ハワイ滞在記2026年②私の知らなかったハワイ 写真花嫁という女性たち
ハワイに来るたびに思っていた。
昔に比べれば減ったとはいえ、
レストランには日本語のメニューがあったり、
ホテルには日本語を話せるスタッフがいたり、
街を歩いていても日本語を目にすることが多い。
ずっと、そう思っていた。
でも今回、
ふと気になって調べてみたら、
それだけではなかった。
ハワイと日本のつながりは、
私が思っていたより、
ずーっと古くて深かったのだ。
そこで海を渡ってやってきたのが、
中国、ポルトガル、
日本、韓国、フィリピンなど、
さまざまな国からの移民たち。
日本からも1885年以降、
大勢の人たちがハワイへ渡った。
ところが、待っていたのは
厳しいプランテーションでの労働だった。
日本に帰れない人もいたという。
ハワイに残る人も増え、
やがて家族を持ち、子供が生まれ、
ハワイに大きな日系人社会ができていった。
調べていて驚いた。
かつてハワイでは、
日本人が最大の民族集団だった時代があったという。
えっ? そんなに日本人がいたの?
最初にハワイへ渡った日本人の多くは男性だった。
じゃあ、
その人たちはどうやって
家庭を持ったんだろう?
そこで出てきたのが、
「写真花嫁」という言葉だった。

写真を頼りに結婚を決め、
まだ会ったこともない男性の待つハワイへ
海を渡った女性たちがいたという。

写真花嫁の歴史を調べていると
少し胸が苦しくなった。
家庭の事情で送り出された人はもちろん、
でも、中には

期待を胸に海を渡ってきた女性も多かったという。
しかし、現実は違った。
港に現れた男性は

少しでもいい写真を撮ろうと
立派な家の前で撮ったり、
借りたスーツを着て撮ったり、
若い頃の写真を使ったりした男性もいたという。
頭の中、気がつけば、
私は写真花嫁になっていた。
期待を胸に2週間の航海を経て、
ようやくハワイに着いたのに
目の前に写真と違った男性が
迎えにきてたら…?

そのまま引き返したくなる…。
1917年、
20歳で福島から写真花嫁として渡った
田澤ハルノさんの言葉。
写真しか見たことのない男性を頼って、
約2週間も船に揺られてハワイへ。
ようやく着いたと思ったら、
今度はどこまでも続くサトウキビ畑の中を走っていく。
そしてたどり着いた新居は、
故郷の「馬小屋」を思い出すような家だった——。
そして、翌日から
すぐにサトウキビ畑の働き手として働くのだ。
女性は毎朝4時に起きて、
朝食と昼食の準備をしていたという。
20歳といったら、
うちの次女と同じ歳だ。
今ならLINEひとつで済むだろう。
しかし、当時は違う。
ハルノさんのこんな言葉も残されている。
そして、私が初めてハワイに行ったのは
20歳のとき。
奇しくもハルノさんがハワイに渡ったのと同じ年だ。
浮かれまくった初ハワイ。
でも、その70年前、
同じ20歳のハルノさんは
朝から食事の支度をし、
農作業をこなしていたのだ。
このハワイで…。
ハルノさんたちが過ごした、
当時のプランテーションでの暮らしを見てみたい。
そんな暮らしを再現した
「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」という場所がある。
私の知ってるハワイ。
気候が良くて、海がキレイで
ここは楽園か!
と思うようなハワイではなく
その陰にあった暮らしを見てみたい。
でも、それは「可哀想」とか「気の毒」
という思いからではなく、
今の私が大好きなハワイに
そんな歴史があったことを知ることが
とても大切なような気がしたからだ。
追記:
ハルノさんは1994年、ハワイで亡くなった。享年97歳。
晩年、
ハルノさんはインタビューに答えている。
「ハワイに残ってよかった。苦労したことも報われた」
「海を歩いて帰りたい」
そう言っていたハルノさんが
人生の終わりには
「ハワイに残ってよかった」
と思えたことに
私はなんだか救われたのだった。
□■□■□■□□■□■□■□■
行く前に写真花嫁についていろいろ調べた。10代で海を渡って遠く離れたハワイに? そして、そこで待っていた過酷な生活。自分だったら…そう考えるたびに胸がキュッと締め付けられた。でも、調べれば調べるほど、彼女たちをただ「かわいそうな人たち」と思うのは違うような気がしてきた。知らない土地で働き、家庭を築き、子供を育て、そこで人生を生き抜いた女性たち。私が「ハワイ最高!」と浮かれて過ごしているこの場所で、そんな人生を送った日本人女性がたくさんいたことを、私は今まで知らなかった。知ってから見るハワイは、きっと今までとは少し違って見える。そんな気持ちで、プランテーションビレッジに向かった。





