ハワイ旅行記 2023夏⑦軍艦ミズーリ記念館
からのつづき
アリゾナ記念館へは強風のため行かれなかったが、
ツアーバスに乗り、戦艦ミズーリ記念館へ。

戦艦ミズーリは、アメリカで最後に完成し、最後に退役したため、『最後の戦艦』と呼ばれているそうだ。

とにかく大きい!
艦内に入ると、
日本人ガイドさんが詳しく説明してくれる。


この輪1つ50キロほどあるのだそうだ。


いろいろ教えてくれたんだけど、
ただすごい!としか言いようがない。

艦尾の方に歩いていくと。


あの教科書によく出てきた写真、
『マッカーサー元
あれって、ここのデッキだったの?
聞いてないよ!←いや、教科書に書いてある

まさにこの場所↓ この上で行われたんだって!

みなさん、知ってました?
私は初めて聞きました!←いや、忘れたんだよ!
降伏文書のレプリカ。


この歳になっても学ぶことが多い!
というか、
学生時代、実にいい加減に勉強してたってこと。
さらに艦尾へ進んだところ

見ると、少し凹んでいる。



亡くなった石野二等飛行兵曹(19歳)の写真と水葬の様子。

上の日本語の説明部分を拡大しておきます。

私もそっと手を合わせた。
あとは、艦内を自由見学だ。
そんなに時間はない(20分くらい?)
食堂

寝台

偉い人?の個室

テーブルには恋人との写真。

応接室?

キッチン

そして、こちら軍艦ミズーリ記念館は、
知覧特攻平和会館と姉妹館ということで特攻隊の展示も。


知覧のDVDが流れてて、
立ち止まって、思わずじっくり見入ってしまった。


みんなで足早に出口へ向かう。

とその時、長女が言った。

またみんなで来た道を戻る。

迷子の次女発見!

涙目になっている。

次女があまちゃんなのは、長女のせいよ。
このあと、またバスに乗って、
次は太平洋航空博物館へ向かう!

