2人姉妹の次女です。母のときから介護関係諸々メインで動いているのは私ですが、やはり相談相手がいるのは
心強いです。
入居に際して、どうしても罪悪感がつのり、仕事を辞めて父を家で見たほうがいいのか…悩みました。
そんなときはケアマネさんや地域包括センターの方の、絶対辞めちゃだめよ、罪悪感なんて持つ必要ない、安心な環境を整えて差し上げて立派なことですよ、の言葉で思いとどまりました。実際仕事を辞めたら私の生活が成り立ちませんし…。姉も、父の安全を考えたらホームのほうが絶対にいいと思うと私の罪悪感を取り除くようにしてくれました。
今は週一回15分しか面会できませんが、外出できるようになったら家に連れてきてあげたいです。
カータン
がしました
メンタルの保ち方とか、鬱との付き合い方とか、殆ど5分くらいで見終わる内容だし先生の説明もスマートで頭に入りやすいですよ。
カータン
がしました
カータン
がしました
亡父もせん妄がひどく、
入院する度に、私は同じ病室の方には白い目で見られ看護師には怒られていました。
施設も同様でした。
お父様の施設は親切ですね。
私もメンタルやられました。
電話恐怖症になりました。
お身体壊さぬよう気をつけてください。
カータン
がしました
私の母は帰れないことに納得がいかず、連日叫んでいました。そのため、今はその施設からは利用をやんわりと断られてる状況です。
(今は在宅介護です)
施設によって、すぐに「もう預かれません」と言われる所、ギリギリまで様子を見てくれる所、ありますよね。
カータン
がしました
お気持ち、本当にわかります。。
うちの父は携帯がまだかろうじて使えましたので、「帰らせてくれ」コールがバンバンきました。
でもしばらくたつとかかってこなくなり、、ひさしぶりにかかってきた時に涙声で
「会いたいんだよ」。。と。。
もう胸が潰れそうでした。
そして今では、その携帯の存在も忘れているようで、こちらからかけても繋がりません。
あんなに恐怖だった父からの電話。
でも、もう一度、かけてきて欲しい。そして名前を呼んでほしいです。
本当は、会いに行けるのが一番いいんですけど。
コロナが1日でも早く終息することを願います!
カータン
がしました
私が働いているグループホーム、入社したての20代の頃は脱走される方がいて、毎日走ってました。
時代というか、大正生まれの方は当時お元気すぎて、毎日忙しかったのを覚えています。
それでもご家族には緊急時にだけ電話するようにしていて、普段はお仕事もされているからこちらから夜中とかに連絡することはめったになかったように思います。
パパがおられるホームは、状況を逐一お知らせしてくれるから家族としてはわかりやすいのかな。
今入居されている方は、とても大人しいというか、わりとすんなり慣れてくださり、入社当時のあのアグレッシブな方々を思い出すたびに、自分も若かったからついていけたな、、と。
本当に、忍者みたいな方がいっぱいおられました。
カータン
がしました
カータン
がしました
うちも姉と私の2人姉妹です。
両親を見送りましたが、母の介護は10年でした。
ホームに入れる時、認知症なりかかりで
それは、地獄の様な日々でした。
手に負えないと言われ、追い出されるのも時間の問題だと
他を探しまくりました。(結果、最期まで見届けて頂きました。)
私は更年期真っ只中でしたが、
姉にだけ負担はかけられない、親の事は姉妹2人の問題だと鬱とパニック障害を抱えて頑張りました。
多分、かーたんさんの今の状況と似ていたと思います。
親の介護は、先が見えません。
何年かかるか予測が立ちません。
亡くなった時は、お互いがお疲れ様でしたと言う感じでした。
あの10年は、今から考えると
親と別れるときに、少しでも悲しみが薄らぐ様にと
神様に与えられた時間だったのかなと思います。
何もなく逝かれたら、私もずっと悲しみから抜け出せなかったかもしれません。
カータン
がしました
認知症の母を5年間介護していました。
入院時や入所後に似たようなケースがありました。
ここは認知症というものを逆手にとって
「明日の朝 お迎えに行くね」→ その場では一旦落ち着く
「昨日話したじゃん!」→ 忘れたと認めたくないから、反論せずに落ち着く
本人は忘れていることを隠したいがために
それ以上は言わなくなります。
プランBとしては
娘からの「私、体調悪くて検査入院するから」
の一言で娘を心配する気持ちにシフトして落ち着く場合があります。
「家の工事をしていて職人さんの出入りがたくさんあって
危険だから」
とか
理由をはっきりと話していくと
一か月後ぐらい(我が家ではそうでした)には
なんとなく察してホームでの暮らしに馴染んでいきました。
今が一番大変な時期かもしれません
私も姉と二人で介護をし乗り越えられることができました
話相手がいるのは頼もしいですよね
どうかご無理のないよう
カータン
がしました
私も20代(今は40代の女の古)の頃、同居の祖母が認知症になって…。毎晩毎晩判子やお金を探す毎日…。
紙に「判子は箪笥の引き出しにあります。」と紙に書いて納得しても、その書いた後私が2階に上がってすぐに下から上がってきて、「判子がない〜。」と言うんです。恐怖さえ覚えました。おばあちゃんゴメン…。
それで!!私、金縛りにあったんです!!