コメント
コメント一覧 (34)
カータン
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カータン
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カータン
が
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写真花嫁なる方法で嫁いだ人たちもいたんですね。
そして、「向こうも私を見て動揺している」のユーモアに笑いました😂
カータン
が
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たまたまBSで放送したのを見たのですが、「99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜」と同様に戦時中の日系人の苦難が描かれています。
こちらも機会があったらぜひ。
カータン
が
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カータン
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カータン
が
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そんな幸運な未来を掴めたのはわずかなのかもしれないですね。過酷な環境で早くに亡くなられたり戦争で迫害を受けたり、様々な困難に巻き込まれてきたんでしょう。もちろんそれはどこの国に住んでいても同じだけど、その時代の遠い異国の地、今とは比べようがないですね。
とはいえ、やっぱり(現代の)ハワイに住めて羨ましいー!笑
ま、今のハワイもお金がなかったらけっこうヤバそうですが💧
カータン
が
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カータン
が
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ハワイにはウチナーンチュが沢山います。2世、3世とか。
カータン
が
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短大生の頃にハワイに短期留学に行く前に課題図書として出されて読んだのですが、留学だと言うのに綺麗なビーチで遊ぶことしか考えてなかった私はその本を読んでちゃんと学ぼうという気になりました(笑)
カータン
が
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ピクチャーブライドともう一つ、ドラマ
99年の愛Japanese Americans は観たことありますか?
まだならこれもぜひ。DVDレンタルしか無いかもですが、大作でこれも超おすすめです!
カータン
が
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ハワイでの暮らしの中で移民として、妻として母として一人の人間として言葉では言い尽くせぬほどの思いがあった事と思います そんな声なき声をこうしてカータンのブログで周知なさることこそピクチャープライドへの敬愛だと思います 我々が初めてハワイの地に降り立った時 ハルさんはまだご存命だったのですよね。 出来ることならお話しを聞いてみたい気持ちになります ハワイの地で最期は穏やかに過ごされた事だけでも幸いな事だと思います
時にカータンの深い考察と優しいさを感じる事の出来るこのブログ 設立当初からの大ファンです
今回久々にコメントさせていただきまた!
幼かったお嬢様方もご立派に最多のなさり
カータンさんの子育ても大成功ですね^_^
これからも楽しませていだだきます
長文、失礼しました
カータン
が
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ある日ハワイから大きな荷物が届いて綺麗な包み紙のいい香りの物が何だか分からず。母が「お菓子かな?何だろう?」と齧ってみたら石鹸だったそう。
平成になってから舅の従兄弟が夫婦で帰国して何泊か実家に滞在時、おばさんは日本語で会話出来たけどおじさんは英語でした。ハワイで生まれたからだと思っていました。私が牛乳を食卓に置いたらおじさんが「冷蔵庫に早くしまいなさい」と声をかけてくれたのが、ハワイではすぐに冷蔵庫にしまうんだなと。
おじさん達と会ったのはその一度きりで存命なら100歳だと思い出しました。ハワイへ移民の多かった県で親戚にも多くいたのにもっと知らないといけないと思いました。
カータン
が
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アタシらの、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが~
いかに辛いコトも辛抱して頑張んばったおかげで
食べ物にしてもインフラにしても今の生活があるのだと~
