長女に会いに韓国へ④心揺さぶられた『全泰壱記念館』(1)
日本を発つ前、空港に向かう電車の中で
イクラさんからLINEがきた。

そこに貼られていたリンク。
すぐに電車の中で読む。
22歳という若さでこの世を去った彼の人生は壮絶だった。

私は興味を持つと
とことん調べたくなる性格だ。
電車の中、空港、韓国に着いてからも
記念館に行く当日まで彼のことを調べまくった。
そして、訪問の時を迎えた。
全泰壱記念館の外観。

白い模様にも見える壁面は、彼が記した文字だ。
入口横にある全泰壱氏の銅像。

さて、この記事で記念館を紹介する前に
先に書いておこうと思うのだけど
実は、記念館を訪れたその夜、
いろんな思いで胸がいっぱいになった私は
もっと彼について知りたいと思い、
記念館に展示されていた本も読んでみたいと思ったのだ。

1978年に刊行された本、古本であるのだろうか?

韓国から注文、
日本に帰ってくると、すでに本は届いて
すぐに読んだ。

なので、その本から得た情報も踏まえながら、
全泰壱記念館を紹介していきたいと思う。
彼の生い立ち、育った環境は

学校が大好きだった彼だが、
家が貧しいため、
12歳の時から家族のために働いてきた。
しかし、勉学の道が諦められなかった彼は
16歳の時、夜間学校に入学する。

寸時も休む暇のなかった毎日でも、
全泰壱氏は当時を振り返り、
最も美しい追憶として抱いていたそうだ。
しかし、彼にとって充実した学校生活は
アボジ(父親)の命令で終わりを告げる。

この言葉を聞いた全泰壱氏は、
「落雷がこの世を滅ぼすような気がした」と記している。

16歳の私に、彼の言葉を聞かせてやりたい!
そして、彼のアボジ(父親)のように殴ってやりたい!
全泰壱氏は決心した!

ソウルに出て苦学をするは
容易いことではないことくらい彼だってわかっている。
しかし、今、このチャンスを逃したら
学業の道が永遠に閉ざされてしまう
彼には迷っている余裕はなかった。
ところが、ソウルに出た後の彼の生活は
彼の想像を遥かに超える苦しいものであった。
生きていくのに精一杯、
もはや学問どころではなかった。

毎日が食べること、寝床を見つけることで過ぎていく。
そんな折、彼は平和市場※のある仕立て屋の前で
※当時の平和市場:500以上の縫製工場が入ってた

※シタとは、ミシン工や裁断師の仕事が効率よく進むように補助する役。アイロンがけ、糸くずとり、糸やボタン運び、そのほか、経営者やミシン工、裁断師の私用までしなければいけない辛い仕事。主に貧しい家庭で、中学に進学できない12歳から15歳までの少女たちが就く。
この求人広告を目にし、
彼は長い放浪生活を精算して
賃金労働者としての生活を歩むことを決意する。

全泰壱記念館のパンフレットより
しかし、平和市場で彼が目にした「シタ」の劣悪な労働環境。
そのことが、その後の彼の人生を大きく変えることになる。

入口にあった像と記念写真。
この時は、笑顔だった…笑ってる場合じゃないよ!
つづく

□■□■□■□■□□■□■□■□■□
台湾の二二八国家紀念館の記事書いた時くらい時間がかかってしまった。
まったく興味のない人には、つまらない記事かもしれませんが、一人の青年が労働環境を改善しようと命をかけて戦った、全泰壱氏の人生、よかったら読んでください。
イクラさんからLINEがきた。

そこに貼られていたリンク。
すぐに電車の中で読む。
22歳という若さでこの世を去った彼の人生は壮絶だった。

私は興味を持つと
とことん調べたくなる性格だ。
電車の中、空港、韓国に着いてからも
記念館に行く当日まで彼のことを調べまくった。
そして、訪問の時を迎えた。
全泰壱記念館の外観。

白い模様にも見える壁面は、彼が記した文字だ。
入口横にある全泰壱氏の銅像。

さて、この記事で記念館を紹介する前に
先に書いておこうと思うのだけど
実は、記念館を訪れたその夜、
いろんな思いで胸がいっぱいになった私は
もっと彼について知りたいと思い、
記念館に展示されていた本も読んでみたいと思ったのだ。

1978年に刊行された本、古本であるのだろうか?

韓国から注文、
日本に帰ってくると、すでに本は届いて
すぐに読んだ。

なので、その本から得た情報も踏まえながら、
全泰壱記念館を紹介していきたいと思う。
彼の生い立ち、育った環境は

学校が大好きだった彼だが、
家が貧しいため、
12歳の時から家族のために働いてきた。
しかし、勉学の道が諦められなかった彼は
16歳の時、夜間学校に入学する。

寸時も休む暇のなかった毎日でも、
全泰壱氏は当時を振り返り、
最も美しい追憶として抱いていたそうだ。
しかし、彼にとって充実した学校生活は
アボジ(父親)の命令で終わりを告げる。

この言葉を聞いた全泰壱氏は、
「落雷がこの世を滅ぼすような気がした」と記している。

16歳の私に、彼の言葉を聞かせてやりたい!
そして、彼のアボジ(父親)のように殴ってやりたい!
全泰壱氏は決心した!