寝てる私にすっごく顔を近づけたおばあちゃんに「なみちゃん、なみちゃん。」と話しかけられた夢を見て…。声も出ず、体も動かず、生霊かと思いましたよー。
当時、追い詰められてたとは思わなかったけど、体が反応してたんですねー。生霊、本当に怖いです!!
ヒロシさん、お姉さま、カータン、支えるご家族、がんばれー!!!!!
カータン
がしました
私なら父からの電話なんか出ないな、施設からかかってきたとしても
「そのためにここに入れたんですからちゃんと対応して下さい!」とか言っちゃいそう
それを言わないカータンとお姉様はきっとお父様から愛を受けて育ったんですね
人は生きてきたように死ぬという言葉があり、周りを愛し大切にしてきた人は
周りに愛されて大切にされて死ぬけど
大切にしてこなかった人は大切にもされず一人で死んでいく、という意味です
私は親に大切にされずに育ちました。今でいう虐待も多々あり、辛い子供時代で
今全く親と連絡取ってないですし会いたくもありません。何の情もない
なのでこういうお話を聞くととても羨ましい。こういう感情が私にはない
優しいから苦しむんですね、お姉様も
どうか気持ちを切り替えて、少しでも前向きな気持ちになれますように
カータン
がしました
長女がまだ2歳くらいの頃、通りすがりのお婆さんから「今がいちばんいい時ね」と言われ、当時は初めての育児で子供も手のかかる年齢だったし夫もアメリカに単身赴任してたので「こんなに大変なのに?!」と思ってましたが、今ならあのお婆さんの言葉が身に沁みてわかります。
自分も親も若かったし、6年前に他界した母も健在で、世の中も平和でした。
カータン
がしました
私はおねしょ癖が中々治らず小学校低学年迄たまにしてました。その時は母に鬼の形相でよくお尻叩かれたなぁ…今や反対。オムツをずらして布団を濡らしてしまう母。。
それでも怒れない優しい私笑
今度、あの時はさぁーって話してみようかな。イヤミのひとつでも言わないとやってられん。なんか今思うと母は怖かった思い出ばかり。ボケてしまった今や娘命だけど元気な時の母は自分命で。そんな母をせっせと介護していて私って偉いなぁなんて自画自讃しながらの今日この頃。
カータン
がしました
さぁ車が混まないうちに早く帰ろうとか、
荷物はもう下に下ろしたからからな、
とか、医者はもう退院していいと言ってるとか、あれこれ私に言っていました。
夕暮れ時はほぼ毎日うちに帰る帰ると、スタッフさんにぐずっていたらしいです。
でもうちに帰っても、奥さんも歩けなくてご飯の支度できないし、娘さんも仕事でお父さんの面倒みれないから、ここで一緒に過ごしましょう、って毎日なだめてくださっていたそうです。
そんな話を聞くたびに
また面会の帰り道に、
私は罪悪感で泣きじゃくっていました。
そんな私のことをケアマネさんがよく慰めてくださいました。
娘さんには娘さんの生活があるんだから、自己嫌悪する必要は一切無いんですよ!
今までしっかり面倒みてきたんですから!
