【高齢な親の話】第2章⑰ 親の看取りについて考える
からのつづき
ショートステイから2週間、
ついに父の入所の許可がおりた。
この2週間で父の状況が
落ち着いたかと言えば・・・
父のこと、我々家族のことも考えてくれて
入所を認めてくれたようだった。
本格的な入所が決まると
提出する書類がたくさんあった。
姉が書類の束を差し出した。
まずは、簡単に書けるもの。
それらの書類を書き終えると
姉が言った。
まずは、事故発生、発見後、
どの程度から連絡して欲しいかを
確認する内容の書類。
緊急性を要さないものに関しては
連絡しないでもいいことにした。
姉は一息ついて、そして、言った。
加齢に伴う衰弱を迎えたとき、
父の終末期をどこで過ごさせるかの選択だ。
わかりやすく説明すると、こうだ。
この看取り=終末期を迎えた時
このまま施設に残るか、他に行くか?
決めなければなかった。
病状の改善が見込まれない場合、
積極的な医療行為は行わずに
このまま施設で最期を迎えるか
それとも
医療機関で積極的な延命治療を受けさせるか。
以前は医療機関へ入院し、
最期を迎えるケースが多かったそうだ。
しかし、近年では、
その人らしい最期を迎えるために
施設や自宅で静かに死を迎える
「看取り」の考えが広がり、
病院で死を迎える人を上回ってるという。
姉といろいろ考えて、答えを出し、
それらの書類を持って施設に行った。
施設の人が、1枚1枚確認しながら
やはり終末期の意思確認の書類を手に
何を選択したのか、
あえてここには書かないでおく。
なぜなら、答えは
その家族によって違うと思うし、
(脳死における臓器提供の考え方が
人それぞれ違うように)
また、その時がきたら
私たちの考えが変わる可能性も
ゼロではないから。
ただ、今回しみじみと感じたのね。
当たり前のことではあるが
私たちは親の最期のことを
具体的に考えなければいけない時期を
迎えたということだ。
またいつかにつづく
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
17回に渡り、父が施設に入るまでの話を書いてきました。その間、たくさんのコメントをどうもありがとうございました。一旦、連載はここで区切りをつけたいと思います。でも、単発では、これからも引き続き書いて行こうと思います。
親が歳を取り、誰かの手を借りなければ生活できなくなった時、家族が面倒をみるか、施設に入所させるか、どちらが正解なんて決められることではないと私は思うんですね。本人が、家族が、どうしたいか、それに尽きると思います。それぞれの家庭で、他人には見えない事情があって、いろいろな思いを抱きながら、悩み、出した結論であるならば、それがその家族にとっての正解でいいんじゃないかと思うんですよ。だから、私が今回書いたことも、ある一つの家族の話くらいに、受け止めていただけたら幸いです。
そして、父ですが、今でもたまに電話はあるけど、それなりに新しい環境に慣れてきたようだ。この間、施設の方が父の誕生日に撮ってくださった写真を見て、姉が言った。「パパ、髪染めたみたい」確かに、なんだか髪が黒々と、若々しくなったような? 早くコロナが終息して、父に会いに行きたいです。
コメント
コメント一覧 (151)
両親の介護をしながら出産していま、2歳の子供をシングルで育てていますが、このたび父を特養に入れることにしました。そのきっかけは3月からの記事のおかげです。母は認知症があり「父を特養にいれたら母が心配」と思っていましたが、「いないことを覚えていないというのもあるかもしれない」と思い、入れてみることにできたのは、カータンさんたちのおかげです。今日、ブログを久しぶりに描いてカータンブログの紹介もしました。問題がないといいのですが。https://ameblo.jp/epha/entry-12672316466.html
これからどうなるか心配ですが、なんとか生きていきたいと思います。コメント欄の皆さんの介護をされている様子なども読んで勇気づけられました。
カータン
がしました
ですが、この記事によって気兼ねなくお友達に愚痴を聞いてもらっている感覚になり、心が軽くなりました。
ほんとうにありがとうございました!
これからもいろんな記事、楽しみにしています♪
カータン
がしました
長きに渡りシェアしてくださって本当にありがとうございました!お父様お元気で過ごされていると良いですね。私も家族が去年から入居しましたが、寂しい反面、このコロナ禍で本当にラッキーだったと思えてならない気持ちでいます。
そういえばですが、先日、杉並を散歩していた際、浴風会という、ものすごいゴージャスな特養をまたまた発見しました。調べてみると、なんとここは日本最古の老人施設だそうです。まもなく創立100年だとか。井の頭線の高井戸駅から歩けますので、外観を見るだけでも感動すると思います。その帰りは神田川のお花見も超おすすめ。桜のシーズンはほぼ終わったかと思いますが、これからの新緑もよいですよ!話のネタに書きました。
よく友達のお父様が杉並と世田谷は昔は畑だらけだったとよくいってましたが、やっぱり土地があったからなんですね。
カータン
がしました
カータン
がしました
その辺のドラマより味わい深く、山田洋次監督のドラマとかのシナリオライターになれそうです。
カータン
がしました
私の親はまだ60代後半で元気ですが、遠くない将来に起こるであろう介護等について、大変勉強になりました。
そして、いつまでも親は元気じゃない、、いづれかならず別れがくる、、頭では分かっているのに、行動ではできていませんでした。カータンさんの貴重なブログを読ませて頂き、少し実感が湧きはじめ、改めて親孝行について考えることができました。