□■□■□■□■□□■□■□■□■□
鰊御殿もそうだが、私はこういう施設をじっくり見学するのが好きなので、もっとじっくり見てまわりたかった。あの広い艦内、駆け足で見て回った感じだ。テーブルに置かれた恋人との写真(演出かもしれないけど)を見ながら、いろんな思いを馳せたかった。
コメント
コメント一覧 (48)
日露戦争の時、激戦地の203高地ではお互いの兵士のご遺体回収のため休戦日が設けられ、ご遺体を搬送する敵兵とすれ違った際には日本兵は手を合わせて弔いをしロシア兵も十字をきって弔ってくれたそうです。
そして味方の兵に発見されなかったご遺体は放置せず、お互いの国の流儀で(仏教、ロシア正教)お弔いされたとのことでした。
戦時中でも亡くなった方に対する思いというのはどの国でも変わらないのだなと感じました。
私は8月には毎年特攻隊を扱った、横山秀夫の出口のない海か荻原浩の僕たちの戦争を読む事にしています。
世界中で争いによって人が亡くなる事のない日が来ます様に
カータン
が
しました
地元が知覧なのに姉妹館だということを知りませんでした。
カータン
が
しました
"特攻隊のことを「テロと一緒だ」という人がいることです。ですが、無差別に人を狙うテロとは全く違うのだと、私どもは強く反論いたします。当時の日本はアメリカと戦争をしていたのです。国と国との戦いで兵士は国民の命や財産を守るために戦った。その区別がつかない人が増えています。私は戦争経験者として、現代のそんな風潮をたいへん憂えております"
カータン
が
しました
家からわりに近いので、再訪したいようにもたびたび思いますが、我が子が男子高校生になった今は、こどもとダブってしまうよね・・・と思うと怖くて行けません。
カータン
が
しました
知覧の平和会館と姉妹締約、、地元の事なのに初めて知りました。。
カータン
が
しました
戦争、だめですよね。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
次々と出撃していき帰らぬ隊員たち。。。
父も母親宛に遺書を書き、明日未明出撃という夜中に突然移動命令が出て
遺書を処分させられ、身の回りの物だけ背負い何も知らされずわからないまま徒歩で行軍
客車や貨車に詰め込まれ、何度も何度も乗り換えさせられて
(隊員にはどこの基地にいるのかやどこに出撃するかなど一切知らされず機体整備や飛行訓練の毎日だったそうです)
何日もかかって出征地に戻り駅で整列させられ玉音放送が流れたそうです。
2歳上の兄は南方に散り遺骨の代わりに石ころ一つが両親の元に届けられました。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
これらの調印式で使う万年筆は数本準備して記念にプレゼントされる。
我が国代表の重光はパーカー製を使わず自前の「パイロット」製を使用。
特別攻撃隊への訓示
1.最後まで照準せよ。目をつむるなかれ。目をつむれば命中せず。
2.過速となるなかれ。600キロ以上は最後に舵きかず。
3.命中角度は60から40度。
目を背けてはならない歴史ですね。
お邪魔しました。
カータン
が
しました
学校の先生に半ば強制的に勧められてなったそうです。
その父が申しますに、もう少し戦争が長引いていたら、
特攻隊として死んでいただろうと。
戦争はどんな理由があっても絶対にしてはいけないと
生前中何度も聞かされてきました。
戦争の無い世の中が1日でも早く訪れますように。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
特攻の方の事がとても辛かったです。
私は息子が3人いますが、3男が19歳です。
ご本人の気持ちや送り出されたご家族の気持ち(特に母親)を想うと号泣してしまいました。
国や家族を守るというお気持ちで、辛い気持ちを押し殺し今の日本を守ってくださいました。
感謝しかありません。
結果や色々なことは置いといて、ただただありがとうございましたとお伝えしたいです。
カータン
が
しました
なにが「神風」!
某宗教のテロもそうですが、自分の命を差し出して戦ってもいい理由は何一つありません。
自分で死ぬとわかってて飛び込むなんて辛すぎます。
本当にもう二度とこんな辛く悲しい戦争をしてほしくないですよね。
今のウクライナもそうです。家族はみんな悲しい。
カータン、改めて認識させてくれてありがとうございました。
カータン
が
しました
テストに出る部分、マッカーサー「元師」じゃなくて「元帥」ですよ!
カータン
が
しました
うちは 両親の親も 早死にしてしまって
戦争の話 一回も 聞いたことない
母も 縁故疎開してたのに 戦争の話なんて
したことないし 学校でも そんなにしなかったかな?
皆さん ちゃんと人の話聞いて 自分の考えも
持っている
私の 苦手なこと ちゃんとやってて 尊敬します
カータン
が
しました
広島、長崎、知覧の記念館には、訪ねた事があり、なんて悲しい時代だったのかなと、胸が痛かったです。知覧で特攻隊員が、犬を笑顔で可愛がってる写真が、心に残ってます。
世界が平和であること、一日も早く戦争が、無くなって欲しいと願います。
カータン
が
しました
戦艦が見たいという夫に連れられ、あんまり興味ないんだよねと思いつつ行ったのですが、特攻隊の展示が多くあり、途中から涙無くしては見られませんでした。当時はまだ子供がいませんでしたが、息子がいる今はもう見れないかも。
周りの方々も涙涙で… 戦争は絶対起こしてはいけないなと痛感しました。お近くに行かれた際は足を運んでみてください。
カータン
が
しました
今回のカータンのブログを読み、平和であることに感謝して生きないといけないと改めて思っています
『知覧からの手紙』
『いつまでも、いつまでもお元気で』
などの本を読んでも、
当時の人たちの気持ちを思うと本当に切なくなります
戦争は悲しみしかない
カータンファミリーの明るく幸せそうな写真、いいですね!皆さんキラキラしてる!
