【映画】湯 徳章ー私は誰なのかー
以前、マリリンが台南に行くと言った時

実は、子供の時、
親に連れられて台南に行った時には、
湯徳章さんのことも知らなかったし、
莉莉水果店にも行ったことないのだけど…。
でも、私が台南で今一番行きたい場所。
それをマリリンに押し付ける?
いや託したわけだ。
しかし、本を渡した後、反省した。
薄い本ではない。かなり厚い本。
しかも、日本統治時代を書いた歴史の本。
台南出発までそんな時間がないマリリンに
気軽に「読んでみて」と渡すには荷が重かったかも?
でも、マリリンは読破して

そう言ってくれた。
なんて嬉しいこと言ってくれるんだよ、マリリン!
そして、今回はマリリンが私に教えてくれた。

それは何としても見に行かなければ!
夫を誘って行くことにした。
なぜ夫を誘ったかというと、
秋に一緒に台南に行く予定を立てたからだ。

さて、この映画『湯徳章ー私は誰なのかー』は
ドキュメンタリー映画だ。
なんとガイド役はあの莉莉水果店の店主!
(って、行ったことないけど)
湯さんがどんな人物だったか、
同級生、息子、親戚の話、
当時の資料を見つけながら解説していく感じだ。
普通、公開間際の映画を紹介する時は
ネタバレにならないように
極力多くは語らないのだけど
ここで湯徳章さんについてお話しした方が
たぶん、映画が答え合わせのように
入ってくると思うので説明したいと思う。
もし映画で全部知りたい人は読まないでください。

当時、台湾を統治した日本は
「内台一如」(内は内地=日本)をスローガンに
台湾で日台融和を目指していた。
しかし、それは表向きで
内地人(日本人)と台湾人との結婚は許されてなかった。
しかし、徳章の父は、

しかし、彼が8歳のときだった。
西来庵事件で父が亡くなる。
(西来庵事件とは抗日武装蜂起)
日本が台湾を統治したことを、
心よく思ってない台湾人もいて
抗日運動も少なくなかった。
ある日、銃や槍、斧、ナタを持った暴徒たちが
父が勤める派出所を襲い、父は亡くなる。
父が亡くなり、母が女手1つで3人の子供を育てるから
生活は貧しかった。
しかし、徳章は頭が良く、
そんな徳章は小学校を卒業するとき、

教師の助言で
徳章は台南師範学校に進学する。
しかし、当時、教師になっても
トップは内地人(日本人)で台湾人は
日本人の上には立てなかった。

そんなある日、日本人教師から言われる。

このエリート校の制服はボタンではなく、
ホックで留める学ラン。(学習院風?)
かっこいいと評判だった。
しかし、経済的に余裕のない徳章は
制服を買うことができず、
母の手縫いの服を着て通っていたのである。
この時、徳章は思った。

台湾人差別への反発が噴出し、
徳章は師範学校を退学する。
その後、精糖会社に就職したのち、
肉体労働で体を鍛えー
徳章20歳の時である。

父と同じ警察官の試験を受け、
難関の巡査試験に合格する。
しかし、ある事件が起こる。
日本人の医学博士が轢き逃げ事故を起こしたのだ。
実家は裕福で台南で権力もあった。
徳章は、警察官として
きちんと裁こうとした。
しかし、相手は日本人。しかも権力と金を持つ家。
徳章は何もできなかった。
この時、彼は思う。

弁護士を目指して日本へ!
司法試験に向け、猛勉強する。

猛勉強の成果あって、
日本に渡り4年後に徳章は司法試験に合格する。
どれだけすごいことか!
そして、台南に戻り、
ようやく弁護士として活動を始める。
しかし、時代はここで大きく動く。
日本が敗戦し、台湾から撤退。
大陸から国民党が台湾にやってきた。
最初は、祖国復帰を喜んでいた台湾人だったが
現実は違った。
二二八事件だ
。
この話は以前ブログに書いたのでこちらを読んでください。
台湾各地で弾圧が始まる中、
徳章は市民を守ることに奔走した。
しかし、その行為で国民軍に目をつけられ、
徳章は見せしめとして、トラックに乗せられ
台南駅の前の公園に連れて行かれる。
銃殺刑だ。
目隠しをしようとした
国民軍の軍人の手を払い
台湾語でこう言った。

「もし、誰かに罪があるとしたら、
それは私一人で十分だ!」
そして、最後に徳章は群衆の前で
日本語でこう言った。

その時、銃声が轟いた。
一発、二発、それでも彼は倒れなかった。
三発目は徳章の眉間に命中した。
ここで彼はスローモーションのように倒れた。
最後、彼がなぜ日本語で
「台湾人、バンザイ」と言ったのか?
今となってはわからない。
今日、3月13日は徳章の命日。
台南では「正義と勇気の記念日」とされている。
彼が処刑された駅前の公園は
今では『湯徳章紀念公園」となり
銅像が立っている。