本当にありがとうございました。
カータンさんもどうかお体ご自愛ください。
カータン
がしました
情報提供にいつも感謝してます。
このシリーズの話はいつも涙が出そうです。
色んな思いが混沌とします。
カータン
がしました
誰だって生まれた瞬間から死ぬ運命ではありますが、その事を日頃意識することはありません。
再認識させていただけてありがたかったです。
最善の最期、選択肢があるからこそ難しいですね。
カータン
がしました
高齢の方の施設や今後について、ご家族のリアルなお気持ちを知ることができました。お父上のせん妄や施設入所決定までの期間、心が休まらない事もあったかと存じます。ひとまず、お疲れ様でした。
昔と比べてリヴィングヴィルの概念も浸透して、自宅や施設で最期まで過ごされる方も徐々に増えてきているようですが、未だに圧倒的に病院で最期を迎える方が多いと思います。というのも、医療現場で働いていると、本人・家族共に自宅もしくは施設で過ごすことを希望し、その準備ができていても、いざその時になるとご家族が混乱してしまい、救急車を呼んで入院する→そのまま病院で亡くなるというケースをよく目にするのです。
本人が延命治療はやらないと決めていても、いざとなると、大切だからこそできうる治療をやってあげないと可哀想なんじゃないか…と思うご家族も沢山いらっしゃいます。
しかしながら、自分らはある程度命の限界がわかってしまいます。ご家族にとっては大切な親御さんなんだ、ご家族が助けて欲しいと希望されてるんだ、と頭で理解しつつも、80歳、90歳、100歳の方の細い血管に何度も点滴の針を刺したり、苦しい!と言われつつも痰を吸引したり、果てには心臓マッサージをしていると、無性に患者さんに対して「痛いよね、苦しいよね、ごめんなさい」という気持ちになることがあります…。
高齢社会、最期まで自分らしく生きることの難しさを痛感します。
早くコロナ規制が緩くなって、お父上と直接顔を合わせて沢山お話できるようになるといいですね。ご高齢の患者さんにとって、ご家族の存在が一番の薬だと思います。
おカータンご自身やお姉様、その他のご家族も、どうか無理せずご自愛ください。
長々と失礼しました。これからもブログ楽しみにしています。
カータン
がしました
ありがとう
ブログ これからも読むし応援してます
カータン
がしました
帰宅出来るように
リハビリ頑張ってました。
しかし、長年父をみていた
家族は 家での看取りを
拒みました。
母が、一番拒んだため
家に帰れるように準備していた自分は、いまでも
一時間でもつれてこれなかったかな?と、悩み苦しみます。
最期は、病院でした。
今は、短命でも
ギリギリまで、家族のそばで
自分の家の生活をされるかた
増えてます。
仕事も
介護休暇取れるようになり
世の中の変化ですね!
先輩が 自宅を
少しずつ 自宅療養
できるようにリフォームしたり ヘルパーさん 訪問医療
し易い 家庭ドクター見つけたり みんな、老いについて
実行したり 親のため、安らげる環境見つけたり!本当に
ありがたい 情報です!
カータン
がしました
私の両親は今はとても元気なのですが、いつ、何かわからなくなるか、
体に何かあるか、突然あるのかな?とか、そういうことも踏まえて
カータンの記事を読んでいて、「死」に関わる選択をどうすれば
一番自分が納得するか、私もいろいろ悩んでしまいました。
施設入居については、2年程前にもお金について心配している
記事を書いてらっしゃいましたね。
施設の種類、細かく記入する書類などがあるというのも初めて知りました。
また、今のコロナの状況で、簡単に面会ができないこともあり、
お姉様もカータンも、電話でのやり取りでかなり神経をすり減らして
心身ともに大変だったのだなぁ、とも思いました。
お父様が施設の人に支えられて歩いている絵は妙に、リアルなかんじで、
また、お別れまでの一切を忘れて、ジョー山中の歌が流れたときは
爆笑してしまいました。さすが、カータンのブログです。
かなりプライベートな内容を公開してくださり、ありがとうございます。
ここに描いていただいた以上のたくさんのご苦労があると思います。
カータンやお姉様もお体に気を付けて過ごしてください。
カータン
がしました
カータンさん、お姉さまの選択もきっとそうであると思います。コロナ禍で面会もままならず、もどかしいお気持ちだとお察ししますが、皆様のご健康と穏やかな日々を過ごせますようをお祈りしてます。
カータン
がしました
カータン
がしました
人って当たり障りのない話はするけど、体験談や苦労話ってあまり言わないですよね。
介護は未経験ですが、実際に子育てしてみると「思っていたのと違う‼️」って感じる場面が良くも悪くも多々あります。
だからカータンさんのように大変だったこと、またその大変さの中で楽しみをみつけられたこと、笑えたことなど共有していただけるとすごく助かります。
介護は、まだ先になりそうですが、もし自分が介護する側される側になったらどう感じるだろうと想像することができました。
気持ちの整理がいることだったと思いますが、勇気を持って書いていただきありがとうございました‼️
他の人にもカータンさんの記事勧めたいと思いました。
カータン
がしました
カータン
がしました
自分は一人っ子なので恐ろしいです。
カータン
がしました
……が、いざその時になったら自信ないですね…。なんでもいいから生きてて欲しいと思ってしまうかも。
人の死って、どこからが死なんでしょうね?
カータン
がしました
こういう話題を、深刻になりすぎず、でも心に響くように書くというのは並大抵の文章力・構成力では書けないですよ!
