姉のこと
しばらくブログをお休みして、ご心配をおかけしました。
実は、私の姉が闘病生活の末、11月24日に他界しました。昨日、家族で姉を見送りました。
姉の乳がんが見つかったのは、4年前のことでした。半年間の治療を経て、摘出手術を受け、経過観察3年間、何事もなく過ごし、「あと2年で逃げ切れるね」と姉と話していたところ、去年の秋に脳に転移していることがわかりました。
ここでは詳しいことは書きませんが、手術、治療を受け、普段と変わらない生活を送れるようになり、「なんて強運なんだ!」とふたりで喜んだのが今年の3月。
ところが、4月、再び、脳と脊髄にも転移が見つかり、その時、医師から『余命年内』という宣告を受けました。でも、その時、姉は怒っていました。
「こんなに元気なのに、余命年内ってひどくない? 大丈夫、私はがんを克服するよ」姉は強気だったし、前向きでした。
しかし、その後、次から次へ転移するがんに、治療を続けてきましたが、今年の夏にその治療も終わり、あとは奇跡が起こることを信じるのみとなりました。でも、実際、奇跡は起きたんじゃない?と思えたほど、父の葬儀も四十九日も、余命年内とは思えなかった。
明らかに悪くなったのは、ここ1、2ヶ月です。姉は苦しそうでした。それでも、姉は前向きでした。「来年のカレンダーと手帳を買ってきて」と頼まれたし、どんなに痛みが強くても「大丈夫!」と一度も私の前では弱音を吐きませんでした。そんな姉に私は言ったことがあります。「もっと我儘言ったり、甘えてよ!」と。弱音や心配事を吐かれたほうが、私も一緒に泣いたり、寄り添ってあげられると思ったからです。
すると、姉は「だって、子供の頃からずっと私は『お姉ちゃんだから』って、頑張ってきたんだもん、今さら、この歳になって甘えられない。できないんだよ」と。
今さらだけど、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
姉はいつもどこに行くにも、パンパンに膨らんだバッグを持っていて、足が悪くなって、杖の生活になっても、姉のバッグは重そうで、「もっと中身を減らせないの?」と私は何度も忠告しました。でも、その度に姉は「この中に入ってるのは全部必要なものばかりだから」と言いました。
今にして思えば、私はいつも姉のバッグに助けられていました。
病院で先生の話を姉と一緒に聞きながら、姉の病状の深刻さに私が堪えきれずに泣いていると、いつも姉はそのバッグからティッシュをさっと差し出してくれた。涙でマスクがぐしゃぐしゃになれば、またバッグから新しいマスクを取り出して渡してくれる。エコバッグも何度借りたかわかりません。
姉を失って気づきました。私にとって姉は、そのバッグそのものだったと。
私が困ったとき、いつでもさっと手を差し伸べてくれた。悩んだ時、相談に乗ってくれ、悲しい時、寄り添ってくれ、落ち込んだ時、励ましてくれ応援してくれた。15歳で親元を離れ、そこから姉と2人で生活していた私にとって、姉は親以上に頼れる存在で、1番の理解者でした。
これからこの喪失感をどう埋めていけばいいんだろう。今まで私は、大概の辛いこと、悲しいことでも、頭の中で漫画に変え、笑い話にできる天才か?と、自分のことをそんなふうに思ってきたけど、姉のことだけは絵さえ浮かばない。どれも涙で消されていく。でも、私がいつまでもメソメソしていたら、しっかり者の姉のこと、心配で安らかに眠ってなんかいられないはず。
父が先に逝って、待っていてくれて本当によかったと思う。今頃、姉は痛みから解放され、あちらの世界で父と大好きなビールを飲み交わしているはず、そう思うと救われる。かお、いつか私がいくまで待っててよ。でも、それはずっとずっと先の話ね。私は、かおが見れなかった風景をかおの分まで見て行かなくちゃね! 心配しないで、大丈夫! あなたの妹は、前を向いて、頑張るよ。
□■□■□■□■□□■□■□
姉の最期は、まるでドラマを見ているようなお別れだった。最期まで姉らしい完璧なお別れだった。
実は、私の姉が闘病生活の末、11月24日に他界しました。昨日、家族で姉を見送りました。
姉の乳がんが見つかったのは、4年前のことでした。半年間の治療を経て、摘出手術を受け、経過観察3年間、何事もなく過ごし、「あと2年で逃げ切れるね」と姉と話していたところ、去年の秋に脳に転移していることがわかりました。
ここでは詳しいことは書きませんが、手術、治療を受け、普段と変わらない生活を送れるようになり、「なんて強運なんだ!」とふたりで喜んだのが今年の3月。
ところが、4月、再び、脳と脊髄にも転移が見つかり、その時、医師から『余命年内』という宣告を受けました。でも、その時、姉は怒っていました。
