姉の命日
14年前に夫の兄が交通事故で亡くなった。
独身だった兄のアパートを片付けるのは、
家族で唯一残った夫の役目となった。
義兄は地方に住んでいたため、
週末泊まりがけで兄貴の部屋の片付けに通った。
私も何度か一緒に行ったが、
娘たちもまだ小さかったこともあり、
私の実家に預けなければならず、
夫が1人で通うこともたびたびあった。
ようやく兄貴の部屋が片付いて、
いつもの日常が戻ってきた頃、
すると、夫は言った。
あえて何も言わなかったが、
あの時、私は心の中で思っていたのだ。
今にして思えば、
私はなんにもわかっていなかった。
姉を亡くしたとき、
あの時、夫の言った言葉の意味がすごく理解できた。
姉が亡くなったという現実に向き合おうとすると
自分が壊れてしまいそうだった。
悲しい時は、思いきり泣いたらいい
そういう考え方もある。
でも、私には家族がいて
毎日を生きていかなければいけないわけで…
姉が亡くなったことは、
箱の中にしまって考えないようにした。
それでも、姉が亡くなった現実に
向き合わなければならない時はたびたびあった。
例えば、嬉しいことがあったとき
近くに新しいお店ができたとき、
台湾のニュースを見たとき
母が面白いことをしたとき
どれも取るに足らないことばかり。
でも、
そんなたわいもない話ができた姉が
いなくなってしまったことが余計悲しく思えたり…。
今日は、姉の2回目の命日だった。
今日、たまたまLINEを見ていたら
姉が病院の治療を終え、
訪問介護に入ることになったときに、
訪問介護の先生と姉と私の3人で作った
LINEグループが出てきた。
私が付けた「負けるな!香」というグループ名のそのLINE。
最期はわがままに生きてみようかなぁと
言っていた姉。
今日、姉のお墓参りに行き、私は姉に愚痴った。
そして、報告したわ。
<販売店舗>
・カドスト(クリアしおり特典付き)
※特別ページはこちら
・Amazon
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
姉が亡くなって2年が経った。まだ姉が亡くなったという現実は箱に閉じ込めたままだ。時々、ちょっと開く感じだ。パカッと開けたら、ドーンと落ち込みそうだから。時間がかかるのは仕方ない。今日はたまたま「負けるな!香」のグループLINEが出てきて、悲しくなってしまった。
独身だった兄のアパートを片付けるのは、
家族で唯一残った夫の役目となった。
義兄は地方に住んでいたため、
週末泊まりがけで兄貴の部屋の片付けに通った。
私も何度か一緒に行ったが、
娘たちもまだ小さかったこともあり、
私の実家に預けなければならず、
夫が1人で通うこともたびたびあった。
ようやく兄貴の部屋が片付いて、
いつもの日常が戻ってきた頃、
すると、夫は言った。
あえて何も言わなかったが、
あの時、私は心の中で思っていたのだ。
今にして思えば、
私はなんにもわかっていなかった。
姉を亡くしたとき、
あの時、夫の言った言葉の意味がすごく理解できた。
姉が亡くなったという現実に向き合おうとすると
自分が壊れてしまいそうだった。
悲しい時は、思いきり泣いたらいい
そういう考え方もある。
でも、私には家族がいて
毎日を生きていかなければいけないわけで…
姉が亡くなったことは、
箱の中にしまって考えないようにした。
それでも、姉が亡くなった現実に
向き合わなければならない時はたびたびあった。
例えば、嬉しいことがあったとき
近くに新しいお店ができたとき、
台湾のニュースを見たとき
母が面白いことをしたとき
どれも取るに足らないことばかり。
でも、
そんなたわいもない話ができた姉が
いなくなってしまったことが余計悲しく思えたり…。
今日は、姉の2回目の命日だった。
今日、たまたまLINEを見ていたら
姉が病院の治療を終え、
訪問介護に入ることになったときに、
訪問介護の先生と姉と私の3人で作った
LINEグループが出てきた。
私が付けた「負けるな!香」というグループ名のそのLINE。
最期はわがままに生きてみようかなぁと
言っていた姉。
今日、姉のお墓参りに行き、私は姉に愚痴った。
そして、報告したわ。
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姉が亡くなって2年が経った。まだ姉が亡くなったという現実は箱に閉じ込めたままだ。時々、ちょっと開く感じだ。パカッと開けたら、ドーンと落ち込みそうだから。時間がかかるのは仕方ない。今日はたまたま「負けるな!香」のグループLINEが出てきて、悲しくなってしまった。