看取りは、状況次第だと思いますが、まだ少しでも元気なうちに考えておくのは大事ですよね。
年齢の衰えは、なだらかに下っていくというより、階段を下りるように、ある日突然、がくん!下がり、小康状態になってやれやれと思ったら、またガクンと下がりで、そのたびに肝を冷やします。。。
何度かコメントさせていただいた義父は、まさに枯れるように、施設にて看取りをしていただきました。最後の2か月は、ほんとに少量の水分だけ、ほぼ寝ている状態でしたが、時々意識が戻るという感じで、眠るように息を引き取ったので「理想的」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、これを実現できたのは、献身的な施設の方々がいてくださったからで、とても自宅では無理でした。
実父はがんの転移場所の問題の問題もあって激しい痛みも伴ったため、とにかく痛くないように、でも「もう治らない」とわかったら生きる気力を失いそうだったのであくまでも治療中で通してほしい、と無理をお願いして病院で看取りました。お薬がよく効いて、最後は穏やかだったのが救いです。これも、人によっては「自然ではない」「そもそも、がん治療の方針が間違ってる」と感じる方もいるかもしれませんが、実父の病状と性格を合わせて考えると、これがベストであったと今でも思います。
どちらの父についても、家族や兄弟・姉妹でそのたびに思案しながら手探りでたどり着いた結論です。
カータンさんにも、信頼できる姉妹がいらしてなによりだと思います。
カータン
がしました
悩んで悩んで出した答えなら、それが正解 本当にそう思います。なので、出した答えの中で最善を探っていく感じですよね…。
コロナで入院された、ご友人の記事の時にも思いましたが、カータンは、みんなが本当に知りたい事を伝えるのが本当にお上手ですよね。
重苦しくなりがちな話しを軽快に伝えるというか(笑)
ほんと、いい加減コロナ、収束していただきたい。お父様のホームでの生活が、穏やかな日々でありますように。カータン、お姉さまも、ご無理なさらないで下さいね。
カータン
がしました
看取りは本当に家族によってそれぞれです。
緊急入院して回復の見込みがないので最期を自宅で過ごしたケースがあったり、数か月自宅で介護していたけれど最期は病院で迎えたケースもあったりしました。ご家族、ご本人の意向を最優先してサポートしました。最近は、新型コロナウイルスの影響で頻回の面会ができず、自宅での看取りを選ばれる方も少しずつ増えました。今の80代以上の方は自宅で誰が亡くなった経験があるのに対して、50〜60代以下の世代は、病院で生まれて身内も病院で亡くなったことがほとんどのため、看取りのイメージはつきにくいと思います。
カータン
がしました
私は今年1月、母を癌で亡くしました。最期は、自宅でしたが、誰もいないタイミングで息を引き取りました。たまたま、私は実家から離れた自宅へ戻ったところでした。
義理の母は、5回くらい、看取りの為に立ち会いをしたそうですが、1度として、見送れなかったそうです。なので、きっと私の母も、自分が旅立つ時、誰にも泣かれたくないと思ったんだと思うよと慰めてくれました。
母は既に亡くなった両親や兄おじさんが、きっと、お迎えにきてくれたんじゃないかなと思うような、ホッとしたような、嬉しいような、、という何とも安らいだ顔をして眠っていました。。
闘病中のお手伝いや介護を考えても、やはり介護とても大変だったなと思います。今、後悔だらけです。
お次は、父の介護でして、物忘れ外来へ連れて行きたいのですが、嫌がります。絶対年功序列家系なので、私ら子どもの話しを聞き入れません。
これからもかーたんさんの記事や皆さんのコメントを読んで頑張りたいと思います!
カータン
がしました
患者さんのご家族のお話を伺う機会もありますがそれぞれのご家庭で皆違うしどれが正解かなんて誰にもわからないと思います。
その気持ちに寄り添い続ける医療従事者でありたいとあらためて感じました。
私の母(我が家は母一人です)はまだ元気ですが、カータンのお話を読ませて頂いて私は妹がいるので本当に良かったなとつくづく思いました。
助け合える姉妹がいるって幸せですね。
お父様が笑顔で穏やかに過ごせる日々が長く続きますように。
カータン
がしました
本当におつかれさまでした。世の中には自分の血縁にもかかわらず、一切関わろうとしないという方もいます。一概にその方たちが悪いとは言いません。そういう患者と関わるとこの人個人にも理由があるんだなと思うときもあります。
看取りについては医療職のなかでも意見が分かれるものです。急変なのか老衰からなのかによっても違うものです。日本は長寿が多い分、寝たきりになってからの時間もながくて私自身も「死ねない医療」というのを痛感してます
人はいずれ寿命がくるということを、医療者でも抜けていることが多いので。
お父さまの余生が幸せでありますように
カータン
がしました
パパ(&一人暮らしのママ)のことを心配し、面倒をみながら外部とのやり取りをし、ご自分のご家族の生活も守り、毎日ブログも更新して…本当に頭が下がります。
ひとまず入居が決まって良かったですね。
カータン
がしました
夫側の施設に入ったおばさんはその後どうされていますか?気になります。。また記事アップお願いします。
カータン
がしました
遠方の両親が初期の手前くらいの感じで、まだ認知症とか介護とまではいかないけれど、いよいよ覚悟して待ち構えなければと思い始めているところでした。鬱の母は片付けが出来ず、認知症手前の父は外面だけはよく家ではモラハラ。それで支離滅裂な電話をよこす母。母は娘の私には愚痴を言うけど息子には心配かけたくないから何も言わず…。
私の心もだんだん病んでくる感じ。
遠方の私が何ができるか、近隣だけど小さい子がいて共働きの弟夫婦にどれほどの負担がかかるのか。
漠然とした不安の中、自分自身も外科的な病気で不安な日々です。
カータンよく書いてくださいました。一つの家庭の一つの事例だけどとても参考になるし、皆様のコメントも参考になるし、不安なのが自分だけではないのだと心強くもなります。
お父様とお母様が、そしてお姉様とカータンが、これからそれぞれ少しでも快適に過ごしていけますように祈っています。
また施設での様子など書ける時がきたら紹介してくださるのお待ちしていますね。
カータン
がしました
我が家は義母が特定介護付き有料老人ホームに入居していますが、入居後は落ち着いて入居前より元気になった口で、施設暮らしも7年目になります😅(持ち出し有り)
ただ、問題はいろいろ起こり、近くにいる窓口の私(嫁)だけ右往左往。夫、離れた場所の義姉の実子は「元気だから施設に任せればいい」といい所だけ見て問題はスルー。義母の問題行動の対処と家族の無理解にストレスが溜まる毎日だったのか、私はパニック発作おこしました。
自宅で直接介護している訳ではないのですが、更年期とも重なったのか情けない話です。
皮肉にもコロナ禍で面会禁止になり、この1年義母の事は全てに目をつぶるようになったおかげか自分の体調は安定してますが🤭💦
カータンさんご姉妹は何よりお互いに理解し合えて、介護に向き合われているのが何よりです。
どうぞ、ご自分のお身体も大切にしつつ、ご両親様との介護生活送って下さい。
カータン
がしました