「こんなに元気なのに、余命年内ってひどくない? 大丈夫、私はがんを克服するよ」姉は強気だったし、前向きでした。
しかし、その後、次から次へ転移するがんに、治療を続けてきましたが、今年の夏にその治療も終わり、あとは奇跡が起こることを信じるのみとなりました。でも、実際、奇跡は起きたんじゃない?と思えたほど、父の葬儀も四十九日も、余命年内とは思えなかった。
明らかに悪くなったのは、ここ1、2ヶ月です。姉は苦しそうでした。それでも、姉は前向きでした。「来年のカレンダーと手帳を買ってきて」と頼まれたし、どんなに痛みが強くても「大丈夫!」と一度も私の前では弱音を吐きませんでした。そんな姉に私は言ったことがあります。「もっと我儘言ったり、甘えてよ!」と。弱音や心配事を吐かれたほうが、私も一緒に泣いたり、寄り添ってあげられると思ったからです。
すると、姉は「だって、子供の頃からずっと私は『お姉ちゃんだから』って、頑張ってきたんだもん、今さら、この歳になって甘えられない。できないんだよ」と。
今さらだけど、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
姉はいつもどこに行くにも、パンパンに膨らんだバッグを持っていて、足が悪くなって、杖の生活になっても、姉のバッグは重そうで、「もっと中身を減らせないの?」と私は何度も忠告しました。でも、その度に姉は「この中に入ってるのは全部必要なものばかりだから」と言いました。
今にして思えば、私はいつも姉のバッグに助けられていました。
病院で先生の話を姉と一緒に聞きながら、姉の病状の深刻さに私が堪えきれずに泣いていると、いつも姉はそのバッグからティッシュをさっと差し出してくれた。涙でマスクがぐしゃぐしゃになれば、またバッグから新しいマスクを取り出して渡してくれる。エコバッグも何度借りたかわかりません。
姉を失って気づきました。私にとって姉は、そのバッグそのものだったと。
私が困ったとき、いつでもさっと手を差し伸べてくれた。悩んだ時、相談に乗ってくれ、悲しい時、寄り添ってくれ、落ち込んだ時、励ましてくれ応援してくれた。15歳で親元を離れ、そこから姉と2人で生活していた私にとって、姉は親以上に頼れる存在で、1番の理解者でした。
これからこの喪失感をどう埋めていけばいいんだろう。今まで私は、大概の辛いこと、悲しいことでも、頭の中で漫画に変え、笑い話にできる天才か?と、自分のことをそんなふうに思ってきたけど、姉のことだけは絵さえ浮かばない。どれも涙で消されていく。でも、私がいつまでもメソメソしていたら、しっかり者の姉のこと、心配で安らかに眠ってなんかいられないはず。
父が先に逝って、待っていてくれて本当によかったと思う。今頃、姉は痛みから解放され、あちらの世界で父と大好きなビールを飲み交わしているはず、そう思うと救われる。かお、いつか私がいくまで待っててよ。でも、それはずっとずっと先の話ね。私は、かおが見れなかった風景をかおの分まで見て行かなくちゃね! 心配しないで、大丈夫! あなたの妹は、前を向いて、頑張るよ。
□■□■□■□■□□■□■□
姉の最期は、まるでドラマを見ているようなお別れだった。最期まで姉らしい完璧なお別れだった。
コメント
コメント一覧 (1009)
来年還暦を迎えます
本当にこの病気は酷な病気です
お姉様のご冥福をお祈りします
今頃 知って大変申し訳ありません
これからもたくさん楽しいお話を書いてください
カータン
がしました
子どものことや自分のことで忙しく、久しぶりにブログを拝見しました。
以前と変わらぬブログに心癒されています。
その時にお姉さまの訃報について触れられていて知りました。
自分のことのように悲しいです。
もうすぐ命日ですね、、、。
カータンさんにはお姉さまの分まで生きてほしいです。
カータン
がしました
大好きな家族を次々と見送ってお辛かったですね。
カータンの言う様に天国で家族仲良く過ごされてることをお祈り申し上げます。
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン
がしました
乳がんは今や治る癌と言われていますが、そんなの、分からないですよね。私も姉がAYA世代の乳がんサバイバーです。
もし、機会があれば、そしてお姉さまが許してくれるのであれば、お姉様の乳がん発覚からの、ステージやどの様なタイプの乳がんだったのか知りたいです。
カータン
がしました
友人同様お姉さんもしっかり者だったことを知り、なんだか重ねながら読み進めました。
ご冥福をお祈りします。
カータンブログ今後も楽しみにしてます!