※マリリンから借りました
もし台南に行くことがあったら、
駅前の公園に立ち寄って欲しい。
この映画を見てから行くと、
その銅像の見え方がきっと変わると思う。
秋に台南に行ったら、
私はきっと前とは違う気持ちで
公園に立つと思う。
マリリンのブログ

実は、子供の時、
親に連れられて台南に行った時には、
湯徳章さんのことも知らなかったし、
莉莉水果店にも行ったことないのだけど…。
でも、私が台南で今一番行きたい場所。
それをマリリンに押し付ける?
いや託したわけだ。
しかし、本を渡した後、反省した。
薄い本ではない。かなり厚い本。
しかも、日本統治時代を書いた歴史の本。
台南出発までそんな時間がないマリリンに
気軽に「読んでみて」と渡すには荷が重かったかも?
でも、マリリンは読破して

そう言ってくれた。
なんて嬉しいこと言ってくれるんだよ、マリリン!
そして、今回はマリリンが私に教えてくれた。

それは何としても見に行かなければ!
夫を誘って行くことにした。
なぜ夫を誘ったかというと、
秋に一緒に台南に行く予定を立てたからだ。

さて、この映画『湯徳章ー私は誰なのかー』は
ドキュメンタリー映画だ。
なんとガイド役はあの莉莉水果店の店主!
(って、行ったことないけど)
湯さんがどんな人物だったか、
同級生、息子、親戚の話、
当時の資料を見つけながら解説していく感じだ。
普通、公開間際の映画を紹介する時は
ネタバレにならないように
極力多くは語らないのだけど
ここで湯徳章さんについてお話しした方が
たぶん、映画が答え合わせのように
入ってくると思うので説明したいと思う。
もし映画で全部知りたい人は読まないでください。

当時、台湾を統治した日本は
「内台一如」(内は内地=日本)をスローガンに
台湾で日台融和を目指していた。
しかし、それは表向きで
内地人(日本人)と台湾人との結婚は許されてなかった。
しかし、徳章の父は、

しかし、彼が8歳のときだった。
西来庵事件で父が亡くなる。
(西来庵事件とは抗日武装蜂起)
日本が台湾を統治したことを、
心よく思ってない台湾人もいて
抗日運動も少なくなかった。
ある日、銃や槍、斧、ナタを持った暴徒たちが
父が勤める派出所を襲い、父は亡くなる。
父が亡くなり、母が女手1つで3人の子供を育てるから
生活は貧しかった。
しかし、徳章は頭が良く、
そんな徳章は小学校を卒業するとき、

教師の助言で
徳章は台南師範学校に進学する。
しかし、当時、教師になっても
トップは内地人(日本人)で台湾人は
日本人の上には立てなかった。

そんなある日、日本人教師から言われる。

このエリート校の制服はボタンではなく、
ホックで留める学ラン。(学習院風?)
かっこいいと評判だった。
しかし、経済的に余裕のない徳章は
制服を買うことができず、
母の手縫いの服を着て通っていたのである。
この時、徳章は思った。

台湾人差別への反発が噴出し、
徳章は師範学校を退学する。
その後、精糖会社に就職したのち、
肉体労働で体を鍛えー
徳章20歳の時である。

父と同じ警察官の試験を受け、
難関の巡査試験に合格する。
しかし、ある事件が起こる。
日本人の医学博士が轢き逃げ事故を起こしたのだ。
実家は裕福で台南で権力もあった。
徳章は、警察官として
きちんと裁こうとした。
しかし、相手は日本人。しかも権力と金を持つ家。
徳章は何もできなかった。
この時、彼は思う。

弁護士を目指して日本へ!
司法試験に向け、猛勉強する。

猛勉強の成果あって、
日本に渡り4年後に徳章は司法試験に合格する。
どれだけすごいことか!
そして、台南に戻り、
ようやく弁護士として活動を始める。
しかし、時代はここで大きく動く。
日本が敗戦し、台湾から撤退。
大陸から国民党が台湾にやってきた。
最初は、祖国復帰を喜んでいた台湾人だったが
現実は違った。
二二八事件だ
。
この話は以前ブログに書いたのでこちらを読んでください。
台湾各地で弾圧が始まる中、
徳章は市民を守ることに奔走した。
しかし、その行為で国民軍に目をつけられ、
徳章は見せしめとして、トラックに乗せられ
台南駅の前の公園に連れて行かれる。
銃殺刑だ。
目隠しをしようとした
国民軍の軍人の手を払い
台湾語でこう言った。