って。
その言葉にまた涙🥲
でした。
カータン
がしました
視覚の情報で慣れていく部分がとても多いですよね。
ヒロシさんはそれが出来ないので本当に不安だったと思います。
ヒロシさんの立場になってもカータンさんご姉妹の立場になっても
どちらもそれぞれ辛い。
胸が締め付けられます。
カータン
がしました
電話口で泣かれるのが一番こたえますよね…良かれと思ってしたことが裏目に出たようで、目の不自由なお父さまが寂しくて家に帰りたくなる気持ちがよくわかります。
姉妹それぞれ結婚して独立し、カータンにはお嬢さんたちも生まれ、育児とお仕事で大変。オネータンもお仕事とねこ3のお世話。でもお父さまの頭にあるのは家族4人水入らずの時代のこと。若くてバリバリ仕事をして、お家ではしっかり者の妻と可愛い娘たちが帰りを待っている。親にとってはいろいろ忙しいけど、家族として充実しているたのがこの時だったのだと思います。
親孝行、したい時に親は無し と言いますが、親からするとやっと仕事も一段落つき、家族との生活を楽しむ余裕ができた時には、大抵子供は巣立っています。下手したら結婚して別の家庭を作って、接触も遠慮がちになっているかもしれません。親は老いていくので子供の巣立ちはやはりこたえます。カータンもご両親のこともですが、お嬢さんたちとの交流も堪能すべき時期だと思いますよ!私は社会人としてさっさと家を出た娘たち、頼もしいけどやっぱり寂しいです。家には私と三毛猫しか♀がいないから…
それぞれの家庭に事情があり、一つとして同じではないけれど、カータンブログ読者は、心から応援しています!ここで思いっきり愚痴って下さいね。
カータン
がしました
お姉さん、長女だし優しいからメンタル崩壊しかけたんですね。かーたんも優しいけど、さすが次女!長女にないたくましさ感じます。
カータン
がしました
会いに行くと、まあ機嫌が悪くても「一緒に帰る‼︎💢」とは言いませんでした。
その内、ここが安心だと思うようになったら落ち着くとスタッフさん達が言ってくれて、よく母の話を聞いて下さり、安心したのか「私ここに居てもいいのね」と言うようになり、今は実家にいた時より穏やかになりました。
ブログを読んで、母も同じようにスタッフさんに迷惑かけてたんだなぁと、電話無しも家族の事まで考えて下さって
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン
がしました
でも罪悪感なんて感じることないんですよ。家で介護して、子どもが疲弊して心も体も病んでしまうなんて本末転倒じゃないですか😭それに、おかーたんもお姉さんも、凄くお父さんをフォローしていると思います。
今漫画にして下さってるということは、今は少しお父さんも落ち着いたんですかね?
皆さんが穏やかに過ごせますように🙏
カータン
がしました
電話口で30分親に泣かれるのは堪えます。
まだお話の途中だけど、今の生活が少しでも落ち着いていたらいいな。
俺の家の話で
「たまには言っちゃいけないことも言いながらやろう」
という言葉が印象的でした。
人として言っちゃいけない言葉 を、認識しているのも大切だし
だからと言って本音を隠して常に正しくいる必要もないんだな、、、
バランスが大切なのかな...難しいけど...と色々考えさせられました。
私達はいつもカータンに励まされていますが、
カータンファンの存在は、カータンにとって励みや心の支えになれていますか?(T_T)
カータン
がしました
お父様の気持ちもわかりますが、全部まともに受け取ってたらこっちが参ってしまいますね。
うちの母もショートが終わった日に迎えに行くと荷物を叩きつけて怒って泣いていました。次行く時も車の中で号泣…。でも施設の中では借りてきた猫だった様で。我慢して過ごしているのか、帰ってくるとワガママ放題です。
早く施設に馴染んでほしいですよね。
相談員さんが、「住み慣れたおうちが一番なのは当然です。でも家がいいけど、ここもチョットいいな…って思ってもらえれば充分なんです。」とおっしゃってました。
お父様もうちの母も、少しずつ慣れてくれるといいですね。現在はもう大丈夫なのかもしれませんが^_^
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン
がしました
そんな父は去年亡くなりました。悲しい反面ホッとした自分がいて、罪悪感を感じます。。。
カータン
がしました
わたしの父は40代の頃から入退院を繰り返し、最後は54歳という若さで亡くなりました。
最期は「預金が2000万あるからお母さん、お姉ちゃん、お前、妹で分けてくれ」と、あるはずのない預金を話してました。
きっと父は自分が一番稼いでて、家族みんなといたときと今をゴチャゴチャになってたんだと思います。
当時中学3年生だったわたしは、そんなボケてしまった父にとっても悲しく、『ありがとう、お父さんが退院したらそのお金でみんなで美味しいものを食べに行こうね』って話を合わせるのも本当に辛かった。
カータンのお父様は目が見えないということで、さらに不安なんだろうなと思います。
カータンも、お姉さんも辛いのも痛いほど分かります。
でも、今生きてるお父様との時間を大切に過ごしてほしいな…
父が亡くなって15年目だけど、あのときもっと大切に過ごせば良かったって後悔してる自分がいるので、他の人はしてほしくない。。
カータン
がしました
カータンとお姉さんが仲良くてしっかりタッグを組んで支え合ってご高齢のご両親に向き合っている姿に本当に頭が下がります。ご両親の人格が素晴らしくて愛にあふれた家庭でお子さん達を大切に大切に育てられたからこそ、こんなに素敵なカータンご姉妹に育ったのだろうなと思います💕そんなお二人の背中を見て、べーちゃん達もとても心の美しい姉妹になっていくのだろうな。
カータン
がしました
父も、歳とってから「部屋はたくさんあるから、お前たちさえ良ければ」と都合の良いこと言ってました。今更💦 カータンのパパはきっと今は落ち着かれてる事と思いますが、カータンの言葉が胸に刺さっていたんじゃないかなぁ。。
元気な時に、私たちがまだ学生だった頃にきちんと向き合ってほしかったですが、お父さんは家族のために忙しかったんだと解釈します。
カータンとお姉さんは今もパパと向き合ってる!