カータン
がしました
お姉さん、闘病を最後まで頑張ったんですね。
私も2ヶ月前に30になったばかりの弟を癌で失いました。弟は私に辛さを見せることなく、全力で頑張ってくれていました。分身のような、私の一部のような大好きな弟がこの世にいないと思うと、今でも信じられなく、夢でも見てるのではないかと思う時があります。家族を失うのは辛いですね。
でもらまた朝が来て、夜が来て。頑張るしかないんだな、と日々思っています。かーたんさんも、無理せず過ごしてくださいね。応援してます。
カータン
がしました
闘病なさってたんですね。
私はかーたんと同世代でひとりっ子なので、お姉さまと相談しながらご両親の介護をされているかーたんのことをとっても羨ましく思っていました。
まだまだ悲しみは癒えないと思いますが、ご自愛くださいね。
お姉さま、お父さまのご冥福をお祈りします。
カータン
がしました
お姉さん闘病されていたなんて。
姉妹が亡くなるのは親と違う種類の悲しみがありますよね。ご冥福をお祈りします。
カータン
がしました
私も昨年妹を癌で亡くし、未だ両親と共に悲しみに沈んでいます。
かーたんとお姉さんの様に、私達もあれこれ言いながら両親の介護などをすると思っていました。
まだまだ居ない事実に落ち込むかもしれませんが、どうぞお身体を大切にお過ごし下さい。
カータン
がしました
カータン
がしました
本当に素敵な姉妹でしたね。優しいお姉様ですね。
ご冥福をお祈り致します。
カータン
がしました
言葉を失い涙が止まりません。
闘病されてたんですね。お母様のお世話もカータンさんとしてらしたので、お元気だとばかり思っていました。
とても素敵なご姉妹で、いつも微笑ましく拝見させていただいてました。
お姉様のご冥福をお祈り致します。
カータン
がしました
私は先月から年1の経過観察になりました、乳ガンと直腸がんです。
周囲も乳ガンは増えてます、皆さまに検診は受けて頂きたいものです。
カータン
がしました
お姉さまがお亡くなりになっていたなんて、、言葉を失いました。涙が止まりません。お悔やみ申し上げます。
最後まで強く優しく素晴らしいお姉さまでしたね。
いつもサービス精神旺盛な温かい人柄のカータンですが、ご無理なく心身を大切にしてくださいね。
今後も心より応援しています。
カータン
がしました
お姉様への愛に溢れた文章を読んでいて涙が止まりませんでした。姉と最近ケンカして3ヶ月くらいろくに口を聞いていなかったので、余計に堪えました。話せるうちにたくさん話そう、会えるうちにたくさん会おうと思いました。カータン、、、
カータン
がしました
お姉さんが亡くなったなんて!
泣きながらブログ読みました。
なぜか亡くなったことに関して触れている部分ばかり読み飛ばしていました。すみません。
改めてお悔やみ申し上げます。
色んなエピソードを読ませていただきましたが、特にお姉さんのバラのイングリットバーグマンの回のことを思い出します。
カータン
がしました
いつも楽しく拝見しております。
お父さん、お姉さんに関する記事も大好きで。
もちろん、これからも応援していますし更新も楽しみですが、何だか寂しいですね。
辛い気持ちの中でのご報告、ありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。
カータン
がしました
カータン
がしました
やっぱり 唯一の信じられる人だったので もう会えないなんて 私はactorの2020年に推しだった眉目秀麗の彼の姿を見ることが出来なくて 共鳴してくれたのも、まさか 貴方まで 涙が 溢れます。
お互い 乗り越えましょうね。
カータン
がしました
カータン
がしました
突然…お姉様がお亡くなりになった事を
知りました…御冥福ををお祈りします😭🙏
…と同時に竜ちゃんが夢に
向かって頑張っている事も知りました。
カータン辛かったですね…そして竜ちゃんが
夢に向かって歩んでいる事…嬉しく見つめられて
いる事と思います。 ブログを更新されている
立場として喜びも悲しみも伝えなければ
と大きな負担になっていないかと心配ですが
😭 こんな呑気な読書もおります…
カータンのペースで。カータンの気持ちの
赴くままに。少しでもカータンが笑う時間が
あります様に
カータン
がしました
かーたんのブログが好きで、お姉様の登場も何度もあったので親近感が沸いていたので、こちらまで悲しいです。かーたんゆっくりしてくださいね。ご愁傷様です。
カータン
がしました
かーたんのブログが好きで、お姉様の登場も何度もあったので親近感が沸いていたので、こちらまで悲しいです。かーたんゆっくりしてくださいね。ご愁傷様です。
カータン
がしました
お姉様が旅立たれたのを知らずにいました。
遅くなりましたが ご愁傷さまです😭
私には 姉妹が居ないため、カータンブログの姉妹のエピソード大好きでした✨
カータン姉さまのような姉が欲しかったです☺️
カータン、いつもブログの中では カータンは
大事な 私の おねいさんです、😃
どうか元気出してください☺️
カータン
がしました
カータン
がしました