コメント
コメント一覧 (83)
世の中の、隣で屈託なく笑う人にも
深く仕舞われた箱を持っているんだと知りました。
時間が薬というのもようやく実感しました。
時々は、蓋を開けること、想いに溺れてしまいそうなこと自分に許してあげてください。
そんなとき 優しく時間が過ぎること祈ってます。
カータン
がしました
なんで私の家族なんだろうって思ってしまいます。
悲しいけど日常は送らないといけないんですよね
カータン
がしました
私は2年前に父を突然亡くしました。コロナ禍の妊娠〜末っ子を出産3ヶ月後突然「亡くなった」という連絡が来て会わせられないまま後悔の残るお別れでした。
突然一人暮らしになった母は私や兄に心配かけないよう「泣いていたってしょうがないもんね」とほとんど弱音は吐きません。なので家族と賑やかに暮らしている私が悲しい悲しいと泣くのもなと…。こんなとき自分に姉妹がいたら沢山話して気持ちを共有出来るんだろうな羨ましいなと思ってしまいます、でも仲の良いだけもし失ってしまったら悲しみもとても大きいですよね。
私も普段は心の蓋をしています、でもこの記事を読んで思わず父のこと書きたくなってしまいました。涙が出てしまいます。
父に何も親孝行出来ませんでした、でも父のことを考えたり思ったりすることが供養になったら良いなと勝手ながら思います。長文失礼しました。
カータン
がしました
忘れることはないし、亡くなった現実に向き合うと自分がおかしくなるのでカータンの気持ち痛いほどわかります。
仕事が忙しくて帰ってこないとか、女作って蒸発したとか思うようにしないと、もう会えない2度と話しできない事を考えると狂いそうになります。
8歳年上で私は旦那さんの亡くなった歳と同じ歳になり
ました。今の自分と旦那さんと話したい。あの時は若くて興味なかった事を聞きたい。
旦那さんも今の私ならわがまま言うこともできたかもしれない。
最後まで強くて立派でした。
経験したくない事を早くに経験してしまい、世界が180度変わってしまったけど、同じような思いをされた方に寄り添えることもこうやってできるようになりました。
少しずつ前に向いてるのかな。
カータン
がしました
あっという間に1年が経ちました。
カータン夫妻の事、とてもとても分かります。
私の母は、ずっと悲しみを抱えて時折胸が苦しくなるそうです。しかしながら、私は淡々と生きています。主人の御仏壇にもあまり思いも入らない。薄情なのか?いえ、違います。未だに向き合えて、いないのです。私以外にも同じ感情があると知り安心しました。お知らせ頂き痛みいります。
カータン
がしました
私も立派な女の古になり子供も成人しましたが、あまりいろいろ考えないようにしています
夫は闘病の末亡くなったのですが、若く小さい子供のいた私はそれを理由に、きちんと夫に向き合えていなかったのではないか、もっとできる事があったのではないかと思うこともあります
考えないようにする事が逃げの様な気がしてみたり…
ぽっかり空いた穴に吸い込まれそうになるのが怖くて蓋をしている、穴を見ないようにしているそんな感じで生きてます
ただ、あの世に行った時にあなたが突然いなくなった人生だったけど、ちゃんと生ききったよ、子供は幸せにしてるよと言えるように、がんばって生きようと思ってます
かーたん、2年頑張って生きて、その間私の様なブログ読者を楽しませてくれて、いつもありがとうございます
どうぞご無理なさらずに
カータン
がしました
残された私はカータンと同じように、悲しみに蓋をして、テレビで海外の旅を見るため、妹も行ったのかなと、思っています。
カータン
がしました
蓋をしていても、ふとした時に溢れてきてしまいますよね。
立ち止まりたくても時間は進むし生活しなければならないし、こんな想いなのにお腹が空いて眠くなって、人間はうまく出来ているんだなと思ったこともあります。
皆いろいろな想いを抱えて一生懸命生きているんだと改めて思いました。皆とハグしたい気持ちです💐
カータン
がしました
ブログ読んで私の箱が空いて
涙があふれました
カータン
がしました
二年前、私も母を亡くしました。
何でもないこと、嬉しいこと、後で母に電話しなくちゃって思う度に、ああ、もういないのだった、と現実を突きつけられます。
でも心の底からそれを認めてしまうと、発狂しそうなので、慌てて蓋をします。同じですね。
いつか、また会える日まで、泣いたり笑ったりしながら、頑張って生きます。それで、積もり積もった話を聞いて貰います!
