小林亜星さんの悲報を聞き、
懐かしい台北日本人学校を思い出した。

親に連れられて初めて
台北日本人学校に行ったのは、
新年度の始まる4月だった。

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まず驚いたのは、
私が今まで通っていた学校とは
校舎がまったく違っていたところ。

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↑なんだかこの絵では学校に見えるかもしれないけど
各階に2クラスしかないアパートだった。

体育館はなく、
始業式は校庭で行われた。

私たち転校生は、全校生徒の前に
対面する形で一列に並んだ。

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朝とはいえ、
南国の太陽は容赦なくて

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そんな気持ちで立ってた。

校長先生の話、転校生の紹介が済むと
みんなで校歌を歌うという。

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日本から来たばかりで
どこか日本を引きずっていた私は
そんな生意気な気持ちでいた。


古い大きなスピーカーから
前奏が流れ出した。

全校生徒が一斉に歌い出した。

♪南国のめぐみ豊けき ホルモサに
未来の夢を 胸に抱き
平和の園に 学びゆく
我等の心 誇りあり
あゞ 台北日本人学校


この校歌聴いたら、
なんていうか・・・
うまく言えないけど

幼心になぜかグッと込み上げてくるものがあって、

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なぜかそんな気持ちが湧いてきて
一瞬でこの校歌が、学校が好きになった。

耳に残るメロディー、
私はこの校歌をすぐに覚えた。

のちに友達に教えてもらった。

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すごい人が作曲してくれたと知り、
ますます校歌が好きになった。

でも、ずっと長い間、不思議に思っていた。

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1976年に校歌ができたそうで
当時の小林亜星さんは
すでに有名で多忙だったはずなのに。
 
ところが、今日、
台北日本人学校同窓会のFacebookを見て
そのワケがわかった。

当時(1975年)赴任された教頭先生が
作詞を担当され、
商社の広報に勤めていた在校生のお父様が
小林亜星さんとお知り合いになり、
その縁で作曲を依頼されたそうだ。

今日は、懐かしみながら
何度も歌った。

今でもそらで歌える校歌。
口にすれば、
愛すべきオンボロ校舎と
楽しかった思い出が蘇ってくる。

小林亜星さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 




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私が卒業した年に、台北日本人学校は場所が移り、立派な校舎が建てられた。(その校舎も今年、立て替えられるそうだ)私は、あのアパート校舎の最後の卒業生なのだが、歳を重ねるごとに懐かしく、あんな変わった校舎で過ごせたことは、私にとって大切な思い出になっている。