このシリーズで何度かコメントを書かせていただきました。認知症の母が1月に入院→認知症が悪化し自宅介護が困難になり老健入所→食事を食べなくなり医師から「このままでは命が危ない。このまま看とりますか?」と言われ、悩みに悩んだ末、在宅介護を決意→今、実家で私が介護しています。実家に帰ると嘘のように食欲が回復し、食べるようになりました。
私は介護離職することになりそうです。私のやり方に「年老いた親のために、そこまでしなくても」と何度も言われました。
でも正しい方法なんて誰にも分からないです。
悩んで苦しんで結論を出すしかないのです。
お父さんが「家に帰りたい」と電話で泣いてたシーン、カータン姉妹もお父さんも本当に辛かったと思います。綺麗事だけでなく苦しいこともたくさん書いて下さって、本当に感謝です。
コメント欄の皆さんのお話もとても勉強になりました。
介護で苦しむ人が少しでも少なくなりますように。
カータン
がしました
一度病院に入院したら、せん妄がはげしくなり家に帰りたいと泣き
お母さんは家でみとることを決意したみたいです。
でも、家でみとるのは精神的にも肉体的にも
かなり大変でした。
それなりに覚悟が必要です。
カータン 入所まで本当に大変でしたね、読んでて
胸が苦しくなりました。
私の親はまだ終活の時期に入ってないので
すごくためになりました。ありがとうございました。
カータン
がしました
カータン、ありがとうございました。コメント欄の皆様もありがとうございました。介護度4の実母と同居して大変な日々ですが私だけじゃないんだと大変心強かったです。
カータン
がしました
金額的なことも含めて、心の動きや施設の方との距離感など、とても参考になりました。
読んでらっしゃる方、それぞれの家族、価値観で、感じ方もいろいろだとは思いますが、我が身におきかえて考えさせられる、というのは大事な機会を与えてもらえたと思います。ありがとうございました。
「俺の家の話」も、そんなドラマでしたね。高校生の息子と、私や主人の両親の介護問題を熱く話し合えた、忘れられないドラマになりました。カータンとドラマの感想を話したいです。
カータン
がしました
私も看取りについて初めて聞かれた時は、本当に混乱しました。病院で、特養で、そこからまた病院…と何度も確認されました。でもその度少しずつ母を送り出す心構えができてきたのかもしれません。母なら何をどう望むのかなと考えたり…。
コロナが落ち着き、早く面会できる日がくることを祈っています。
家に残されたお母様の事も気がかりです…またブログでお知らせください
カータン
がしました
母は、認知なのですが同じようなせん妄、病院では統合失調と言われたのですが重なりその当時を思い出しました。今では、穏やかになっています。
家も昨年グループホームに入りました。
介護は、何が正解か本当にわからないですね。
体が2つあったら、どれだけでも家で見てあげられるけど。
でも、前向きに考えることはとても大事ですね。明るいカータンは素敵です!
カータン
がしました
最近は看取りをしてくれる特養も増えてきたようですが、うちの地域では看取りありと無しが半々です。また、2人部屋や個室がメインの特養は諸々含めると費用が月17万程はかかる為、申込断念しました。有料老人ホームもしかりです。施設から料金説明を受けるとき必ず減額対象世帯か聞かれますが、うちはどの段階にも該当しません。
全ての方がとはいいませんし、本当に困ってらっしゃる方は支援を受けるべきだと思いますが残念ながら周囲で耳にするのは不正受給が多く、その方達の方が高額で綺麗な施設に安価で入所されているのを目の当たりにすると、真面目に働くって何だろうと感じてしまいます。
カータン
がしました
施設→徐々に枯れるように亡くなる は何方に言われたのですかね?
私達は枯らせたのかと?考えさせられます。
昨今の言葉狩りのつもりは無いのですが、徐々に衰弱でもよい気もしますが…
とはいえ 同じ選択の悩み·介護内容は違えど、
内容は共感できることもありよかったです。
カータン
がしました
皆様の体験談で心救われたり、行動を起こそうと思った人がいることでしょう。
カータンさん、体験談を記して下さった皆様方ありがとうございました。
カータン
がしました
期せずして、私の両親と年齢がとても近くまさに「少しだけ先の将来のこと」をユーモアを交えながら書いてくださり、ホッとしている自分がいます。私はひとり娘の為、直面するであろう様々な葛藤や決断また、今回の本入所の時に書く書類の内容も包み隠さず教えて下さり、カータン、お姉さん、凄い!と心底感謝した次第です。お父様、お母様、周囲の皆さんの協力、など、生生しくて口はばったい介護や看取りの話をオープンにブログにして下さりただ感謝です。私も我が両親が大好きなので、いつも頭の隅に彼等のことがあるのですが、何だか元気が出ました。ありがとうございます。
カータン
がしました
自分の終末期は治療はいらない
がしかし
親の終末期はどうにかして延命したい
という結果が出ました。
矛盾してるようですが人間らしい結果だと思います。
私は専門薬剤師で、命を全うするとはどういう事か考える事が多く、、でもその答えはまだ見つかりません。大学時代に父を若年性認知症からの事故で亡くしていますので余計に?無駄に?人生とは?と考えてしまいます。
ヒロシさんが大好きなので、今この瞬間ヒロシさんが幸せであることを心から祈っています。
カータン
がしました
一人暮らしの高齢の母がいるので、少しシュミレーションできました。
かーたんは仲の良いお姉さんが近くにいていいなぁ。弟とは、なんか話がはずまない…
カータン
がしました
ありがとうございます😊。家族の不具合は、みんなを巻き込んでかなり疲労しますので、ブログもゆっくりで、
休み休み書かれてくださいね。
私も、看護師仲間もみんな両親にエンディングノートを書いてもらっています。。終末期になったら、何もしないで看取りを希望なのか、人工呼吸器つけて生きるか、CPRはするのか、葬儀の方法や規模、財産関係、口座と暗証番号、亡くなったらいつ誰に知らせてほしいか電話番号や関係など知っておかないといけないことがあります。書店などにエンディングノートがありますので、私も50すぎたから、ボチボチ書こうと考えています。
意外と、親の人生の話しを真面目に聞かなかったことを後悔していますし、息子たちから聞かれたことがないので、どんな人生だったのかについて私もエンディングノートに書いている途中です。私たちがいなくなっても、子孫に知っていて欲しいと思います。少し盛りつつ🤣😁
カータン
がしました
お父様が慣れてきているとのこと、安心しました☺️
いろいろ考えさせられました。
またお父様のこと、無理のない範囲で書いてくださることを待っています🥰
ワンちゃんネコちゃんのことも
ぺーちゃん竜ちゃん旦那様のことも
楽しみにしています
カータン
がしました
ヒロシパパの状況を毎日ドキドキしながら読んでいました。認知症でなくても環境の変化等でせん妄というものがあるのも知りました。あんなに社交的で優しいパパの変貌ぶりには驚きでした。
うちは義母が施設に入っていて義母以外はすでに他界をしているのでもう介護はないのですが、むしろ自分の近い将来を考えさせられました。
まだ自分の老後について息子達と話す勇気はないのですが、できるだけ子供達の世話になりたくない、迷惑を掛けないようにしたいと思うけれど実際にはどうなるかわからないですよね。
今回、カータンの記事を読むと共にみなさんのコメントを読んで同じように介護や家族の事で悩んでいる人がとても沢山いる事も知りました。
それぞれ状況は違うけどみんな頑張ろうね!