「もし、誰かに罪があるとしたら、
それは私一人で十分だ!」
そして、最後に徳章は群衆の前で
日本語でこう言った。

その時、銃声が轟いた。
一発、二発、それでも彼は倒れなかった。
三発目は徳章の眉間に命中した。
ここで彼はスローモーションのように倒れた。
最後、彼がなぜ日本語で
「台湾人、バンザイ」と言ったのか?
今となってはわからない。
しかし
日本人と台湾人の間に生まれ
日本統治時代を生き
戦後は国民党政権の中で
台湾人の人権を守ろうとした徳章。
まさに
二つの国と二つの時代の狭間を
今日、3月13日は徳章の命日。
台南では「正義と勇気の記念日」とされている。
彼が処刑された駅前の公園は
今では『湯徳章紀念公園」となり
銅像が立っている。

※マリリンから借りました
もし台南に行くことがあったら、
駅前の公園に立ち寄って欲しい。
この映画を見てから行くと、
その銅像の見え方がきっと変わると思う。
秋に台南に行ったら、
私はきっと前とは違う気持ちで
公園に立つと思う。
マリリンのブログ
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ビバ 女の古 [ カータン ]
□■□■□■□□■□■□■□■
本文は、門田隆将さんの「汝、ふたつお故国に殉ず」から自分なりに抜粋して書いたのです。もし間違えているところがあったらすみません。コロナ禍の時、台湾関連の本をいろいろ読んでいく中で知った湯徳章さん。ずっと行きたいと思いながら、行かれなかった台南。秋が今から楽しみだ。


コメント
コメント一覧 (16)
地元で1週間限定上映すると知ってドキュメンタリー映画を鑑賞しました。
感動するより考えさせられる内容でした。
観てよかったです。
もっと理解したいので紹介されてる書籍も読みたいと思います。
カータン
が
しました
私の母は台湾で生まれました。台湾統治に関して、母の親が台湾に移住したからです。
その後戦争が始まり、日本に引き揚げてきました。
私はそのことがイヤでイヤで。
なぜかは上手く説明できないのですが、どこか他のお母さんと違う、と子どもながらに感じたから。
引揚者ということで、親戚の家に間借りして苦労したようです。
台湾には母と旅行し、それはそれで楽しかったのですが、どこか自分の中で歴史に目を背けていました。
母にとって不都合なことを知りたくなかったというか。
今回カータンが教えてくださって、目を逸らさずに歴史を知る勇気をもらえました。
カータンの知力と発信力に改めて脱帽です。(それでコメントを書かずにいられませんでした)
映画を見ただけでは頭の中がぐちゃぐちゃになって言葉を失うかも知れない。
本はもっと難しいかもしれないのに、マリリンさんは読破し、映画の情報もキャッチして、とても聡明なかたですね。
「湾生回家」という台湾で生まれた日本人についての映画があります。
まさに母の世代ドンピシャで、やはり目を背けてしまって観ていませんが、少しずつ頑張って知っていこうと思います。
神回のブログをありがとう!!
カータン
が
しました
太平洋戦争に詳しい主人もこの事件は知りませんでした。
要約して伝えました。
お父様が熊本の出身だそうで、映画館に非売品の絵本がおいてありました。
学校に配布しているそうです。(宇土市)
映画を紹介してくださりありがとうございました。
今、熊本は台湾の方が沢山来られています。
お話する機会があればと思います。
カータン
が
しました
汝、ふたつの故国に殉ずを図書館で借りてきました。
コロナで渡航を中止してから未だ行けていません。必ず行きたいと思っています。
カータン
が
しました
お母様が纏足との事、自分の住んでいた家の大家さん宅の大おばあさまも纏足でした…かつての漢民族の文化…でもこれも「歴史」なのですね。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
いつか台南に行くことがあったら、是非訪れたいです。
教えてくださって有難うございます。
カータン
が
しました
「昭南島に蘭ありや」という小説が主人公が台湾人で、台湾日本中国、周りの人に呼ばれるままに身分を乗り換えてしたたかに生き抜くストーリーで面白かったのを思い出したので(ちな昭南島isシンガポール)、このジャンルでは有名かもしれませんが書いておきまする。
カータン
が
しました
カータンが話題に上げてくれてびっくりしました。
ドキュメンタリーも観たいです!
台湾と日本、今は親日とは言っても過去には深い歴史がありますよね。
台湾10回近く訪れてますが何度でも行きたくなる大好きな場所です。
カータン
が
しました
前にもブログで、李登輝さんが奔放してくれたからこそ今の台湾の親日がある、
というようなことを書かれてましたよね。
日本人として知っておかなければいけないこともありますよね。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
軍が支配している時代ゆえに、隠蔽された事実もたくさんあると思います。
カータン
が
しました
カータン改めてすごいと思いました。
ところで台南駅徒歩圏内の
阿美現烤古早味蛋糕、台湾のお菓子のお店、
美味しいですよ。
カータン
が
しました
面白かった。
お上手ね、まとめるの。
アンビリーバボー見てるみたいだった
この世のこと、知らないことだらけだなーって。
ありがとう。教えてくれて。
カータン
が
しました
カータン
が
しました
おもしろカータンから台湾の歴史の学者肌まで。
博物館なども丁寧に観覧されますもんね。
参りました。
カータン
が
しました