お姉さんは、いつまでもいつまでもカータンのお姉さんで、お姉さんの素晴らしさの半分は、カータンが作ったのだと思います。素直で可愛い妹がいて、お姉さんは幸せだったと思います。
私は両親も弟も元気ですが、8年前、40歳の時に同い年の主人を急病で亡くしました。そのとき、なんで?とは絶対思うな。ああそういうことが起こったのだと、受け止めなさいと言われて、その言葉をすがって生きてきました。
カータンどうか元気でお姉さんの分もいろいろ見て感じて行きて行ってくださいね。
カータン
がしました
もうこれからそのひとと
楽しいことやうれしいこと、面白いことを共有していけないことが本当に悲しく、裏寂しく、とてもつまらないことに、どうして?と心がやるせなさでいっぱいになりました
月日が流れてもそのひとを思わない日はなくて
私にとってずっと大事で素敵な存在です
いろんな思いを巡らして寂しさは無くならなくとも、それでもカータンはたくましくうつくしく前を向いて進んでいきはることと思います
いろいろなことご無理なく頑張ってくださいね
カータン
がしました
つい先日父が他界し(お姉様の命日と1日違いです…。)その際に、お姉ちゃんが私より先に亡くなったら私は涙止まらなくなるだろうな、お姉ちゃんは我慢強い人だしどうだろうな、とか考えていました。
大事な人を亡くした喪失感を克服するのには、本当に時間がかかるものです。(母が亡くなった時は受け入れられなかったのか、どこに行ったんだろう、と3年くらい本気で心の中で毎日探し続けていました。)
気持ちが辛い時には泣きながらでも良いと思うので、ご家族に話を聞いてもらって欲しいと思います。
どうかご自愛ください。
カータン
がしました
カータンさん お辛いときはたくさん泣いて。ブログお休みしてもいいです。
わたしも大好きな父を亡くして…
急に寒くなりました。お身体にはほんと気をつけてあったかくして過ごしてくださいね
カータン
がしました
ってカータンが言ってたり、お姉さんが降りてくるのをLINE見ながら待ってたり、っていうところで、お姉さんどこいったの?と思って前に戻ったら、お姉さんが亡くなられたって、さっきわかりました。
お辛いですね。お母さんの認知症にもお二人でユーモアをもって協力して対応されていて、素晴らしいなぁ、と思っていました。いやいや、ホント泣いていいですよ。介護マンガにいっぱいお姉さん、登場させて、泣きながら思い出しながら描いてくださいね。出来上がるのを待っていますね。
カータン
がしました
どうかかーたんさん、無理せず泣いてください。
しっかり泣かないととても前なんて向けないと思う。ブログ休んでてもいいです。
私の知り合いは、身近な人の喪失感を癒すのには5年はかかると。
私も同感です、無理して前なんて向かず悲しみを癒して欲しいです。お姉様必ず見守って下さっているので。
御冥福をお祈りします。
カータン
がしました
私も今年最愛の母を突然亡くし、姉と力を合わせてに独居の父を支えている状況で、母を亡くした悲しみも、父の心配も姉と一緒に分かち合って乗り越えているところなので、同じ年のかーたんさんのブログにはずっと励まされてました。
同じ年で、今14歳の子供が赤ちゃんの時は、かーたんさんの育児ブログを何度も読み、いつでも読める様に本も買って当時住んでいた海外まで送ってもらい、と、人生の転機でいつもかーたんさんのブログで、ご家族の楽しいお話しを読んで乗り越えてきたので、お姉様の楽しい話も素晴らしいお人柄も大好きでした。かーたんさんの悲しみを思うと言葉になりませんが、ただただお身体お大事に、大事なご家族とゆっくり休んで下さい。
カータン
がしました
4才上に姉が居るのですが、やはり甘えたり、頼ったりしている所を見たことがなく、なんだか心にグーッときました。
癌が憎いです。
ご冥福をお祈りいたします。
カータン
がしました
今日初めて、風の吹く日は姉の…という記事を見て初めて知り、今この記事まで遡りました。
ご覚悟もあったかもしれませんが
この一年のカータンのお気持ちを考えると かける言葉がみつかりません…
(私も姉妹なので)
でもお姉さまはカータンが最期まで傍にいてくれた事、とても心強かった事と思います。
月並みな事しか書けず申し訳ないですが、
感情も無理なさらないでくださいね。
カータン
がしました
ホントにお姉さんのこと考えると 気が遠くなるほど辛かったんですね!だってお父さんにはもう言えないしお母さんと話せれば気もちも楽になるはずだから。身内のことは一緒に居た家族しか痛みはわからない部分があるからね。お姉さん 壮絶な生き方を(いろんな意味で気丈で明朗な)した素敵な人だったんですね。私も見習いたい、と思うとこあります。それで 前の姉妹のスイカ🍉のお話 見たんだけど、こんな素敵な姉妹愛のおちのスイカが 限りなく不味いのは いたいけな少女たちに失礼だな と腹が立ちました。美味しくなきゃいけません。天は何をやっているのだろ。きっと二人のことだから隣の人とかにあげたりもしたかもね。この頃 スイカ美味しいのに出会ったことないの私。北の街だからね。いつも遠い南の店からお取り寄せしてるんだ。そうしないと美味しいスイカ食べられないんですよ!