カータン
がしました
姉から見た妹って、いくつになっても妹なんですよね。
だから姉は「自分がしっかりしなければ」と思っている。
姉からすると妹は、いつもぼーっとして気楽に生きてるように見えるのでしょうが
妹からすると「私だって何も考えてない訳じゃない」という気持ちになることがあります。
姉の存在は実際頼りになるし、ありがたいけど
たまに、妹ならではのもどかしさというかモヤモヤが...あったりします。
長年築いてきた「姉妹」のスタンスは変わらないので、うまくやるしかないのですけどね。
うちは父が早くに亡くなったので
あとは母が老いたときにどうするかです。
いろいろ考えるきっかけをくれてありがとうございます!
カータン
がしました
今までの高齢な両親の問題シリーズの中で一番勉強になりました。
不謹慎かもしれませんが、ヒロシさんのせん妄ワールドには少し笑ってしまいました。
これからも、ご両親に対する苦悩や葛藤など多々あるとは思いますが、お姉様と力を合わせて頑張ってください。
カータン
がしました
親の介護や入所まで、そして入所後も簡単ではないし、親を看取るまでは長いです。
いつも悩みと笑いを交差してきてくれたカータンブログですから、一度ここでこのお話しを終わり!を大変理解します。続編を待っている方もたくさんだと思いますが。
世の中には特養に入れない方、家から絶対離れられないお父様お母様、
家で介護を続けている方、
助け合える姉妹のいない方、介護は人それぞれですから。
カータンはきっと色々な方のお気持ちに添いながらも、頑張って現状を書いてくださったのだと思います。
また、ペットネタやご夫婦ネタ、子達のネタ、趣味ネタ、料理ネタ、諸々、
楽しみに待っています。
ご心配事はたくさんお互いあると思いますが、
頑張りながら元気に暮らしましょう!
カータン
がしました
施設に入るのも心にモヤモヤが残ってしまうし
家で介護を続けるのも限界があるし。
本当に何が正解なのか、、答えは分かりませんね。
早くコロナが終息して施設の面会が再開してくれる事を願います。
歳をとると色々心配事も増えて大変ですが元気に明るく!で、福が来ると私は信じます。
カータン
がしました
とりあえず落ち着かれた様で良かったですが、ここまでの道のりは親子共々とても辛く大変な思いだったと思います。そんな中でも親子、姉妹間の絆の強さが垣間見れ、本当にいいご家族だと羨ましく思いました。
うちの母も特養に入ってますが、いつまでも切ないです。
これからもそれぞれの方法で親孝行していけたらいいですね…。
カータン
がしました
実家は車で15-20分くらいで90過ぎた両親は二人で暮らしていましたが、
2年ちょっと前に母が体調がだんだん悪くなり、自宅で過ごすのは難しいと主治医の先生からのお話が。
親戚や知り合いでも施設に入居する方はいらしたけど、それはどちらかが先立たれ一人の方ばかりでした。
なので両親共に、うちは2人でいるから〜という感じでしたが、夏暑く冬寒い古家では療養環境が厳しいと。
レストランでメニューを決めるのも悩む決断力のない私には、難し過ぎる話です。
(入院先から施設へ行く方がスムーズかもしれません。認知症症状がない両親が家から施設へ、というのは結構ハードル高いです)
そんな時に、訪問診療の先生が
『親御さんの介護って、選択決断が多くて大変だけれど、どの道を選んでも多少の後悔はつきものなんですよ』と仰いました。
もちろん後悔が無いのが良いですが、私は、その言葉を頼りにやってこられた気がします。
結局、両親は介護付き有料ホームに、斜め前の個室にそれぞれ入居しました。
カータンはカオねーさんとタッグを組んで、本当に心をこめてチカラを尽くしてると感心してます。ひとりっこの私は羨ましいです。
早くコロナが落ち着いて、ホームを訪ねてお父さんのお部屋で、あれこれ話をしたり楽しく過ごせる日が来ますように!