ソウルに出て苦学をするは
容易いことではないことくらい彼だってわかっている。
しかし、今、このチャンスを逃したら
学業の道が永遠に閉ざされてしまう
彼には迷っている余裕はなかった。
ところが、ソウルに出た後の彼の生活は
彼の想像を遥かに超える苦しいものであった。
生きていくのに精一杯、
もはや学問どころではなかった。

毎日が食べること、寝床を見つけることで過ぎていく。
そんな折、彼は平和市場※のある仕立て屋の前で
※当時の平和市場:500以上の縫製工場が入ってた

※シタとは、ミシン工や裁断師の仕事が効率よく進むように補助する役。アイロンがけ、糸くずとり、糸やボタン運び、そのほか、経営者やミシン工、裁断師の私用までしなければいけない辛い仕事。主に貧しい家庭で、中学に進学できない12歳から15歳までの少女たちが就く。
この求人広告を目にし、
彼は長い放浪生活を精算して
賃金労働者としての生活を歩むことを決意する。

全泰壱記念館のパンフレットより
しかし、平和市場で彼が目にした「シタ」の劣悪な労働環境。
そのことが、その後の彼の人生を大きく変えることになる。

入口にあった像と記念写真。
この時は、笑顔だった…笑ってる場合じゃないよ!
つづく
□■□■□■□■□□■□■□■□■□
台湾の二二八国家紀念館の記事書いた時くらい時間がかかってしまった。
まったく興味のない人には、つまらない記事かもしれませんが、一人の青年が労働環境を改善しようと命をかけて戦った、全泰壱氏の人生、よかったら読んでください。
コメント
コメント一覧 (21)
生計と学業を頑張ったというところだけで涙🥲が出ます😭続きがとても気になります!
カータン
が
しました
カータン
が
しました
いつものブログも大好きですがこのような内容を
取り上げて下さり嬉しいです。
知らなかったことを分かりやすく教えて下さり
ありがとうございます。
続き楽しみにしております。
カータン
が
しました
自分で本を読むのは少し怖いけど
(たぶん涙で読み進めれない)
カータンのまとめ方がとても上手く
勉強になります
カータン
が
しました
すっかり引き込まれて、続きが早く読みたいです!
貧しい家庭に生まれ育ち、それでも志を高く持ち、懸命に生きた人の人生を知りたいのです。
カータンの挿し絵があまりにも上手で感動してます。
今の韓国ブーム(Kポップ、ガールズグループ、エンタメ、グルメ、美容)とは違う韓国の一面を知りたい。
カータン
が
しました
カータンさんがイラスト、わかりやすい、すっと頭に入ってくる言葉に変換してくれてることで、感情移入しますね。
そういう感性、言葉の選び方、そして何より、いつも楽しく素敵な笑顔をされているカータンさん🩷尊敬します🩷続き楽しみにしています。
カータン
が
しました
いつも空腹との闘いだった、、、
朝から満腹まで食べている自分が恥ずかしい
この言葉を食べる前に意識しようと思います
カータン
が
しました
続きが知りたくなりました。飽くなき学業への想い、韓国の二宮金治郎さんみたい。カータンさん、いつも教えてくださり有難うございます🙏
カータン
が
しました
大好きです!
カータン
が
しました
カータン
が
しました
続きが早く読みたい!!
よろしくお願いします
カータン
が
しました
苦労した人を見ると応援したくなります
写真のカータン 女優さんみたい
カータン
が
しました
そしてカータンさん、素敵💓
時々載せてくださるご自身の写真も
楽しみにしてます!
カータン
が
しました
過去、現在に関係なく胸熱な出来事は私にエネルギーをくれます。
カータンありがとう😊
カータン
が
しました
カータン
が
しました
カータン
が
しました
カータンの記念館レポ大好き
紹介される書籍のチョイスも✨
続きが楽しみです
カータン
が
しました
私たちのおじいちゃんおばあちゃん達の時代は、ソレでも頑張って来たから今の日本の生活文化になっていると思います❢
ああ野麦峠(映画)なんかも実話ですよね❢
ああ言う映画や書籍があの当時
男女差別を無くして労働環境を変えようと言うメッセージだったのかもしれませんね
現に今の日本はあの時代に比べると幾らかは改善されたような気がしますけど〜
もっと給料あげろーー(笑)💦😙
カータン
が
しました
カータン
が
しました
カータン
が
しました
お早めの更新を求む
カータン
が
しました