くだらない話しちゃったね。
カータン お父さん お姉さん 心配してカータンを見ていますよ。そしてガンバレ✊お母さんをカータンひとりにしちゃったけどたのむー って言ってるね。娘さん達のことやらで忙しいのもいいかもですね。では🌠🎄
カータン
がしました
私のあだ名も"かお"で、長女ですので、勝手に親近感を持っておりました。
お父様のこともあり、ご家族様の哀しみがいかばかりか…想像するだけで心が痛いです。
どうか皆様ご自愛くださいね。
カータン
がしました
私も実姉をガンで亡くしています。2年間の闘病の末でした。きょうだいを亡くした喪失感はなんとも言い難いですよね。ゆっくり心と身体を休めてくださいね
カータン
がしました
本当に辛いですね。
少しでも休む様にしてくださいね。
カータン
がしました
ゆっくり立ち直って行けばいいんだよ。
みんなきっと同じ気持ちであなたのこと見守っているよ。
カータン
がしました
お姉さんがいて心強かったと思います、本当に残念です。
カータン
がしました
そして、おそらくお姉さまを心配していたカータンさんをよそに、認知症で全く心配されないお母様にどれだけ悲しい思いをされたのでしょう…😭😭
本当に本当にお疲れ様でした。どうぞゆっくり休んで下さいね。
カータン
がしました
いつも姉妹の仲良さを、羨ましく思っていました。うちは兄と私で、さほど連絡も取らず、ほとんど会わないので。
実は、1〜2ヶ月前くらいに、カータンさんを見かけたんです。わたしも国分寺市民でして。でも、予想するに、カータンさんちとは、駅の真反対で。
大きなタッパーを2つ持って、カータンさんは立っていました。しばらくしてご主人と思われる方が車で運転して来られ、乗っていかれました。あー、声かければよかったかなー、もう、二度と会えないかもなーとか、考えちゃってました。今思うに、かおさんちのマンションだったのかな。大変な時期だったのかな。
大切な家族を相次いでなくしてしまうって、かなり心のダメージが大きいと思います。
ゆっくり休んで、無理しないでくださいね。
明るくて楽しいカータンさんのブログが大好きです。でも、つらいときはお休みしてくださいね。
カータン
がしました
休みたい時は休んでくださいね。
どうか無理をしないでほしいと
思っています。
わたしの母も認知症で…
何も相談できず、気持ちの共有も
できなくなった母に、
会っても虚しくなる自分の気持ちを
どこにも持って行き場がなくて…
どんな病気も治せる薬があればいいのにと
よく思います。
カータン
がしました
カータン
がしました
お姉様の事、お悔やみ申し上げます。
カータンの気持ちを想像すると心がギュッとなります。
ご自身の病気、ご高齢な親、お姉様の事、おしんスッチーだって今は笑えるけど大変な事が多いはずなのに、笑いも涙も交えてブログで伝えてくれてありがとう。
書くことが辛かったら休んで、もし書くことで少しでも心が軽くなるのであれば嬉しく思います。
共感したり反省したりもちろん笑わせてもらったり…また楽しみに読ませていただきますね。
カータン
がしました
自分の事では泣かなかったけど
家族の時は、辛くて1人の時に泣きました。
かーたんも我慢しないで泣いて下さい。
心が少しだけど楽になります。
カータン
がしました
久しぶりにブログを見て驚きました。
ご両親の事を姉妹で協力し助けあって
支えている様子を羨ましく思っていました。
自分にも妹がいましたが、4年前に大腸癌で
もう少しで5年と言う時に亡くなり
半年後に母親が血液の癌になり、
2年前に亡くなりました。
自分自身も
カータン
がしました
かおさんのお宅でお仕事なさってるという投稿を見て、もしやと思っておりましたが…
病に果敢に立ち向かわれたとのこと、すばらしいお姉様でしたね。
いまは痛みから解放され、かおさんはカータンたちの心の中にいらっしゃる、いつもお父様と「カータン頑張ってるね」と見守ってくださっていると思います。
カータン
がしました
私も長姉なのでお姉さんのずっと姉でいたい気持ち、よくわかります。
頼もしいステキなかーたんのお姉さん!お姉さんとのエピソード大好きです。
カータン
がしました
そんな大変なことがあったのですね。
私も二人姉妹の妹で、数年前姉を病気で亡くしました。他人事とは思えなくて泣きながら読みました。
うちの姉もそうだったなあ、なんて思い返したりしています。
素敵なお姉様のご冥福をお祈りします。
お姉様はもちろんご家族も大変だったと思います。
心と体が少しずつ休まりますように。
カータン
がしました
なんとも言葉が見つかりません
お姉さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます
カータン
がしました
どんなにお辛いか、なんとコメントしたら良いのかわかりませんか、コメントせずにいられません。
若い人が亡くなるのは本当にやりきれません。
私の場合それは夫で、癌でした。癌は本当に厳しいです。
夫を亡くした空白は何年たっても埋めれませんが、それでも残されたものは生きていかなくてはなりません。
カータンさん、おつらいと思いますが、どうかどうか前を向いてくださいね。
応援しています。
カータン
がしました
本当に優しいステキなお姉さんでしたよね。
兄しかいない私はとてもうらやましかったです。
お父さんに続きお姉さんまで、カータンの心痛を考えると、カータンが心配でなりません。
国分寺まで自転車の距離なので、駆けつけたいくらいです。
心よりお悔やみ申しあげます。
カータン
がしました
初めてコメントします。
お姉さんと仲が良くて素敵なお二人だなぁと憧れていました。
ご無理なさらないでくださいね。
お悔やみ申し上げます。
カータン
がしました
お姉様のことで心痛めていることも知らず、更新されたブログを楽しみにしていましたがカータンさんご自身はお辛かったと思います。
どうぞご無理なさらないでくださいね。
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン泣かないで
私たちもそばにいます
お父様もお姉さんも、必ずそばにいるはず
支えてくれるはずです
頑張ってください
カータン
がしました
私も2018年に大好きな秀樹がお星様になり、2019年に父を見送り、寂しくて泣いていましたが、2020年に長女と次女が結婚💍しました。
2021年に、自分の子宮体癌が見つかり手術。抗がん剤により脱毛と倦怠感に襲われるものの、早期発見により今は回復して元気に過ごせています。2021年11月と今年の9月に孫が誕生し忙しくも楽しい毎日をすごせています。