再認識しなければなりませんね❢😗
そして今現在、便利で豊かな日本人の生活があるのだと❢
あらヤダ、真面目に答えちゃった❣💦😙
カータン
が
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カータン
が
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ピクチャーブライドという映画を思い出しました。
私も含めて日本人はハワイが大好きで、
当時は浮かれていたから
ショックを受けた記憶があります。
カータン
が
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ハワイに渡り、たくましく毅然と生きた女性たちを、ただ「かわいそう」と思うのは何か違う。と気づくのがカータンらしい。
「プランテーションビレッジ」のレポ。身を引き締めて拝読します。
カータン
が
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ハワイ北米、中南米と移民で
海を渡った日本人……
コミュニティがあっても言葉の壁や戦争でどんなに苦労したことか……
昔の人は我慢強い!
カータン
が
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ホント好きです。
カータン
が
しました
「ハワイ。気候もよく、言葉が通じて安心だから」
と、言ってます。
観光のイメージしかなかったです。
先人の方々の苦労が、あったからこその今なんですね。
以前カータンは、台湾の歴史について、掲載されてましたね。
その国の歴史の背景を学ぶ事は、大事ですね。
かなり前に沖縄に行った時にタクシーをりようしました。
タクシーのドライバーさんが、突然「ちょっといいですか?」で始まり、沖縄の歴史、戦争の辛い歴史について、話されていました。
一通り話され「私の話は、これで終わりです。沖縄の歴史を知って欲しくて、話やました。観光楽しんでください」と。
ドライバーさんの勇気お話は、今も心にのこっています。
カータン
が
しました
「ハワイ。気候もよく、言葉が通じて安心だから」
と、言ってます。
観光のイメージしかなかったです。
先人の方々の苦労が、あったからこその今なんですね。
以前カータンは、台湾の歴史について、掲載されてましたね。
その国の歴史の背景を学ぶ事は、大事ですね。
かなり前に沖縄に行った時にタクシーをりようしました。
タクシーのドライバーさんが、突然「ちょっといいでしか?」
カータン
が
しました
カータン
が
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カータン
が
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カータン
が
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海外に目を向けるのはとても大切だと思いますが、フラットな判断が大切ですよね。
毎回興味深くブログを読ませて頂いています。
カータン
が
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カータン
が
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ハワイに着いてみたら写真の若い男性はおじいさん(確か三國連太郎さんだったような……?)だったけど日本に帰る事も出来ずに朝から晩まで馬車馬の様に働かされて夜は好きでもないおじいさんの相手をさせられる……とバブルに浮かれてハワイ旅行していた私には衝撃の作品でした。
カータン
が
しました
というのも昔好きだった映画「ピアノレッスン」の主人公は19世紀に故郷スコットランドからニュージーランドに写真頼みで嫁いでいくのが物語の始まりなんです。
突飛な設定だなあと思いこんでいたのですが、海を渡った花嫁は大勢いたんですね。勉強になりました。
カータン
が
しました
今までも自分達がハワイに行った時にブログを参考にさせてもらって、いろんなお店や場所に行ってはハズレなし!と家族みんな大満足なのですが
今回の「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」もすごく気になります
続きが楽しみです😊
カータン
が
しました
当時、かなり話題になっていたような・・・
カータン
が
しました
TBS系列で2010年に放送された作品で、私はこのドラマで日系移民の苦難の歴史、写真花嫁などを知り、色々と勉強するようになりました。
配信はされていないようなのですが、ご興味がありましたらぜひレンタルなどでご覧になってみてください。
カータン
が
しました
主演は工藤夕貴さんに、ベストキッドのタムリントミタさん。
カータン
が
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