カータン
がしました
普段は心に蓋をして生活していますが、時折なにかの拍子に蓋があいてしまい辛いです。。
カータン
がしました
カータン
がしました
今日の記事で蓋を開けてしまいました。
あの時の悲しみや、あの時のまわりのみんなの悲しみが押し寄せてきます
今日も頑張ろう
カータン
がしました
母は、話がしたいみたいですが、つらいです。
遺品整理も頑張っていましたが、休憩しようかな?
みなさんのコメントではげまされてます。
カータン
がしました
親戚は食事をしながら私への励ましも含めて思い出話しを沢山してくれるのですが、その場を離れてしまう自分がいます。
母の死を認めると自分の中で何かが、バランスが壊れそうでとても怖いです。人が本当に死ぬときは忘れられた時、という言葉がありますが、そういう意味では母が死ぬことはないと自分を慰めています。(変な内容のコメントですみません)
カータン
がしました
私も 大切な人を亡くしていますが 今はたまたましばらく会ってないだけだって思うようにしています。亡くなってしまいもう2度と会えないんだって事を認めたら どっぷり悲しみに埋もれて抜け出せなくなりそうで怖いからです。私だけじゃないんだ、と思えただけでも励まされました。
カータン
がしました
と表現していました。
お姉さまも頑張って戦っての結果なのでおあいこですね。ただ負けたわけではない!
カータン
がしました
思い出すと辛くなり過ぎちゃうから…
封印は仕方ないと思います
ペットの他界も思い出すと辛くなりますし
あちらの世界に逝く者より残された者のほうが
悲しいのですよね
向こうの世界に逝ったら仲良しだった人達が
「お疲れ様〜☺️よく来たね!」って
優しくお迎えしてくれるとか聞いたことあります
つのる話がたくさんあって嬉しくなるとか…
だから私達はコッチの世界で供養をたくさんして
《そのうちソッチに逝くからアドバイスよろしくね》でいいんじゃないかなぁって思うのです
カータン
がしました
あの日のことを思い出そうとすると「えええ?」と脳がフリーズしてしまいます。
その防衛機制のおかげで心を保つことができ無事日常を送れています。
カータンさんの箱の蓋もいつか自然に開けられる日までそっとしておいていいと思います。
陰ながら応援しています。
カータン
がしました
今でも後悔ばかりです。3歳で発病した病を50年以上抱えてきた姉、その気持ちにはなれなかった私です
生まれ変わっても双子だよ、でも今度は健康な人生だよって…いつも語りかけてます
カータン
がしました
生きていたらなんて言ってくれたかなとか、、生きていたら何をしてたのかなとか、、弟のラインを開いてはメッセージを送ったら返ってくるかなとか
早く弟に会いたくてあの世に逝きたい反面私はまだこの世に生かされていてまだまだ迎えは来ない気がしています。もう少し頑張ってみようと思います
カータン
がしました
時には、こちらのかーたんさんファンに励ましていただいたこともあります。
母と父が続けて亡くなって
私も抗がん剤治療したりと、心が保てないとき
やはり なにげない話しをしたり聞いてくれる人は
本当に必要だなと思いました。
時には現実から逃げたりしてきました。
まだまだ病院通いは続きますが、かーたんさんのブログを読ませていただきながら
がんばります!
