ハワイ滞在記2026年③トンネルを抜ければそこには
からのつづき
プランテーションビレッジに行くことを決め、
日本から直接、
公式サイトに載っていた連絡先に
メールを送った。
・プランテーションビレッジに興味があること
・家族4人で参加
・日本語のガイド希望
・希望の日付(いくつか)
もちろん、英語で。
でも、超簡単。
なぜなら

チャッピー、秒で返してくれる。
それをコピペして送れば完了。
行く日が決まった。
10時からツアーが開始されるそう。
代金は、当日現地で払えばいいそうだ。
その日、ハワイの友人・Mちゃんが
車を貸してくれたので、車で行った。
遅れたら怖いので、余裕を持って
ヒルトンホテルを8:50に出発。
プランテーションビレッジがあるのは、
ワイパフという町。
「ワイ」はハワイ語で「水」、
「パフ」は「噴き出す」という意味で、
かつてこの辺りにあった湧き水に由来する名前だという。

9:30 、プランテーションビレッジに到着。

受付で入場料1人25ドル、
4人で100ドルを支払う。
念の為、現金を用意していたが、
クレジットカードが使えた。
ツアー開始まで指定の場所で待っていると

まずは、施設内の展示物を見ながら
話を聞いた。
ガイドさんの説明は、
ハワイに最初に渡ってきた
ポリネシア人の話から始まった。
星や太陽、風や波を頼りに
広い海を渡ってきたという。
この話もすごく興味深かったのだけど、
書き始めると長くなるので、
今回は日本人移民の話に絞る。
日本人が集団でハワイに渡った始まりは、
1868年(明治元年)。
153人の日本人が「サイオト号」に乗って、
ハワイへ渡った。

彼らはのちに、
明治元年に渡ったことから
「元年者(がんねんもの)」
と呼ばれるようになった。
実はこのとき、
日本政府から正式な渡航許可が下りないまま、
船は横浜を出港したという。
彼らもまた、
ハワイのサトウキビ農園で働くことになった。
ガイドさんによると、
彼らは物静かで働き者だったことから、
現地でも高く評価されていたという。
それから13年後の1881年、
ある人物が日本を訪れる。
カラカウア王だ。
その後、1885年から
日本政府公認の移民が本格的に始まった。
そして日本だけでなく、
中国、フィリピン、韓国、
ポルトガル、プエルトリコなど、
さまざまな国や地域から人々が
サトウキビ農園で働くために
ハワイへ渡ってきた。



当時の村の様子。
そこに1日のタイムテーブルが書いてあった。
1日のタイムテーブルが貼ってあった。
午前4:00 女性たちは朝食と昼食の準備
午前5:00 起床の笛
午後5:45 電車に集合するか畑まで歩く
午前6:00 勤務開始
午前8:00 スモールカウカウタイム(10分)
午前11:30 昼食
午後12:00 再び仕事へ
午後4:30 終業の笛
午後8:00 消灯の笛
このトンネルを抜けると、
向こうには移民時代の暮らしが…
まさにタイムトンネル。
まず目に入ったのは、中国人会議所。
なんだか想像していたものよりとても立派。
聞けば、ここには
プランテーション時代の後期に建てられた建物を
移築したものもあるそうだ。
ポルトガル人やプエルトリコ人の家などを
見ながら進み、
入口が2つある日本人長屋へ。
仏壇があったり
日本人形と箪笥があったり…
硯と筆
裏手には、わかみや稲荷神社。
日本を離れても、
日本を感じるものに囲まれて、
故郷を思いながら生活していたと思うと
胸が熱くなる。
他の国から来た人たちの住居にも、
故郷の暮らしを感じるものが残されていた。
韓国人住居の裏庭には、キムチの瓶。
ポルトガル人の住居の裏庭には釜。
遠い異国に暮らしながら、
それぞれが自分たちの文化を大切にして
暮らしていたんだわね。
公共浴場。
こちらは女性用。
真ん中に敷居があり、男女分かれているが
湯船は下では繋がっている。
こちらは男性用。
どうしてか男性用の方が2倍広い。
子供たちは潜って
男風呂↔︎女風呂を行き来していたらしい。
(多分自分も子供だったらやってる!)
ほかにも床屋さんや、
よろづ屋、診療所など、
当時の村の暮らしがそのまま再現されていた。
床屋さん
よろづ屋
診療所