ハワイ旅行記、続きも楽しみにしています
カータン、とてもお忙しそうですが、最近お母様はお元気にされていますか?
カータン
が
しました
大昔に読んだ出産ドキュメントものの漫画で
「女が産んで、男がころすのよ」っていうセリフがあったのをいつまでも忘れる事ができず、戦跡を見るたびに息子たちにはそんな経験をさせてはいけないって思いを強くします。負の歴史を繰り返さないように、目を逸らさずに知ることは大切ですね。
ところで私 潜水艦を展示してる所で生まれて初めて霊体験したんですよね…カータン一家は何か感じなかったかなぁ🥶
カータン
が
しました
まあ、戦争は駄目!と叫ぶだけで、なぜ戦争が起こったのか触れもせず、軍部や政治家の暴走という謎理論で片付けている教育でいいのか?という問題はあるけど
カータン
が
しました
長崎に原爆が落ちた8/9は登校日で、毎年その日は学校で戦争についての式典のような事をします。
校長先生の話や、歌を歌ったり、展示をしたり、原爆や戦争に話を毎年毎年たくさん聞かされました。
それがトラウマになっているのか、戦争についての話しを聞くと辛いです。
原爆資料館も怖くて、新しく建て替えられてからは行っていません。
でも、知覧に行った時に、心打たれるものがありました。
かーたん、知覧に是非行って下さい。
そして長崎にも来て下さい。
夫は被爆2世です。夫の父は被爆して、癌で亡くなりました。夫も癌になり、3年前に手術しました。
半年毎に検査していますが、数値が少しずつ高くなっているので、再発かもしれません。
息子が同じ病気にならないように祈るばかりです。
水葬の話はジーンとしました。
カータン
が
しました
ブログにあげてくださってありがとう
カータン
が
しました
今の世界情勢を見ているとこれから先も日本が平和でいられるのか心配です
戦争は決して他人事ではないと思います
アメリカの方々が敵である特攻隊員を水葬してくれた話感動しました
戦時下で命令されれば是非もないという事を身を持って理解し、敵国の青年の立場を慮ってくれる艦長さん素晴らしいですね
カータン
が
しました
一部の権力者の為に尊い命が沢山犠牲になって
カータン
が
しました
カータン
が
しました
ハワイまでは行けませんが 私も いつか 知覧に行ってみたいです。身近なところで まずは
ニシン御殿へ行ってきます!
カータン
が
しました
私も学生時代は教科書さえ頭に入れておけば良いやって感じでしたが、社会に出てから近現代史の本を何冊か読んで、今の日本がの成り立ちを少しばかり理解出来た様な気がしています。
カータン
が
しました
一人の兵士に敬意を表してくれたアメリカに感謝しかありません。
戦時中、病気が見つかり除隊された祖父は捕虜収容所で働いていたそうです。
片言の英語と日本語で身振り手振りの挨拶をしたり、ほんの少しですがアメリカの兵士と心の交流もあったとか。
人と人とは尊敬しあい、笑顔を交わし合えるのに
国と国になるとどうしてそれが出来ないのか。本当にもどかしく悲しいです。
カータン
が
しました
知覧特攻平和会館のことを思い出していたら姉妹館だったんですね。カータンもし興味がありましたら「吉川猛夫氏」について調べてみて下さいませ。
真珠湾攻撃の際に日本人スパイとされていた方です。
吉川氏が真珠湾を眺めていた料亭が今もあります(十数年前に訪れた時は定休日でした😢)
カータン
が
しました
息子と同じ年齢で特攻で亡くなった青少年のお母さんの気持ちに自分の身を置き換えてみると、自分の身を引きさかれるよりももっとずっと辛い思いがします。でも当時のアメリカも敵国兵ながらリスペクトを持って弔ってくれてたのですね。知らなかったわ。
こういうことを一面的ではなくて多角的に深く考える機会を下さるカータンブログに感謝です。
カータン
が
しました
百田尚樹さんの小説『永遠の0』に
書いてありますね
まさかの本当の話だったとは!
びっくりです
百田尚樹さん、色々言われてますが
『永遠の0』は何回読んでも
泣いてしまいます
恥ずかしながら
戦争のことはこの本で知ったような…
おすすめです
カータン
が
しました
百田尚樹さんの小説『永遠の0』に
書いてありますね
まさかの本当の話だったとは!
びっくりです
百田尚樹さん、色々言われてますが
『永遠の0』は何回読んでも
泣いてしまいます
恥ずかしながら
戦争のことはこの本で知ったような…
おすすめです
カータン
が
しました
観光で綺麗なところを楽しむのもいいけど、過去の人類の過ちを肝に銘じるこういう施設も、子供達に一度は見せる必要があると、記事を読んで思いました。
ウクライナや紛争地域でも日々、こういった悲しい別れがあるのでしょう。
世の中から戦争がなくなればいいと切に思います。
最後笑った🤣🤣
カータン
が
しました
カータン
が
しました
特攻するのが任務だった、任務を遂行しただけだから敵味方関係ない…
でも、まだ19歳だった…あんなに大きな戦艦に…
そう考えたら、いまだにこの世界で戦争や紛争が絶えないことが息子がいる身には恐ろしいです…
カータン
が
しました
同じ人間同士、こうして相手を思いやれるのに、本当に戦争は悲しいものですね。
改めて知り、考える機会をくれたカータンの記事に大感謝です。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
コロナがあってから 自分は長いことそういう体験していないなぁと思い出しました。
かーたんさん有難う!また旅に出かけたくなりました。
カータン
が
しました
是非
鹿児島 知覧にお出かけ下さい❗️
カータン
が
しました
是非
鹿児島 知覧に
お出かけ下さい❗️
カータン
が
しました
かーたん同様昨年は悲しいお別れがありました。
喧嘩ばっかしてた主人が亡くなり。
時々寂しさに押しつぶされそうですが、普段の私は、かーたんくらいテキトー⁉️な保育士です。
またすっちー時代の話も聞きたいな。
保育士も爆笑ネタはたくさんありますよー
カータン
が
しました
カータン
が
しました