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン
がしました
カータンのインタビューノートを4冊を購入しました。
突然(急ではなかったのですが)、義母の認知症と義兄の鬱の発症で、いつか買おうと思っていたのですが、あわてて買いました。
のんびりしていた暮らしが急展開、夫と二人混乱しながらも最善を模索しています。
そして、何もわからない私の話を聞いてくれる友人知人に感謝しています。
カータンのブログにも勇気づけられ、参考にさせてもらっています。
何なら、最初のハワイ旅行記から参考にさせてもらってます(笑)
カータン
がしました
いつもブログを拝見して元気をもらっています。
わたしの祖母も母も闘病の末に病院で息を引き取りました。
とくに母は若くして亡くなったので、本当に、思いきり迷惑をかけてから逝ってほしかったと思います。
いなくなってせいせいした、と思わせてくれるくらい、憎ませてくれたらよかったのになぁと…それでも少しはきっと泣くのでしょうけど。
わたしには妹がいますが、歳を重ねてようやくその存在の本当の尊さに気付きました。同性で歳が近いので年齢による悩みなども共有できて、かけがえのない存在です。親とはまた違う感覚の、なんというか、人生の戦友というような感じです。
その妹がいなくなったらと思うと…
悲しい思いはしたくないけど、させるほうにもなりたくないなと無いものねだりなことを考えてしまいました。
カータンさん、天国でかおさんが待ちくたびれるくらい、生きてくださいね。
そしてそのときが来ても、天国にはカータンさんの大切な懐かしい人たちがいて、迎えてくれる、と思うと、心強いなと思います。
カータン
がしました
「もう、話題尽きたわ〜!!」
「あれっ、前にも話したかしら?」ってぐらいに。
カータン
がしました
カータン
がしました
生き方や自分らしさというのは急になかなか変わらないので、お姉さまはお姉さまらしく生きられたのではないでしょうか
わたしは長女ですが、やっぱり年下のきょうだいたちには甘えられないと思いますし、そんなものだと思います
なので、どうぞご自分を責め過ぎることなく少しでも日々穏やかに過ごせることを陰ながら祈ってます
カータン
がしました
これが結構大切なんですよね
話せる人がいるって有り難いです
カータンにはわかってくれる人いっぱいいますからね!
カータン
がしました
時々ちょっとだけチラッとあける、凄く分かります。わたしも父が高校生の時に亡くなったのでいまだに箱を閉じています。もう22年も経ってしまいましたが。
閉じ込めっぱなしで父も悲しんでるかなぁと思うけど、日常もあるし、どん底には落ちたくないですもんね。だから父が大好きだったヨックモックの缶に(父が亡くなったっていう事実を)閉じ込めています🤭
お墓参りに行ったり、お盆お彼岸はお供えもしたりするけど、心の中では缶に閉じ込めて考えないようにしています。
先日、国分寺駅の近くにある大学に見学に行きました!とてもすてきな街ですね☺️かーたんのブログに出てくる成城石井はここかな?と嬉しくなりました!もしも娘が通えることになったら、近くには心優しいかーたん一家が住んでると思うだけでなんか安心してしまいます🤭
カータン
がしました
心穏やかに話せるときが、いつか訪れますよう祈っています
開けられない箱は突然襲ってきて、無防備な脳を守るのが難しい。
とても苦しい。
先月、姉の一周忌。
同時に祖母の五十回忌、母の三十七回忌、父の三十回忌法要。
最後のラインに残っている
「もし当選したら一緒にライブ行こう」
一緒にいきたかった。
独身だった姉の住居片付け、元日の震災。
ショックで、記憶がよみがえる歌は怖くて聞けない。
だけど11月23日、そのアーティストの秘宝館で
ライブステージの映像を見た瞬間、号泣。
頑張っても頑張っても溢れる涙を堪えることが出来なかった。
核心にある悲しさを一生懸命閉じ込めて、
元気なふりして笑って、なにもない日々に感謝の報告をしてます。
かーたん、ご家族様、無理をし過ぎず休憩を十分に取りながらご自愛なさって下さい。
いつも本当にありがとうございます。
カータン
がしました
誰にも話さず。
ゆっくりでいいんだと思います。
今は、毎日思い出しています。
箱開けっぱなしです。
カータン
がしました
訪問診療やヘルパーさんと福祉の手を借りて私と夫の心身が疲れないように、1日1日が穏やかに過ごせるように、そして控えめな性格の夫にわがままたくさん言ってもらいたい
カータン
がしました
百年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ
さよなら また いつか
カータン
がしました
いつか母の介護が終わったら開けられるのかな?と思っています。
カータン
がしました
わたしは50代、2人姉妹で妹がいます。
それこそ、推しの話、おいしいもの、メイク用品や些細なことで、あれも言おう!これも言おう!