誰にでも出来ることじゃないよ。
カータン
がしました
子供を初めて預けた日のことを思い出しました😢
でも言葉が話せるし、せん妄がある分、かおさんやカータンさんの方がずっと大変ですよね💦
電話が鳴っている気がするのもわかります‼️
ファントムバイブレーションシンドロームっていうみたいですね📱
他のことをしていてもスマホが気になって落ち着かないですよね💦
一日も早くヒロシさん、かおさん、カータンさんが安心して過ごせる日が来ますように✨
カータン
がしました
かお姉さん、カータン、お疲れ様です
去年の秋に入居したらしいですが3ヶ月は経ってますよね?
今のヒロシさんは大丈夫だと信じていたいです
私は持病あるので平均よりは早死するとは思い息子達にあまりは世話にならずに済むかなぁ?と勝手に考えてますが…わかりませんけどもね
私の父親も同じ病気で53歳で他界しました
かなり不摂生な生活をし続けたからのもあります
私はあともう少しでいいや、なんて気持ちで(笑)
この世に未練もなく次のあの世のステップで
改めて学びたいです
息子達はとっくに成人しており少しづつですが
後々のことも話しておかなければ
変なことペチャクチャと話してしまいましたがカータンのお話読んで老後って子孫があまり大変にならずにしたいです
カータン
がしました
笑いに変えてブログにアップしてくれてるけど、お父様、お母様、お姉様、お仕事、おうちの事、心配事が途切れない本当に大変な毎日でしたね。
普通に過ごしていたら、なんでもない期間の三か月ですが、長い日々だったと思います。
微力ですが三田佳子さんの力もお借りしてエールを送らせて下さい。
「女優!女優!女優!」
ブログの読者みんながカータンとご家族の皆さんの応援団です。
いつも本当にありがとう。
カータン
がしました
ブログをありがとうございます!
半年経って落ち着いたんだと信じて読ませていだだいております。
お金ないから長生き出来ないなぁ
カータン
がしました
父からの1日何回も泣きの電話で、私もメンタルやられそうになりましたよ、、電話の着信音、黒電話の音にしてたんですが、鳴るたびに心臓に悪いので、父の着信だけめっちゃポップな音に変えましたもん!
本当慣れます、あとちょっとの辛抱です。姉妹でどんどん愚痴ってください!!
カータン
がしました
うちは日曜ごとのゴルフで母はイライラ、そしてそれは私に八つ当たりとなって返ってくるという…あ、自分語りはおいといて。
うちは母が閉じ込められてるだとかなんとかで大声で騒ぐため兄が呼び出されました。(施設まで車で10分くらいだったのが仇になりました。)
たださすがにそれが続き「こんなに呼び出されたらこちらの体が持たない」となり色々あって薬の服用となりました。
兄も断れなかったんだろうとおもうけど(そして母もかなり厄介だったのだと思うけと)その当時は施設の対応にも少し不満もありましたね。いっそ遠かったら割りきれたのかもしれないけど。
カータン
がしました
両親の介護は、私も姉もメンタルがやられそうになることがあります。親の気持ちにあまり同調し過ぎないように気をつけています。
この後のお話は、ヒロシさんも、カータンとお姉さんも、穏やかに過ごせるようになっていくことを願っています
カータン
がしました
カータン
がしました
頭の回転早いですね
カータン
がしました