カータン
がしました
カータン
がしました
とても参考になりました。
私も来るべき時にそなえ、心構えができました。
カータン
がしました
私は、父が26年前に職場で倒れてそれっきり…母は5年前に88歳で亡くなりました。両親共、特に子供達に面倒もかけず…父などは、衰える姿を見せず、立派な父のままで、潔く亡くなったと思ってます。でも当時は、突然の死に気持ちが追い付かず、いつまで経っても受け入れられず、悲しくて泣いてばかりでした。せめて看病したかった…介護させて欲しかった…と、キチンと心の準備をして看取りたかったと…
でも、55歳になった今、周りが親の介護の問題に直面し悩んでる姿を見たら、もしかしたら、父が尊敬出来る人のままで、スパッと亡くなった事は、幸せなのかもと思えるようになりました。親不孝な私に、最後まで親孝行もさせずに…
何が正解で、幸せなのかは分かりません。突然亡くなるとサヨナラも出来ない、看取りたかった…と思いましたが、愛犬や愛猫を看取った時や、仲良しの従姉妹が癌で亡くなり看取った時など、それも辛くて悲しくて立ち直るのに時間がかかりました。
どちらが良かったとかないのだと実感しています。どちらも悲しくて辛いのは一緒でした。
皆がそれぞれ自分の人生や運命、親の介護や亡くなる事などを受け入れて生きていくしかないのだと思います。
カータンがおっしゃっているように、それぞれの家庭の考えや、やり方があるということ…
そして、カータンが一つの例を丁寧に書き記してくれた事に感謝します。
私は親の事はありませんが、子供に恵まれませんでしたので、自分の老いていく事への不安があります。
誰にも迷惑かけずに生きていけたらよいですがね。。
カータン
がしました
近くに居て長い年月介護するのも大変そうですが、やっぱり最後に会いたかったなぁという残念な気持ちは残ります。
おそらく母も看取ることはできないのかな、と、覚悟はしています。悲しいことに私の地元ではそれ(残された年寄りが寂しく他界)が割と普通になってます。切ないですね。
カータン
がしました
施設の入所の度
、何度も
住所氏名連絡先
それぞれ二通
何度判子作って欲しかったか
マンション名の長さもイライラしたわ。
本当に判子つくろかな
カータン
がしました
私の父は既に亡くなっており(介護無し)
母は老人ホームへ先日入所しましたが、二度目の大腿骨骨折で車椅子となり病院から入所した為、介護はしておりません。
コロナの為、面会は別室でWeb面会なのです。
飛行機で会いに行くのにWeb面会とは…。
マイペースで私の意見は全く無視なので、ホームへ全てお任せしています。
今回のお父様のお話ですが、私は母についてよりも自身の老後について考えてしまいました。
私は高齢出産(39歳)です。
子供は一人っ子なのですが、勝手な想像で「25歳位に結婚して数年後に孫が産まれて、孫に手が掛かる間はお手伝いしてその後は子供に介護をさせる前に死にたい…」
そんな上手く行くわけ有りませんが、介護で子供が悩み苦しむ事を想像すると苦しくて泣けてきます。
健康に気を付けて足腰も鍛えて、笑って老後を迎えたいです。
カータン
がしました
私にとってとてもタイムリーな内容で、本当に参考になりました。
先月母が脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺が残り、入院先で認知症も診断され来週施設に入所します。
父は90歳と高齢のわりには元気だと思っていたら、
先週硬膜下血腫で倒れ手術しました。
私は離れて暮らしていて、一人っ子のため全てが私の肩にかかり、正直不安しかありません。
主人は力になってくれますが、兄弟がいて分担できたら少しは楽だったかなと思ってしまいます。
昔からうっすら親の老後を考えると気持ちが辛くなり、考えることから逃げていましたが、もう直面して逃げられない。
かーたんのように素敵なお姉さまがいらっしゃって、姉妹で話し合ったりできるのが羨ましいです。
でも、状況は変わらないので、無理しないよう頑張るしかなさそうです。なるようにしかならにいと思っています。
カータン
がしました
うちも本当に他人事ではなく、特に今日の17回目のは参考になりましたし、考えさせられるものがありました。
それにしても、お姉さんや施設の方など、かーたんの周りには良い方々ばかりで羨ましいです。
早くヒロシさんと会えるといいですね☆彡
カータン
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カータン
がしました
私も昨年父が入院入所でたくさんの書類を書きました。夫婦仲の良くない母はネグレクト傾向にあるため相談できず、ひとりっ子の私が家族代表になって病院や施設、行政とのやりとりをしました。
色々悩まれたことと拝察申し上げます。
でもヒロシお父さんが施設に馴染みつつあるご様子が最後にわかりホッとしています。
本当にお疲れ様でした。お姉様にもよろしくお伝えください。
カータン
がしました
昨年の夏、義理の母の体調が思わしくなく主治医から独居は、無理だと言われ主人と施設探しが始まりました。
本当に沢山あり、それぞれ特色が違ってかかる金額も
微妙に相違し悩みました。
そうこうしている内に悪化し入院、一般病棟から緩和ケア病棟へ。緩和ケアは、積極的治療はせず医師看護師の元、痛みを緩和し精神面のフォローが入り終末を迎えるという病棟でした。治療は無理にはしないでと義母からは聞いていたのですが、終末を施設で迎えるか病院かはとても悩みました。緩和ケア病棟設置されている病院も少なく予約制でベッド数も限られています。
入院後、1か月で亡くなりました。
看護師さんは24時間体制で家族の精神面にも寄り添って頂き緩和ケア病棟のみ面会は人数制限のみで出入りは自由でした。今はコロナで、無理なんですが以前は自宅で飼っていたペットも入室可、危篤時は身内の宿泊可、最後身内で見守る事が出来るとなっていました。
長期入院は、不可で面談があり全ての方が入院できるわけではないみたいなんですが…
家族は、コロナでも最後皆で送れた事を最善だったと思っております。
また、主人とは自分達の老後を真剣に具体的に話し合い
息子にも伝えました。
カータン
がしました
大変興味深く読んでいました。
父はまだ元気で趣味に勤しんだりもしていますが、私は一人っ子です。そして未婚なので、もしこれから施設に入れることになる時が来たら、ありとあらゆることを一人で考えなければならないと思うと不安です。
行政で相談に乗ってくれる人がいるとは思うのですが、結局意思決定は自分一人だと思うと、正直荷が重く・・・。
正解はないけど、正解を探してしまうことって、ありますよね。
新型コロナの記事もそうでしたが、とてもセンシティブなことでも、カータンの言葉で伝えてくれるブログを読むことで、学ぶことがたくさんあります。
本当に有難うございます。
カータン
がしました
イラストにしたり文字にする過程で色々思い出されて辛かった事もあったかと思います。
コメント欄でも過去に介護された方、今、介護の真っ最中の方、色々な方のお話しも聞けて
本当に勉強になりました。
連載の最中に実家の父が入院し、皆さんの一言一言が沁みました。
カータン
がしました
また何かあったら、ヒロシさんのこと描いてくださいね。早くコロナが終息し、会いたい時に会えるようになりますように!!