人生はあざ萎える縄の如しといいますが、悪いことばかり、良いことばかりではありません。
お姉様のことは辛いことですが、きっと空からカータンやお母様、ご家族の皆様を見守って下さっていると思います。
娘さんのご活躍を応援していますので、カータンも元気になられますように拙い文章ですがエールに変えさせていただきます。
カータン
がしました
がんが消える薬があれば…風みたいに治る薬があれば…ご冥福をお祈りします。
どうかどうか、かーたんもゆっくり休んで下さい
カータン
がしました
くださってる、カータンさん。
お姉さんのご病気されていたのですね
カータンさんのお気持ちを考えると
胸が痛いです。
ご冥福をお祈り致します。
カータン
がしました
あたるくんを思い出します
まだ学生の頃カータンが見つけたあたるくんを
初めはダメよ飼えないよと正義を見せるお姉さま
実は猫大好きの女の子
あの回だけで早くから親元を離れ必死で長女としての役割を担った真面目な女の子だなあって感じていましたお姉さま最後の時まで立派にカータンのお姉ちゃんでしたねご冥福をお祈りいたします
カータン
がしました
安らかにお眠りください。
私も一昨年突然従姉妹を乳がんで亡くし、とても人ごととは思えず、涙しております。
しばらく前からお姉さんが病気と書かれていて
ご両親の介護とご自身の病気とお姉さん大変なのにカータンを気遣ってくれて優しいなぁと思ってました。
お別れを言うには早すぎて、、、どうかかーたんご自愛ください。
カータン
がしました
前にカータンが『今とても辛い事がある。それを母と共有したいけど…』といった想いを書かれた記事がありましたがお姉さまの事だったのですね。。
とても仲の良い姉妹でとても羨ましく微笑ましくいつも楽しく記事を読んでいました。
カータンのお気持ちを考えると涙が出ます。
カータン
がしました
身近な人を亡くす悲しみは本当に辛いですよね。
いつもブログを拝見していますし、度々登場されるお姉さんに親近感を持ち、姉妹のいない私はカータン姉妹に憧れていました。
お姉様のご冥福をを心よりお祈り申し上げます。
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン
がしました
優しくて頼もしいお姉さま。
カータンのblogでかかせない存在のおひとり。
一人っ子の私はいつもカータンとかおさん姉妹が羨ましく憧れで、これからもそれは変わりません。
これからはお父さまとお姉さまお2人でいたずらをして笑わせに来るかもしれませんね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
カータンもいくらでも休んでいいんですよ。ご自愛くださいね。
カータン
がしました
いつもカータンのブログに笑わせてもらい、活力をもらっています。
悲しい時は、泣きましょう!
時間という薬が必要な時もあります。
かおちゃんのご冥福をお祈りします。
いつも本当にありがとう。
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン
がしました
この度はご愁傷様です。ご冥福をお祈りいたします。
今読んで、びっくりいたしました。あんなに仲が良くお父様、お母様の面倒を一緒に見ていたのに。。。
でも奇跡ってあるんですね。見ていて思いました。
かーたんさんにあとのことは託して行かれたのでしょう。
かーたんさんが悩んだ時は必ず現れるはずです。何らかの形で。本当に仲が良くて姉妹って良いなーと見ていて思っていました。
ゆっくり休んでください。
ブログは書きたい時で大丈夫です。
うちも突然の飼い猫とのお別れが9月にあり、今でも思い出しては泣いています。
忘れないことがその方への供養と聞きます。
一人でもいつも見守ってくださっていますから、心では二人ですね。これからはお子さんと旦那さんと一緒に乗りこえてくださいね。
体調管理にお気をつけて。腸が元気だと体調が良くなります。朝のコーヒーが大好きだったのに今は白湯かこんぶちゃです。そしてヤ○○トです。
かーたん応援してます!無理をなさらず。
カータン
がしました
読み始めた頃の高齢の親の回で薄々お姉様の体調が良くない事は存じ上げておりました
私も昨年の同じ頃、病気療養中の弟を突然亡くしました。(余命宣告はありませんでした)
お互い独身で親の事や彼の治療に関して一緒に先生の話をきき相談した仲なのでショックは大きかったです。
なのでカータンさんにかけるよい言葉は見つかりませんが
1日も早く穏やかに過ごせる日が来ますように。
カータン
がしました
お姉様のご冥福をお祈りいたします…。
カータン
がしました
今の今かおさんのことを知り衝撃を受けています。カータンさんのブログでよく登場していたかおさんが天国へ逝かれたなんて涙が止まりません。カータンさんのお気持ちを思うと胸が苦しいです。気の利いた言葉が見つからなくてごめんなさい。今は頑張らないでお姉様のこと想ってください。心からご冥福をお祈りいたします。
カータン
がしました
でも…前を向いて〜という言葉…元気をもらいました 私も同じように悲しい出来事続いていたので…
たくさん泣けて…同じように前を向く元気をもらいました
たくさんありがとうございます😊
カータン
がしました
これからこの喪失感をどう埋めていけばいいのだろうと思う気持ち、よくわかります。
私の場合、妹が38歳にスキルス胃がんで逝きました。
まさに青天の霹靂で余命数ヶ月でしたが、それは壮絶な闘病生活を頑張り奇跡的に2年闘いました。
片親育ちで二人姉妹だった為、お互いに依存し支え合い姉妹であり親友でライバルでもあり一番近く当たり前に側に居た存在だったので失う事が怖くて信じられませんでした。
闘病生活の中、仕事や結婚をあきらめ人生に終止符を打つ覚悟をしている姿を見てはやりきれなさと悔しさでたまりませんでした。
姉として何も出来ない中、生きる目標の為に無理やり旅行やライブに連れて行くのが精一杯でした。
本当はお婆ちゃんになっても一緒に旅行や買い物に行き、好きな推しを応援しバカ話をしながら楽しむはずだったのに神様を恨みました。
あれからもう15年の年月が経ちますがやっとと言う感じです。
側で見守ってくれていると思うので妹の分も人生楽しく生きなきゃと日々思って居ます。
カータンもまだまだ涙に暮れる日々があると思いますが、お姉さんの分も人生楽しんで頑張って生きましょう!