目の前の大きな木を見ると
あれはもしや!
こんなところで
パンちゃんの親戚に会えるとは!
つい嬉しくなって
パンちゃんの話を熱弁していたら
何よ!
ガイドの千晶さんも同世代。
(勝手に決めるな)
大いに盛り上がっていたのに!
そして…
木といったら、もうひとつ。
確かフィリピン人住居の前にあった木。
えー!装飾かと思った。
あんな賑やかな木が存在するなんて!
なんだかこの木を見て
母「イクコ」の全盛期を思い出してしまった。
私の中で、
キャノンボールツリー改め
「イクコの木」。
写真はいっぱい撮ってきたが、
全部紹介すると長くなるのでこの辺で。
ほんの一部だけど、
当時のプランテーションで
人々がどんな暮らしをしていたのか、
少しでも伝わったら嬉しい。
□■□■□■□□■□■□■□■
もし行かれる方は、虫除けスプレーを持って行って! 私はハワイといえども、「このあたりは絶対蚊がいそう」と思って持っていったんだけど、大正解だった。持っていかなかったら、ガイドさんの話に集中できなかったと思う。

コメント
コメント一覧 (10)
JAL利用で渡ハされると幾つかのハワイを知るツアーに無料で参加出来るときいたことがあり、その中の一つでした。私達はJALではなかったので車で行きましたが、個人で訪ねる人は少ない様子でしたね。
日本人の生活を目の当たりにして、胸が苦しく悲しく、飾ってある当時の写真は見ることができませんでした。元年者から続く移民の方々の努力のお陰で、私達がハワイを楽しむことができていることに感謝です。
我が家も3日から9日間滞在していました。
ハリケーンの影響でロイヤルハワイアンSCが停電して、ABCストアでは懐中電灯で案内していました。
カータン
が
しました
カータンのお陰様で思いを馳せる事が出来ました🙏🥺😌
また!🌲パンの木🌲に驚き桃の木山椒の木でした!
パンちゃんが有名なハワイアンキルトのモチーフになってるなんて!此方も知らなかったです😍🍀🤗カータン、ありがとうございます😊よい旅を💖🌏💖
カータン
が
しました
すごく納得
良いハワイ旅行ですねー、深い
カータン
が
しました
シュンとしてしまいそうな気分を「おばさんの自分語りやめや」が吹き飛ばしてくれました。
当時も満ちていたであろう、常夏の空気と潮の香り。蚊の襲撃音まで聞こえてきそう。続報を待ちます。
カータン
が
しました
映画「ピクチャーブライド」でプランテーションヴィレッジに興味をもち、今から15年ほど前に当時ハワイでハワイサイトの仕事をしていたH編集長と呼ばれていた方にネットの記事にするとの事で連れて行ってもらいました。
施設案内していただいたケンさんにハワイは赤土なのでお湯で洗濯しないと汚れが落ちないとか、当時の子供達の遊ぶおもちゃ(ぶんぶんゴマ)などもいただき遊び方をレクチャーしてもらったのが懐かしい思い出です。
歴史に興味があればハワイの「夏の家」さんも訪れてみてください。
カータン
が
しました
様々な国から労働者として家族と移住された
皆さんは、苦労しながらもそれぞれの国の文化を大事に生活されていたんですね。
辛い時は、遠い祖国におもいを馳せた事でしう。
タイムトンネルのようなトンネル。
時空を超えるような感覚になりますね。
カータンが、掲載してくれたおかげで、ハワイの
繁栄に寄与した人々の苦労を知りました。
ハワイにも色々な物語があるんですね。
今後も期待しています。
カータン
が
しました
とても参考になりました
私もそこに行って体験してみたい!
イクコの全盛期に笑ってしまいました
カータン
が
しました
もうご存知の情報だけど、アロハシャツは日本人の苦労の産物らしいですね。
日本人(二世か三世の方々)の方がガイドでいるならお話も理解しやすいですね。
また写真とともに続編お願いします。
カータン
が
しました
家族で行きました!もう20年以上も前になります。
当時は予約せずに直接行き、たまたま日本人ガイドさんがいて 詳しく説明してくださったり 昔子供達が使っていたらしい瓶の蓋で作ったブンブンコマで遊ばせてもらったり 子供たちも楽しませてもらいました。
当時名物ガイドさんだったケンさんという方でした。
懐かしいです。
カータン
が
しました
カータン、なんてステキな人なんだろう。
ずっとそのままでいてくださいね。
カータン
が
しました