あそこに行こう、ここに行こう!といつも一生にいます。
そこには母もたまに居ます。
でもいつかは別れのときが必ず訪れる。
そんなとき、私のことなので誰にも悲しい顔は見せず、明るく振る舞うのが目に見えています。
たぶんそのとき、思い出してこの記事をわざわざ探して読むと思います。
一生に悲しんでもらえるような気がして。
うまく伝えられません。気を悪くされたらすみません。
カータンさん、いつもありがとうございます😊
大好きです❤️
カータン
がしました
両親や義両親や亡き友の夢に、嬉しいのに
泣いちゃうんだけど、時間がきっと。。。
カータン
がしました
一昨年、兄が亡くなりました。
いまだに亡くなった事実を受け入れられないです。
本当に胸が苦しくなりますよね。
同じく封印しています。
お互い猫好きだったので、
面白い画像や動画を見つけると
「お兄ちゃんに送ろう!」として…
現実を突きつけられます。
カータンも封印しているのを知って
私だけじゃ無いんだと救われた思いです。
個人的な事を語ってスミマセンでした。
カータン
がしました
気持ちがおちてしまうのが怖くて、なるべく思い出さないようにしてますが。
ふとした時に、母の元気な頃の姿が思い出され私が、実家に様子を見に行って帰ろうとすると、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれて。
胸が締め付けられる事がこれからもあると思うけど、少しずつ前を向いて頑張ります。
カータン
がしました
だから、思い出さないように、考えないようにしてきました。泣いてる場合じゃない日々が現実だったので…
でも、時々ふと考えてすごーーーく悲しくなって…
皆んな同じなんですね。
カータン
がしました
そして、ヒロシお父様も8月に同じく三回忌を迎えられましたね。
カータンさんのご主人さんのお兄さんも14年前に突然、ご逝去されていたのですね…。改めてご冥福をお祈り致します。
私の父も今年6月に三回忌法要を執り行いましたが、8年前に先に旅立った母と父を時々、ふ…と思い出しては陰膳の遺影写真に、たわいも無い事を話しかけています。
親が亡くなるのと、兄弟姉妹が亡くなるのとでは、それまでの想いや感情がまた別なのではないか…と思うのですが、とにかく家族が亡くなるのは切なく、悲しく、寂しいものです。(人間と一緒にする訳ではないけれど、長年、愛情かけて飼っていた動物達もしかり…。)
私自身は「自分も生涯、様々な人間業を学ぶ為に生かされているのだろうな」…と思いながら、両親の月命日には生前、好物だった物やお花をお供えし、亡き故人を忍びつつ、時の流れに身を任せながら日々を過ごしています。
カータン
がしました
もう、20年以上経つのに今も切ないです。
あの日を思い出すから。普通に、仕事に出掛けたのに。
自分が生きてきた土台を失った気がして立っていられない様な感覚でした。
蓋をして、良いですよね。それでもずっと見守ってくれていると思うから。ずっとブログでかおさんの話を聞いていて、かおさんが居ない事は私たちも悲しいです。
カータンと共に合掌。
カータン
がしました
たった一人の弟も父との確執で縁を切られています。
自分の娘も今は関東にいます。周りに誰もいないのは
とても寂しいです😔
カータンにはまだ旦那さんや友達がたくさんいるから
そういうのでまだまだ良いと思いますよ。もちろんかおさんの代わりとはならないでしょうけど。誰もいないよりは
ありがたい事だと思います。
カータン
がしました
数年に渡る闘病で、再発を繰り返し。
私も取るに足らない日常の話、母の愚痴、子供達のこと、未だに姉にLINEしたくなります。
想い出さない様に‥ 私もです。
自分を守る為に薄情でごめんねと思ってます。
でもきっと姉は「それでいいねん!」って言ってくれてると思ってます。
カータン
がしました
独り言のようなハナシを聞いて共感してくれる相手、