カータン
がしました
カータンとは同い年なので同じような問題を抱えています。
親の最期を考えないといけないけど決められないですよね。
今決めてもその時になると変わるかもしれない。
本当にその通りだと思います。
このシリーズ切ない気持ちで読ませていただきました。
カータン
がしました
気づけばすぐそこまでやってきました。
私は一人っ子で、相談できる相手もいないので
母には、必要の無い物から片付けてほしいと今出来る事をして貰っています。
かあたんのご両親のお話いつも楽しく拝見してました。
ご家族皆さんの新しい生活が少しずつ落ち着きますように。
カータン
がしました
カータン、お疲れ様でした。コメント欄を読んで、せん妄を初めて知ったという方がいらっしゃいましたので、幻視のことも書かせてください。
母は当時2階で寝ていたのですが、ある時「黒い人が窓から入ってきた」と。泥棒だと思って部屋に行くも、誰もいず。この時はまだ泥棒だと思っていました。
それが何度も続き、そのうち「黒い人が布団にいるので寝られない」と。行ってみると誰も布団にはいませんでした。でも母は「いる」と怯えていました。布団を手でポンポン叩き「誰もいないよ」で、やっと落ち着いて寝ました。
老人内科に連れて行くと、レビー小体型認知症だと分かりました。それで幻視が見えていると。幻視は幻のようではなく、はっきり見えると。先生のお話では、人が包丁を持って追いかけてくるとか、大蛇が追いかけてくるという方もいらっしゃるとのことでした。
そのうち、母は、誰もいない部屋の隅に向かってニコニコ手を振るようになりました。聞いてみると、「可愛い子どもがいる」と。幻視の話を聞いてなかったら、座敷わらし?それとも霊?と思って私も怖かったと思います。
この話を同級生に言うと、彼女のお母さんは、天井いっぱいの虫が見えて怖がると。私も苦手な虫がいるので、もしそうなったら…とそのお母さんの怖さをヒシヒシ感じました。
レビー小体型認知症の3割はパーキンソン病になるそうで、母も最終的に寝たきりになりました。
アルツハイマー型認知症は緩やかに坂道を下るように症状が進むそうですが、レビー小体型認知症は良い時と悪い時の差が激しいそうです。
知ってる範囲ですが、ご参考になると幸いです。
カータン
がしました
カータンもお姉さんもご両親の為に、お互いを想いあって、助け合って、一緒に考えて、素敵な姉妹ですね。
何度ホロリときたか、、、。
私も自分の経験から、葛藤されるお気持ちすごく共感しました。
描いて下さって、ありがとうございました。
コロナがおさまり、早く会えるといいですね♡
カータン
がしました
私は昨年父を介護付き有料老人ホームに入居させ、同じようにたくさんの書類にサインをしましたが、
看取りまでの書類はありませんでした。
特養では、そこまでのシビアな書類も交わすのですね。。。
とても勉強になりました。
本当に、介護の形に正解なんてない、その家族ごとにいろんな事情や形があるんですよね。。
そして、皆さんのコメントにも感謝です。
悩んでいるのは自分だけじゃない、みんな悩んで迷って介護をしているんだと知ることができました。
どうかどうか、1日でも早く、大切な家族に安心して会える日が来ますように。
カータン
がしました
私も少し前まではカータンと同じように悩み
生活をしていましたので行方が気になり
ずっとブログを読み進めていました。
私は嫁いだ時からずっと義父母と同居でした
ので少し事情は違うかと思いますが特養入所
までの道のりはまあ色々ありました。
でも義父は90歳で自宅で看とり、義母は
95歳でようやく特養のユニットに入所いたし
ました。しかしその後1年で亡くなってしまい
義姉から自宅にいたら、もっと長生き出来たんじゃないかと云われ悲しかったです!
私も限界でした!昔子供達が小さかった頃
義母に助けてもらい可愛がってもらったこと
への感謝で頑張ってこれたと思ってます
介護職をしている妹からは職員は交代で24時間
付き添えるけど家庭で24時間面倒を看るのは
難しいとのこと
ヒロシさんは目が不自由だから尚更家庭では
難しいのではないでしょうか?