カータン
がしました
お姉さんが登場されるお話が大好きでした。
ご冥福をお祈りします。
かーたんさんのブログをバックナンバーから読み直しています!笑いだけでなく、励まされること、学ぶことが沢山あり、私にとって大人の教科書みたいな存在です。このお仕事をして下さって、ありがとうございます!救われています。
かーたんさん、ゆっくりお休みしてくださいね!
YouTubeもブログも大好きです。
カータン
がしました
なかなか立ち直るのは難しいかもしれませんが、少しずつ…。お姉様のご冥福をお祈りします。
カータン
がしました
かおさんが闘病中もお父様のことをカータンと共に支えてられてきたこと、同じ病気の仲間としてとても他人事としては思えません。
家族も第二の患者です。カータンも第二の患者として悩み苦しみ過ごしてこられたと思います。
かおさんもカータンとご両親を支えてこられたことは、心強かったはず。私もかおさんがおられなくてとても寂しいです。あの世でお父様と笑顔で再会されてることと思いますよ!
カータン
がしました
かーたんの笑顔が出る日をきっとお姉さまも待っていらっしゃると思います。
くれぐれも無理のなさらないよう、ご自愛ください。
カータン
がしました
25歳、27歳の娘が
2人います。
かーたんと、かおさんみたいに
素敵な姉妹になって
助けあっていってほしいと
思っています。
カータン
がしました
お姉さまのご逝去はカータンにとってどれほどお辛いことでしょう。慰める言葉もありませんが、カータンのこと、これからも応援しています。
カータン
がしました
カータンのことが毎日心配で初めてコメントします。
私にとってもう何年もカータンのブログを読むのが生活の一部で、お姉様の存在も自分の親族のような気持ちでいました。
いつも明るくて楽しいカータン。
今は無理に切り替えようとか明るくいようとか思わないで。
ブログの更新も無理しないで下さいね。
なんと言葉をお掛けして良いかわかりません。
ご冥福をお祈りします。
カータン
がしました
カータンさんより年上の私は5年前に癌が見つかりました。これまで仲の良い妹に助けられてきました。カータンさんの悲しみを思うと胸が苦しいです。
お会いしたこともないのに、こんなに苦しいなんて。
いつもカータンブログに私は元気を頂いているんです。
カータンさんのお姉さんは、カータンさんの漫画の中にいて、ずっと見守ってくれていますよ。
無理をなさらないでくださいね。
長文で失礼します。
カータン
がしました
皆さんのコメントを読むだけでも涙が流れます。
父を亡くした時に、お坊様から
「お父様はいつも貴女の心の中にいますから、話しかけてください」と
言われて、16年間そうしています。
返事は無いはずですが、いつも相談して答えが出ます。
カータン、どうか元気を出してくださいね。
お姉様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
カータン
がしました
「そうだ! かあたんのブログを読んで楽しい気持ちになってから寝よう」と 1ヶ月ぶりぐらいに
おじゃまして知りました。本当に驚きました。
私には、姉妹がおらず、かあたん姉妹がとても羨ましくて。
また私には娘が2人いるので、この子達がかあたんち姉妹の様になってくれたらいいな、といつも思っていました。
こんな悲しい記事にも、事実を簡潔に表現する文章力、本当にあっぱれです。
皆、かあたんのこと、心配しています。風邪をひかないでくださいね。
お姉さん、おつかれさまでした。ありがとうございました。
カータン
がしました
私は友人も無く身内とも疎遠です。母親の死に目にも会っていないというか、生死も知りません。妹とも10年音信不通ですし引越しを期に住所も電話番号も変わったので
生涯会う事は無いと思います。ですから彼らの死を悼んだり惜しんだりする事は私にはありません。
ブログを拝見させていただいていて、カータンのご家庭がお身内仲がとても良いのだと常に感じておりました。
仲が良ければ良いほどに、失った時の悲しみが重い事は当然の事で、それこそ自身の身体の一部をもぎ取られたような痛みを感じておられるかと思います。
そして、それが家族や血縁としてあるべき姿といいますか
そういうものなのだと思います。
お姉様のご冥福をお祈り申し上げます。本当に、言葉を尽くしてもお心に沿う事は難しいと思いますが、失う当事者も辛いですがそれを見届ける側も辛いですが、
時の流れが貴方様の癒しになりますようにともお祈り申し上げます。
カータン
がしました
それでもお姉さまを心から尊敬する思いとこれからも前向きにがんばろうとする気持ちに私の心も励まされました
お姉さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます
カータン
がしました
この度はお悔やみ申し上げます。
最近親の介護に片足を踏み入れたような状態になり、カータンさんのブログに行き当たり、あまりの面白さに即本を買い、一気に読みきったのが1週間前。
ブログの続きが気になって最新のものを探していたら、お姉さんの訃報が。。
カータンさんはお姉さんと言う最強の味方がいらっしゃって本当に羨ましく思っていたので、残念でなりません。
カータンさん、お身体ご自愛くださいね。
きっと旦那様とお嬢さんたちがお姉さんに代わってサポートしてくださいますよ。
すみません、あまりのショックで号泣してしまい、考えがまとまらないまま、思い立ってコメントしてしまいました。
これからもカータンさんのブログ、楽しみにしています。
カータン
がしました
カータンさんはこのブログを書いている時もお姉さんを思い出して泣きながら書かれたのではないですか?