私は弟でした。9年前、脳幹出血で突然いなくなって
昔から相性の悪い妹とふたり残された。
私は死ぬのはひとつも怖くありません、あっちで話したい人が山ほど居るから!楽しみです😆
カータン
がしました
なんてことも聞きますよね
逝く方も見送る方もそれなりの時間が必要
本当に忘れてしまうわけじゃない
遺された者が自身の心の落ち着きを取り戻すための大切な時間だと思う
まだ2年ですよね
その箱の蓋を開けても大丈夫になるまでの大切な時間の流れの中にまだ居るのだと思う
そのうちその蓋は閉じたまま静かになっていくと思う
カータン
がしました
まだずっと一緒にいられると思っていた若い人を失うのは本当に辛いですね。
私が夫を亡くした時は末っ子がまだ高校生。泣きたい気持ちに蓋をして、とにかく子供たちを育てなければと必死でした。
無事に子育て終了し、ようやく故人をゆっくり偲べるようになってきました。
カータン
がしました
父52歳、私24歳くらいでした。
父は特に重い病気もなく、突然会社のお手洗いで倒れてそのまま。
それが本当に可哀想で、もう20年くらいたつのに今で思い出すと苦しくて涙がでます。
強がりな私が1番泣いたのは、東京から実家に帰る高速バスの中。
マスクをしながら、ずっと泣いてました。
家族みんな泣いてましたけど、私が1番冷静だったと思います。
私は東京で仕事をしていたので、東京に気戻れば父を思い出す事も多くないので、やっぱり同居していた母が1番辛かっただろうなと思います。
向き合うって結構辛い事だと思うし、亡くなった本人も家族や近しい人が向き合って苦しむことは臨んでないと思っています。
わたしが楽しく生きていることの方が父も喜ぶと思って、頑張らないとな、と思う時もあります。
カータン
がしました
しばらくは必要最低限のやりとりしかしないまま
時は流れ…
気持ちも落ち着き 少しずつLINEを復活させていた頃
カータンのLINEも追加しました
そこには、目を疑うブログの内容が……
最初、意味がわからない
え?え?っと 日にち遡りながら 半分震えながら
信じられない思いでいっぱいになりました
リアルタイムで知った訃報じゃ無かった事もあり
未だに信じられない思いの私は一読者であります
なぜ?どうして? 赤の他人の私でさえ衝撃でしたから カータンにとっては本当に…言葉になりません
あれから2年なんですね
カータン
がしました
ありきたりですが、、
カータンのお気持ちよく分かります
旦那様のお兄様、交通事故だったのですね
旦那様、胸が苦しくて苦しくて、やりきれないお気持ちだったんでしょうね
私は昨年長年介護していた母が亡くなり、今年はまだ若い弟が母と同じ病気で入院してます
遺伝なのかなーと思うと次は自分かもと思うと怖いです
短い面会時間ですが弟のお世話させて頂いてると感謝しながらやってます
あと何年元気に生きられるか分からないですが、
我儘に明るく楽しく生きたいですね🌸
それを許して包みこんでくれるお相手さんが欲しいなぁ〜☺️
カータン
がしました
20年前。
60歳になる母をかおさんと同じ病気で亡くしました。
何年経っても箱は閉じたままです。
皆さんもコメントされてますように
自分が幸せに生きることが一番の供養と信じてます。
かーたんいつも楽しい時間をありがとうございます。
カータン
がしました
朝 思い出しました
やはり まだ悲しいですね
仲良かったから まだお辛いですね
うちは 上の兄 下の兄 姉 私だけど
そんなに仲良くないし 業務連絡しかやり取りがないので 誰か亡くなっても その人の貯金を
どう分けるかとかしか話すことありませんよ
上の兄と 姉はパートナーがいるので もう他の
兄妹のことは 何にも考えませんよ
だから カータン姉妹みたいに仲良しだとすごくうらやましいです
いつも 周りに気配りしてる人は早く亡くなっちゃうのかな?
私も 上の兄もいつも自分本位だから 長生きしちゃうな
遠慮深い人は ストレスたまって病気になっちゃうのかな?