カータンの云うように介護には正解も不正解も
ないと思います。
なぜなら家庭の環境も事情もみんなそれぞれ
違いますから
自分たちが一番良かれと思った選択が正解なんだと思います。
そう言ってる私達姉妹も今度は実家の母の
これからについて思いあぐねています。
カータン
がしました
このシリーズ、大変勉強になりました
カータンのお話だけではなく、投降者一人一人の経験や知識がとてつもなくありがたくって感謝感謝です
なんだか、こんなに貴重なお話がタダってのが申し訳なくて仕方ないです
これからもブログ、頑張ってね 楽しみにしています
カータン
がしました
とりあえず80歳になったらホームに入所する、もしくは通う…ということがみんな当たり前になったら、子どもも親もこんなに悩まないで済むのかな、なんて考えちゃいました。
どうにか、「入所することが辛くマイナスなイメージ」ではなく、ファイナルステージ!それが当たり前で最後まで前向き!ってイメージになっていかないかなぁ。どうしたらそういうふうになるかなぁ。
カータン
がしました
今回の一連のお話を読み、カータンさん姉妹の葛藤痛い程感じました。
私は3人兄妹で上に兄がいますが、私と姉が正にカータンさんとお姉さんのような姉妹関係です。
父は昨年秋に施設で亡くなりました。
母が早くに病気で亡くなり、父一人で医院を開業しておりましたが引退と同時に潔く全てを整理して施設に入るといい、それから8年間施設にお世話になりました。
遠方に住んでいる私と姉は少なくとも各々1年に3回程度会うために帰省しておりましたが、コロナ禍で面会謝絶。とはいえ、いつかはお別れの時が来ると思いつつも、元気な父に気も緩み、ある日仕事中にきた電話にかけ直すと言って、そのままになり、1か月後に施設で昼食後、お部屋に戻ってポックリ…と、苦しむこともなく亡くなったという施設からの連絡でした。
施設の方々には、その時に気づけなかったと謝られたものの、本当によくしていただきましたし、感謝しかないのですが、自分自身に対し、「なんであの時折り返し電話しなかったんだろう」と、未だ後悔しています。
おそらくうちの父と同じようにヒロシさんも施設の生活に慣れ、楽しまれていると思いますが、カータンさん達も色々お考えになることも多いことでしょう。
お二人には悔いの無いよう、これからも色々なやり方でお父様との関係を築いていただきたいなと思いました。
長々と失礼しました。
カータン
がしました
人それぞれ選ぶ道は違うし、私もこれから義母、実母に対しどんな道を選んで行くかわからないけど誰にも共有できないと思っていた気持ちが沢山の人がそれぞれ悩み選んで行くのだと言う事がわかりました。
ありがとうございます
カータン
がしました
今回のシリーズとても勉強になりました。
私は30代、子供は幼児、両親は60代なので、親の介護なんて全く考えたことがありませんでしたが、そう遠くない将来、色々と考えることが出てくるなと大変勉強になるシリーズでした。
我が家は夫婦ともに祖父母が早く亡くなってるため、親が親の介護に苦労してる姿をほとんど見ていません。
そのため、どこか他人事でしたが両親が元気なうちに少しずつ軽く今後のことを話していきたいなと思いました。
なかなか難しいテーマだったと思いますがブログにしてくださりありがとうございました。
先日のコロナの特集も大変勉強になりました。
カータン
がしました
ご自分の親御さんでもやはりいろいろな葛藤はありますよね。
私も義母の施設入居の事で、いろいろ葛藤があったのですがカータンの記事を読んで少し気持ちが楽になりました。
私は一昨年の12月に主人を亡くし、同居していた義母(激しいせん妄あり)との同居は難しいと思い、昨年の3月に施設入居となりました。
主人は一人っ子だったので、義母とのきょうだいとのやりとりや、遠方への施設入居だったので荷物の梱包など色々大変でした。
コロナ禍で面会もできず、今でもいろいろ思う事はありますが、看取りの事などの決断は私の手からは離れているのでこれで良かったと思うようにしています。
カータン
がしました
介護シリーズ連載お疲れさまでした。
前にお姉さんが体調崩したのは、介護のことでノイローゼみたいになってたからなんですね。責任感の強いお姉さん…泣けてきますね😢
お父さん、施設で落ち着いてきて良かったですね、心穏やかに日々過ごされますよう。
今回の記事で、入所者の経歴や趣味を書くヤツ!!私も最近ずっとカータンブログ読んでいて、思いだしてたところでした、祖母の入所のとき、母親と一緒に話しながら書いたなぁ……って。
若い頃に色々と嫌なことを言われたりで祖母のことは苦手だった母ですが、その時は意外と祖母の情報を知ってて驚きました。(小さいころから畑をやってたこととか、若い頃どこにいて、いつごろ結婚して、あちこち移り住んでたことも知ってました。ちょっと母を見直した瞬間。笑)やはり自分でエンディングノートを書いておく意味はあると母は認識し、自分のを書いてるようです。
祖母は、振り返れば、趣味の園芸もいつの間にかやらなくなっていたし、洗濯や料理もしなくなって、風呂にも入らなくなって、毎朝の洗面所も行かなくなって……一緒に住んでたのに、いつのまにか一人ではなにもしなくなってたよね……と気づき反省しました。それでもなんとなく危機を感じて、なるべく気に掛けてましたが…。医者に行くたび100まで生きるなんていわれてましたが、96で逝きました。それでも大往生。病院で亡くなるまでは綺麗な施設で数年穏やかに暮らせました。
カータン
がしました
カータン
がしました
次はヒロシパパさんのホームエピソード、楽しみにしています。実家ママさんがお一人でどうしてるかなとも気になります。親戚かwww
うちの父は末期癌で、最後には自分の終末をどうするか?という予備説明を何度もされていました。毎度横にいて一緒に聞いてる私は、いたたまれぬ気持ちでした。
本人に確認されても、家族に確認されてもツライ話。
でも、施設や病院の方も、最後に意思疎通が難しい場合に備えて、出来るだけ尊重してくださるが為に聞いてくれるんですもんね!
我が家の場合、概ね本人の希望通りに叶ったのだと思います。
それぞれの家族に、それぞれの選択とストーリー🌟
カータン
がしました
カータンさんは姉妹仲良しで介護も協力しあって羨ましいです。
私には6才上の姉(5年前に乳癌で死去)がいましたが、離れた所(名古屋です。私は横浜)に住んでて父の介護は私に丸投げでした。
姉に「お父さんのことあんたに任せちゃってごめんね。いつも感謝してるよ」って言って欲しかったです。
父が亡くなる前の日に、名古屋に一端帰る姉が私に言った一言が、今も心に引っ掛かります「お父さんの死に目に会えなくても文句言わないから」
そのとき私は父のことで頭がいっぱいで気づかなったけど、あとから
文句言わないからって何なの?死に目に会えなくてごめんね。じゃないの?とイラっと来ました。今もモヤモヤ、イラっと来ます。
カータン
がしました