何かしてあげたいのに甘えて貰えないのって寂しいですよね。でもお姉様の甘えられないよ!でハッとしました。
実は私も6月に八歳上の姉が急逝して本当に悲しくて...。まだ58歳でした。その一年半前に癌を患っていたので、もしも姉が死んだら...と考えるのが怖くてずっと心配で辛かったのですが死因は脳内出血でほぼ即死でした。あまりにもあっけない別れで嘘でしょ?!って感じでした。あっけなかった...。苦しまなかったんだなって事が唯一の救いでした。助かったとしても介護が必要な状態なら姉は娘や周りに迷惑をかけたくなかっただろうからこれが姉には幸せな死だったんだと思っています。
姉も甘えられない人だったから妹としてはもっと甘えて欲しかったですけどね。
一時は姉が天国にいるなら死ぬのも怖くないなって思った事もありますが、今はカータンさんと同じくまた向こうで楽しくお喋りしようね!って思っています。
泣いたっていいと思います。泣いた後に私は大丈夫だから安心してねって伝えればいいと思います。魂はカータンさんの傍にいると思いますよ。
残された者は辛いです。本当に辛いですね。お姉様の死を悼み心よりお悔やみ申し上げます。
カータン
がしました
精一杯頑張られたので、天国でひろしお父さんと冗談でも言いながらゆっくりされますように…
わたしも姉(弟がいます)なので、今更甘えられないと言ったお姉さんの気持ちがよくわかります
天国では お父さんに甘えられますように…
ご冥福をお祈りいたします
カータン、お体大切にしてくださいね
カータン
がしました
心からご冥福をお祈りします。
私自身、カータンさん、ご家族はもちろん、お姉様の大ファンで、お姉様の過去記事を何度も何度も読み返しながら笑って、癒されていました。
特にお姉様がオレンジレンジ大好きということで、カータンさんとぺーちゃんとカラオケに行く記事が大好きで、それ以来、SUSHI食べたいを毎日のようにリピートするようになりました。クセになりますね笑。
今もオレンジレンジをYouTubeで観てます。少しでもお姉様が天国で楽しんでいただければな、と思います。私だけはありません。こちらの読者の方皆さん、カータンさん、お姉様の大ファンです。
お姉様、安らかにお眠りになりますように。
そしてカータンさん。
泣くことは悪ではありません。悲しみでもありません。泣くことは我慢しないでくださいね。無理はなさらぬよう。
陰ながら応援しています。これからもずっと大好きです。
カータン
がしました
私もカータンと同じで6/23に姉を亡くしました。
妹の私はカータンと同じて、いつも姉に頼りっきりでした。姉が亡くなり「これからどう生きていけばいいのだろう」と戸惑いました。
毎日いろんなところで姉との思い出が溢れてきては泣けてきます。
カータン
たくさん泣けるといいね。
そしてくれぐれも頑張りすぎないでね。
応援してます。
カータン
がしました
ご主人と娘さんたちが守ってくれるからね
カータン
がしました
なんと申し上げたらいいのか、わかりません。
かーたんのブログは、ご家族の方々がいらっしゃっての楽しいブログです。今、読み上げて胸がつまってしまいました。
お気持ち、痛いほどわかります。私も下の子で、兄を5年前に病気でなくしました。毎日、毎日、思い出さない日はいまだにありません。思い出すと、胴体が抜けたような感覚になるのです。
夜、空を見上げて星に話かけたり…。 ね。
まだまだ辛いでしょうけど。とにかく、ご飯は食べてくださいね。ブログを読んで、泣いてしまいました。お姉様、とっても素敵な方でしたもの。
カータン
がしました
お姉さんと一緒に御実家へ行ったりされていた内容が
印象的だったので、まさか大病を患っていらっしゃったとは知りませんでした。
お母様の回ではとてもお辛い心情が書かれていて、
コメント欄が閉じていたのも気になっていましたが、
まさか… 絶句です。
こんな時、夫や子供では埋められない、産まれて大人になるまで共に生活した、肉親としか分かち合えない感情があると思います。
認知症という病気でなければお母様も、お姉様のことを
とてもとても、とても心配したであろうと思います。
それが出来なくなってしまっている母親の実状を
まざまざと突き付けられる…
行き場のない悲しみ、もどかしくて苦しすぎる、八方塞がりの日々だったと思います。
カータン様、食事はとれていますか?
お身体、ご自愛ください。
お姉様のご冥福を 心よりお祈り申し上げます
カータン
がしました