カータン
がしました
どんなにし尽くしてあげても後悔が無いってことはないと思います。
40代前半の夫が急逝して今月で10年を迎えました。
あれもしてあげたかったこれもしてあげたかったって後悔ばっかりだけど、うちの夫もカータンのお姉ちゃんも本人達は精一杯生きたとだけ思うようにしたら少し楽になりませんか。ご主人のお兄様は事故とのことで同じようには考えられないかもしれないけれど.....
お姉ちゃんは人に甘えられない性分で、本人はそれが自分らしくてそうしたいようにしていたんだと思います。
だからお姉ちゃんは最期までお姉ちゃんらしくいれたと思います。
「千の風になって」という曲が当時はなんでここまで売れるんだろーって思ってたけど、夫が亡くなってからは、風が吹いてきても花が散っても虫を見ても蝶々を見ても星を見ても形を変えて出てきてるのかな?って思うようになりました。
カータンのお姉ちゃんもパパもいろんな形で近くに来てるね。わんちゃんたちも!
カータン
がしました
今年の8月に主人を亡くしました。
亡くなった事を受け止めているふりをして、嫌でも淡々とこなさなくてはならない役所等の手続きは何とか乗り越えています。でも現実がぐっさり刺さる、涙が止まらなくなる事って本当に取るに足らない事なんですよね。
有難い事に姉が寄り添ってくれているのですが、一緒にテレビを見てて「あ!これこの間見たよねー」なんて言ったあと、違った!それは旦那さんと見たんだった。とか、カータンと同じで新しいお店を見つけると家に帰ったら一番に報告しなきゃ!なんて思った後、もういないのにバガだなぁ…って苦しくなって涙が止まらなくなります…
カータン
がしました
カータン
がしました
カータン無理なさらずにね。先に行って天国の美味しいコーヒーやさん、探してくれてますよ。きっと。
カータン
がしました
私も仕事中は忘れられます。仕事中は旦那さんに近いです。
母は15年前、父も来月で亡くなって2年。いまだにふとした瞬間に涙があふれます。
命日ならなおさらですよね。
夫も弟が30代で亡くなり、もう12年経ちますが、突然思いが溢れ出したりするようです。
あえて思い出さないのも、思い出すのも人それぞれ供養のかたちがあっていいと思います。
残った家族が元気に幸せに暮らしているのが一番喜んでくれるのかと。
かおさんもこんなに仲のいい妹がいて、思ってくれて、幸せですよ。きっと空からお父さんと見守ってくれてます。
カータン
がしました
カータン
がしました
思い出さないのは可哀想だなと思いながらも、蓋を開けても、虫干し程度で閉めていました。
仲良かったし、バカなくだらないこと
カータン
がしました
そんな母も今はわがまま婆さんしてます笑
私も歳とったらわがまま婆さんになって好き放題にしてもいいかも。と思ったら少し老後が楽しみになりました(*^_^*)
カータンありがとう。そしてかおさんは忘れてるわけない
カータン
がしました
いつも楽しく拝覧しております。
私は、カータンの一つ下で昭和のアイドル
好きで、、と
共通点が多く勝手に親近感を抱いております。
カータンと同じく私も実姉を17年前に亡くしております。
まだ、姉は、35歳になったばかりの頃
子宮頚がんが判ってから再発、再発
転移、手術を2回と…
神様、、姉が何か悪いことをしましたかと恨むほどでした。
長い、長い5年間の病気との闘いでしたで
40歳で亡くなりました。
亡くなった後、悲しかったけど
ようやく辛さから解放されて良かったね
との気持ちでした。が、しかし…
色々と落ち着いた頃に湧いてきた虚脱感や
何を見ても、何を聞いても姉との思い出が
どんどんと溢れ出て泣いてしまう事が何年かは続いて。
姉の遺品から出てきた日記帳には
あんなに「私は病気には負けない」と言い続けていたのにかなり弱気で絶望感一杯の言葉が並んでいました。
私は、その日記をそれから17年間
読んでません。未だに読むことが出来ずにいます。
2年前に母親も亡くなりましたが、母は
悲しかったけど年齢的に仕方ないと思う気持ちがありましたが、姉の亡くなった
事は、楽しい事を思い出す事も多くはなりましたが、未だにすーっと涙が出てくる
事もあり、、
カータンの気持ちがわかり過ぎて思わずコメントしてしまいました。
私も姉とは旅行にも行ったりと仲が良かっただけに歳を取ってからも色々な話をしたかったなぁ。
両親のことも相談したかったなぁと思う日々です。
長々と纏まりのないコメントになりましたが、私らは、見守られながら生かされているんだと思うんです。
カータンもそう思いませんか。
カータン
がしました
まだまだ悲しいですよね
悲しいのは何年経っても変わらないでしょうが(まだ若すぎたのもあり尚更)それでも10年くらい経てばきっと今よりは気持ちが昇華できてるかもしれませんね
ぺーちゃんと竜ちゃんも10代、20代のうちに悲しいお別れが多く気の毒に思います
でもかおさん、ひろしさんと一緒に天国で楽しくしてますよね!
時には親戚の兄貴も一緒にいるかも?
遠い未来には昔のように天国でみんなでまた過ごせると信じて、こちらはこちらで今を楽しめたらと思います
カータン
がしました
お姉さまとの思い出に笑える日を早く取り戻せますように。
カータン
がしました
どんなに時間がたっても悲しみは薄くなってくれない。きっと悲しみを隠すのが上手になっただけ。深い悲しみに出会った後にいつもそう思います。父が亡くなってもうすぐ7年になりますが今でも突然悲しみが襲ってきて突然涙が出てきたり。厄介です。でもそういう時は父が思い出して欲しいんだろうなと思っていっぱい思い出していっぱい涙を流すことにしています。
カータン
がしました
1人暮らしで在宅看護だった母を看取り3年が経ち、当時高校生だった子どもたちは大学生になりました。大好きな母なのに葬儀の時も涙が出ず今に至ります。胸の奥にある蓋を開けるとどうしようもなく溢れてくるのがわかっていて、いつもその蓋の存在に気付かないフリをして生活しています。私はシングルなので、子どもたちが巣立った後母に自分を重ねて泣き崩れると思われます。猫がそばにいてくれるといいな。
カータン
がしました
去年の2月には父も亡くしたばかりでした
生まれた時からの自分を知ってくれてる人、些細な思い出を語り合う家族がいなくなっていくことは本当に悲しくて辛いことです😢
私は姉がいなくなったことを寂しいと思う時は21歳と17歳の子供に聞いてもらってます
それでも涙が出ない程度に自分の気持ちをコントロールしながらですが…
カータン
がしました
カータン
がしました
お義兄さんもお姉さんもお二人が辛い毎日を過ごすことは望まれていないでしょうから、箱にしまわれてそれでいいよと言って下さいますよ。
あるお葬式で神父様がおっしゃっていたことですが、
亡くなられた方は港から出航した船だそうです。港の人からは見えなくなるけど、船の存在が無くなった訳ではないと。
なんの慰めにもなりませんが…
カータン家族が健やかに過ごせることを一読者として願っています。
カータン
がしました
カータン
がしました
こうしてブログを通して救いになる優しい言葉をたくさんもらって生きています。
悲しくてもブログを続けてくださってありがとうございます、カータン。
カータン
がしました
そしてずっと見守ってくれていると思います。
カータン
がしました
まだ実家に帰ったら母がいるような気持ちでいます。もう、ここまできたら一生それで良いかなって思ってます。
カータン
がしました
そんなんは自分だけなのかも…と思ったりすることもあったけどそういう方いる事知れて少し安心しました
とは言えカータンとも一緒で些細な事でフワッと母を感じ鼻の奥がツンとすることも多々(9月に送りました)
まだしばらくそんな日々だと思ってます…。
それで良いと思います
カータン
がしました
私は乳がん治療中、カータンさんのブログに救われたものです
抗がん剤で家に引きこもってましたが
カータンさんのおかげで笑って笑顔を取り戻していました
いま
お姉様のことを知りました
うまく言葉にできませんが
お姉さまはいま安らいでおられて
カータンさんの胸の中で
再び生きているのだと思います
カータン
がしました
カータン
がしました